個体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/07 00:56 UTC 版)
命のありか
生物と非生物の違いを我々は命(あるいは生命)という言葉で呼んでいる。生物個体が生命活動をやめて、生きた状態に戻らなくなることを「死んだ」と言い、「命を失った」と見なし、それが非可逆な現象であることを知っている。
さて、この命を守る仕組みが我々の体内にあるので、これを解明するために多くの努力が払われた。古くは哲学が、後には医学や博物学、近年では生物学がこれを行なっている。その結果、まず生物、特に動物の体内には生命を支えるための組織や器官があって、それぞれが特定の働きを成していることが明らかになった。たとえばハーヴェイの血液循環の発見などは、その代表的なものである。
ところが、この探求に顕微鏡が導入されるや、生物体は細胞から構成されていることが明らかになった(細胞説)。そしてそれをさらに追求する中で、細胞が生命現象をあらわすこと、つまり細胞が生命を持っているのだとの認識が成立した。言い換えれば、個体の命を支える仕組みとしての細胞があるのではなく、命を持つ細胞の集まりであるからこそ、個体は生きている、ということになったのである。細胞培養などの手法は、個体を離れた細胞の生命があり得ることをも示している(その細胞が個体の中にあった状態を完全に保っているかどうかには議論の余地があるが)。
他方、個体を構成する細胞の命が、個体の命に直結する訳でもない。例えば、ヒトが指を一本失った程度では命に別条はない。また、発生の段階などでは特定の細胞を自殺させる仕組みが存在することが知られている(アポトーシス)。つまり、細胞の命とは別に個体にも命があるわけで、それは場合によっては細胞の命を従属させる。
個体の生命は、もちろん細胞の生命抜きには考えられないが、個体としての統一性が失われれば、個々の細胞の生存も維持できない。つまり個体の統一性を維持する仕組みが個体の生命と直結している。具体的には先に述べたように循環系と神経系、特に循環系ではポンプの役割を持つ心臓が、神経系では機能が集中した脳が重要なわけである。古くから心臓の鼓動を生命活動の有無の判断に用いたのは当然と言える。現在では、その心臓の活動をも統括する脳の機能を優先するべきだとの判断がなされている(脳死)が、議論は続いている。
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