伊豆国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/15 02:22 UTC 版)
伊豆国 | |
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■-伊豆国 ■-東海道 | |
別称 | 豆州(ずしゅう)[注釈 1] |
所属 | 東海道 |
相当領域 | 静岡県伊豆半島、東京都伊豆諸島 |
諸元 | |
国力 | 下国 |
距離 | 中国 |
郡・郷数 | 3郡21郷(近世頃から4郡) |
国内主要施設 | |
伊豆国府 | (推定)静岡県三島市 |
伊豆国分寺 | 静岡県三島市(伊豆国分寺塔跡) |
伊豆国分尼寺 | 静岡県三島市 |
一宮 | 三嶋大社(静岡県三島市) |
領域
明治維新直前の領域は、現在の下記の区域に相当する。
沿革
伊豆国の記載は記紀や六国史には見られない。「国造本紀」によれば、神功皇后の時に服部氏族の伊豆国造を定めたが、孝徳天皇の時に駿河国に合わせ、天武天皇の時に再び元のように分けたという。また『扶桑略記』によれば、天武天皇9年(680年)7月駿河国から2郡(田方郡と賀茂郡か)を分割して伊豆国としたという。また藤原宮跡出土の木簡に「伊豆国仲郡」とあることから、遅くとも和銅3年(710年)までの間に那賀郡が成立していることになる。
しかし伊豆国が成立後に一旦駿河国に併合されたという「国造本紀」の記述には積極的な裏付けがないとする意見がある。伊豆は前方後円墳や前方後方墳がそれほどなく独立勢力があったと考えにくいということから、天武天皇9年まで伊豆は駿河国の支配下にあったと考える説がある[1]。ただし波多国造、都佐国造、島津国造、久比岐国造、洲羽国造のように国造が設置されれば必ず大型の古墳が多数築造されたわけではない。一方、賀茂郡について氏族構成などの独自性を認め、大化改新以前に伊豆国造の支配する伊豆国が存在していたとする論考もある[2]。
律令法においては遠流の対象地となった。これは伊豆諸島が隠岐・佐渡と並んで辺境の島であると考えられ、伊豆半島はその入り口とされた事が背景にあると言われている。
戦国時代には堀越公方の足利茶々丸を攻め滅ぼし、伊勢盛時(北条早雲)が伊豆の国主となる。江戸時代(文禄から元禄の間)に君沢郡が分けられ、4郡となった。中世、金の産出では東北地方と並んでいた。
なお、伊豆諸島については律令制においては賀茂郡に属していた[3]が、江戸時代に入ると江戸幕府の直轄とされた。
近代以降の沿革
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での国内の支配は以下の通り(287村・83,557石余)。幕府領は韮山代官所が管轄。藩領はすべて飛地領。なお、同帳に記載されていないが、伊豆諸島は幕府直轄であった。
- 1868年(慶応4年)
- 1868年(明治元年)
- 1871年(明治4年)11月14日 - 第1次府県統合により全域が足柄県の管轄となる。
- 1876年(明治9年)4月18日 - 第2次府県統合により全域が静岡県の管轄となる。
- 1878年(明治11年)1月11日 - 伊豆諸島を東京府に移管。
- 1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制施行により伊豆諸島が東京都の管轄となる。
国内の施設
国府
国司が政務を執る国庁が置かれた国府は、『和名類聚抄』によれば田方郡にあった。仁治3年(1242年)以後に成立した『東関紀行』には、「伊豆の國府(こふ)に到りぬれば、三島の社の…」とあり[4]、現在の三島市に鎮座する三嶋大社の近くに所在したとみられるが、国府跡はまだ発掘されていない。
国分寺・国分尼寺
- 伊豆国分寺跡 (三島市泉町)
- 塔跡は国の史跡。跡地上の最勝山国分寺(本尊:釈迦如来、北緯35度07分12.30秒 東経138度54分35.06秒 / 北緯35.1200833度 東経138.9097389度)が法燈を伝承する。
- 未詳。三島市二日町の曹洞宗法華寺周辺の市ケ原廃寺、六ノ条廃寺などに比定される。法燈は、曹洞宗三島山法華寺(三島市東本町(北緯35度07分03.80秒 東経138度55分16.27秒 / 北緯35.1177222度 東経138.9211861度)、本尊:阿弥陀如来)が受け継ぐ。
神社
- 『中世諸国一宮制の基礎的研究』に基づく一宮以下の一覧[5]。
- 総社:三嶋大社 (三島市大宮町)
- 一宮:三嶋大社
- 二宮:二宮八幡宮 (三嶋大社境内摂社の若宮神社、北緯35度7分20.39秒 東経138度55分6.89秒 / 北緯35.1223306度 東経138.9185806度)
- 三島市西若町付近からの遷座という。二宮八幡宮の遷座に伴い、浅間神社(三宮)の二宮格上げがあったとされる。
- 三宮:浅間神社 (三島市芝本町、北緯35度7分22.97秒 東経138度54分49.13秒 / 北緯35.1230472度 東経138.9136472度) - のち二宮。
- 四宮:広瀬神社 (三島市一番町、北緯35度7分21.48秒 東経138度54分42.80秒 / 北緯35.1226333度 東経138.9118889度)
そのほか、三島市北田町の楊原神社を三宮とする説、三島市大社町の日隅神社を五宮とする説がある[6]。
守護所
国府に重なるか近隣にあったと推定されるが未詳。
安国寺利生塔
注釈
出典
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