倉田和四生 所属学会

倉田和四生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/01 08:26 UTC 版)

所属学会

Researchmapによる記述

  • 日本社会学会
  • 日本都市社会学会
  • 日本都市学会
  • 近畿都市学会
  • 日本人口学会

主な受賞

  • 1972年5月 第2回 奥井賞[注 13](『都市化の社会学』)
  • 1985年9月 神戸市防災功労賞(防災コミュニティの学術研究に対して)
  • 2007年5月 瑞宝中綬章

主な著述

社会学関連

翻訳

  • 人口と社会システム(J.M.ビッシャーズ著、鹿島出版会、1971年)
  • 近隣住区論(C.A.ペリー著、鹿島出版会、1975年)
  • 社会システム概論(タルコット・パーソンズ著、晃洋書房、1978年)
  • 社会システムの構造と変化(タルコット・パーソンズ著、創文社、1984年)
  • カナダ多民族社会の構造 -エスニック集団はなぜ存続するか-(ジェフリー・G・ライツ著、晃洋書房、1994年)

単著

  • 都市化の社会学(法律文化社、1970年)
  • 都市コミュニティ論(法律文化社、1985年)
  • 北米都市におけるエスニック・マイノリティ(ミネルヴァ書房、1997年)
  • 防災福祉コミュニティ-地域福祉と自主防災の統合-(ミネルヴァ書房、1999年)

共著・編著

  • 都市(R.E.パーク他数名共著、鹿島出版会、1972年)共同翻訳書
  • 長寿社会の展望と課題(1993年、ミネルヴァ書房)浅野仁[注 14] 他 共同編著

高梁郷土史関連

単著(郷土史)

  • 留岡幸助と備中高梁 -石井十次・山室軍平・福西志計子との交友関係-(吉備人出版、2005年)
  • 福西志計子と順正女学校 -山田方谷・留岡幸助・伊吹岩五郎との交友-(吉備人出版、2006年)
  • 山田方谷の陽明学と教育理念の展開(明徳出版社、2009年)
  • 中島重と社会的基督教 -暗い谷間を照らした一筋の光芒-(関西学院大学出版会、2015年)
  • 山田方谷の陽明学と教育実践(大学教育出版、2015年)

共著・編著(郷土史)

  • 久山康先生その思想と実践(関西学院大学出版会、2017年)《『久山康先生その思想と実践』刊行編集委員会 編》名義。萬成博[注 15]との共著。

関連項目


参考・引用

  1. ^ a b 出生の月日について各著述の略歴記載においては基本的には非公表となっているが誕生月に関しては関西学院大学論文データベース・社会学部紀要第76号(1997年3月号)の本人回顧『わが師、わが道』(p3-p8)に記述あり。
  2. ^ 順正短期大学学長としての任期は2004年から2006年まで
  3. ^ 『人口と社会システム』における略歴では出身地が「天草島」となっている。天草地域の、どの島のどの自治体の出身であるかは公表されておらず、近著の略歴では出身地そのものの表記が無い。
  4. ^ a b 関西学院大学論文データベース・社会学部紀要第76号(1997年3月号)の本人回顧『わが師、わが道』(p3-p8)に記述あり。
  5. ^ 先祖は信州の武将である真田家の家臣であったと伝わる。高浜の墓には滋野と刻まれた墓が多い。滋野姓は、祢津・海野・真田などの家臣として九度山に共に行き、大坂の陣の後に第一説は山陰を通り天草に流れたとされる。もう一つは堺から海路で天草に落ち隠匿生活を始めたとされ、これが後の庄屋家である上田家とされる。初代上田正信は故郷の地名を引用したとして推察される。
  6. ^ 兵籍番号の「佐志飛」とは「世保鎮守府管轄域において願入隊した行兵」の意味。
  7. ^ 一説には、直接の推薦者は高砂屋二世中村梅玉の元で番頭を務めた尼谷氏であったと伝わる
  8. ^ 当時。現在の学校法人順正学園
  9. ^ 岡山県倉敷市新川町出身、神戸女学院大学卒。大正時代倉敷紡績の営業部にて大原孫三郎閑谷学校以来の盟友かつ側近として辣腕を振るった河原賀市の外孫にあたり、また倉田の師でもある竹内愛二の姻族(竹内の妻の従妹)にもあたる。(『留岡幸助と備中高梁』(倉田和四生・著、吉備人出版 2005年)p.308より)
  10. ^ 特に、留岡・石井山室。また、彼らの福祉思想の原点という部分に際して、日本の福祉思想の原点(あるいは通過点)のひとつである可能性も示唆されている。
  11. ^ 通説においては中島の社会的基督教主義は賀川豊彦の影響のもとに構築されたものであるとされるが、倉田はここに中島が幼少期において実父や周囲の人々に与えられた高梁キリスト教思想の影響を指摘し、社会的基督教ひいては中島の生き方そのものが両思想の複合影響によるものであることを唱える。
  12. ^ 旧叙勲制における勲三等瑞宝章にあたる
  13. ^ 日本都市学会によって1969年より運営されている、日本の都市研究において功績があると認められた著述論文とその作者に贈られる賞。賞の名は日本都市学会初代会長である奥井復太郎にちなみ、当時においては奥井復太郎賞とも称した。現在の日本都市学会賞(別名:奥井記念賞)にあたる。
  14. ^ 倉田と浅野が編者。他の執筆者に荒井節男、山本栄一、牧正英、仲原晶子、峯本佳世子、下仲順子山内一郎、江間治。
  15. ^ 関西学院大学名誉教授。吉備国際大学 第2代学長
  1. ^ a b 『人口と社会システム』(J.M.ビッシャーズ著・倉田和四生・訳 鹿島出版会 刊 1971年初版)訳者経歴より
  2. ^ 『都市コミュニティ論』(倉田和四生・著 法律文化社 刊 1985年初版)著者経歴より
  3. ^ a b c d 関西学院大学論文データベース・社会学部紀要第76号冒頭より
  4. ^ 『福西志計子と順正女学校』(倉田和四生・著、吉備人出版 2006年)p.316
  5. ^ 『留岡幸助と備中高梁』(倉田和四生・著、吉備人出版 2005年)p.308
  6. ^ 『留岡幸助と備中高梁』(倉田和四生・著、吉備人出版 2005年)p.310
  7. ^ “春の叙勲・褒章(平成19年5月 第2272号)”. 日本私立大学協会 教育学術オンライン. (2007年5月9日). https://www.shidaikyo.or.jp/newspaper/online/2272/1_5.html 2019年5月21日閲覧。 


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