六師外道
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パーリ経典に登場する沙門[1] (六師外道) (沙門果経より[2]) | |
沙門[1] | 論(思想)[2] |
プーラナ・カッサパ | 無道徳論、道徳否定論: 善行も悪行もなく、善悪いずれの報いも存在しない。 |
マッカリ・ゴーサーラ (アージーヴィカ教) |
運命決定論 (宿命論): 自己の意志による行いはなく、一切はあらかじめ決定されており、定められた期間流転する定めである。 |
アジタ・ケーサカンバリン (順世派) |
唯物論、感覚論、快楽主義: 人は四大からなり、死ぬと散じ何も残らない。善悪いずれの行いの報いもないとし、現世の快楽・享楽のみを説く。 |
パクダ・カッチャーヤナ (常住論者) |
要素集合説:人は地・水・火・風の四元素と、苦・楽および命(霊魂)の七つの要素の集合にで構成され、それらは不変不動で相互の影響はない。 |
マハーヴィーラ (ジャイナ教) |
相対主義、苦行主義、要素実在説: 霊魂は永遠不滅の実体であり、乞食・苦行生活で業の汚れを落とし涅槃を目指す。 |
サンジャヤ・ベーラッティプッタ |
不可知論、懐疑論: 真理をあるがままに認識し説明することは不可能であるとする。判断の留保。 |
古代インドには様々な思想家、諸教派が存在したが、その中でも有数の教派を、仏教側から見て、まとめて指すための呼称、総称である。 仏教の視点であるので、仏教以外の宗派の教説を異端だと見なし「外道」と呼んでおり、仏教を「内道」と呼んでいる。
釈迦の時代のインドの都市では、商工業者たちが貨幣経済によって栄え、ギルドのような組織を作って経済的な実権を握り、それまでの祭祀を司るバラモン、政治を握るクシャトリヤが社会を支配する旧体制は崩れ、物質的な豊かさと都市文化の爛熟で自由享楽的な空気になっていた[3]。バラモン教ヴェーダ学派を否定する自由な思想家が多数輩出し、ヴェーダの権威を否定する諸学説を提唱して盛んに議論していた。時代の変革で生まれた新興勢力に支持されたのが、こうした反ヴェーダ思想であり非正統バラモン思想の自由思想家たちである[3]。その中には六師外道と呼ばれた思想家だけでなく、釈迦も含まれる[3]。六師外道と呼ばれた思想家たちの思想は、新しい時代の新しい思想の動きであり、その影響下でジャイナ教・仏教の思想と活動が生まれていった[4]。
原始仏典ではその諸学説を六十二見にまとめ、その中で主要なものを「六師外道」と総称した。波斯匿王は、仏教が六師外道と呼んだ思想家を年長者と呼び、対して釈迦を年少者と呼んだ。後に、各六師にそれぞれ16人の弟子がいるとし、これらを総称して「九十六種外道」とも言うようになった。
- ^ a b 水野弘元『増補改訂パーリ語辞典』春秋社、2013年3月、増補改訂版第4刷、p.334
- ^ a b DN 2 (Thanissaro, 1997; Walshe, 1995, pp. 91-109).
- ^ a b c 早島 1982, pp. 27–28.
- ^ 川崎 1993, p. 48.
- ^ a b c 早島 1982, p. 29.
- ^ a b c d 川崎 1993, pp. 46–47.
- ^ a b c d 川崎 1993, p. 47.
- ^ a b c d e f g h i 早島 1982, p. 30.
- ^ a b (Thanissaro, 1997; Walshe, 1995, pp. 91-109).
- ^ 早島 1982, pp. 31–32.
- ^ a b 川崎 1993, pp. 47–48.
- ^ 早島 1982, p. 32.
- ^ 早島 1982, p. 33.
- ^ a b c 川崎 1993, pp. 50–51.
- ^ DN-a (Ñāṇamoli & Bodhi, 1995, pp. 1258-59, n. 585).
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