人間関係
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コミュニティ作り
現代では、都会のマンションでは同じ階の人たちでさえ互いに顔も名前も知らない、と言われるほどに、地域社会の空洞化が進んだ。このような状況のなかで、コミュニティづくりが叫ばれ、さまざまな形で運動が展開されるようになっている[29]。
コミュニティの概念は、人間関係の心理学で注目されているが、その理由は、住民同士のインフォーマルな関係(仲間)が、心の健康の増進に大きな意義も持つことが知られるようになってきたからである[29]。
(1)日常生活の緊張をときほぐす「息抜き」、(2)心情的な共感による「励まし」、(3)適切な行動基準の提示、(4)適度な距離を持った「ヨコの関係」、これらの点で、コミュニティは精神衛生のうえで、援助的な機能を持つと安藤は指摘した[30][29]。
人間関係の病理
家庭
夫婦関係や親子関係で様々なひずみが起きる場合があり、夫婦関係・親子関係のひずみは離婚や家庭内暴力につながることがある。
また、主として若い女性では、極度の体重減少や無月経などの症状が出る「思春期やせ症」を起こす場合がある。これについては諸説ある。清水によると、思春期やせ症の背景には第2次性徴の目立つ身体になりたくないという成熟拒否(女性性拒否)の心理が働いていて、月経停止が必発症状だという[31][32]。下坂によると、そのような女性には家庭内で母親に対して反抗と依存のアンビバレントな態度・関係が見られるという[32]。
学校
校内暴力、いじめ、登校拒否などが社会問題として取り上げられるようになって久しい。学校での問題行動については、その量的増減を云々することよりも、問題行動を生み出す背景や発生のメカニズムの質的変化に焦点をあてる必要があるという[33]。
鶴元春によると、学校の病理的問題を要約するとおおよそ次のようになるという[34]。
- 1.知的教育への偏重。詰め込み作業。全人格の発達をうながす教育が行われにくいこと。
- 2.進学中心の教育体制。就職希望者には場違いな感を与えること。偏差値による序列化。
- 3.過度の受験競争により、ライバル意識のみが育ち、友情や連帯感が育たない。教師と生徒の間には、評価する者と評価される者の関係のみが強調され、温かい血のかよった関係が育ちにくい。
- 4. 教師の威信が低下。教師と生徒の関係が希薄化し、学校の管理体制が強化され、多くの禁止事項が押し付けられている。
対人恐怖症
人生は青年期になると進学・就職などの局面を迎えることになり、新たな対人関係が待ち受けることになる。この時期の人に対人恐怖症がしばしば発生する。
対人恐怖症についての理解のしかたはいくつかある。対人恐怖症は「対人場面で不当に強い不安や緊張を生じ、その結果人からいやがられたり、変に思われることを恐れて、対人関係を避けようとする神経症である」ともされる[35][36]。
対人恐怖症には、赤面恐怖、視線恐怖、表情恐怖、発汗恐怖など様々な種類がある。赤面恐怖とは、人前で赤面するのではないかと恐れる症状であり、視線恐怖とは、他人の視線を恐れる症状である。
対人恐怖症の中でも、妄想的確信を抱く恐怖症を「重症対人恐怖症」もしくは「思春期妄想症」と呼ぶ人もいる。ただし、このような恐怖症は妄想を伴っているので、対人恐怖症には含めず別のカテゴリーで扱ったほうがよいと考える人もいる[36]。
対人恐怖症の人は、初対面の相手やすっかり打ち解けた相手には不安を感じず、「中途半端に知った人」に出会ったりすると不安をおぼえるという[36]。ただし、最近の対人恐怖は恐怖の対象が顔見知りであるとは限らないという[36]。
対人恐怖症の起きるしくみについて、西園昌久は、恥の心理と関係あるのかそれとも恐れの心理と関係があるのかについて調べている。西園の研究によると、男子の場合は「周囲から圧迫を感じる漠然とした対人恐怖」あるいは「視線恐怖」がほとんどで、他者と対立する自己への不安がみられるという。それに対して女子の場合の対人恐怖は視線恐怖、醜貌恐怖、赤面恐怖と関連しており「他人の目にさらされる自己の身体像」へのこだわりがあるという[36]。
鍋田恭孝の分析では、自意識過剰を「私的自己意識」と「公的自己意識」という用語によって分けている。私的自己意識とは、内面、感情、気分などの他人から直接観察されない自己側面に注意を向けることである。公的自己意識とは、服装、容姿、言動など、他人に観察される側面にこだわることである。対人過敏性が正常範囲内であれば、周りからの評価や視線への(過剰な)気づかいは、公的自己意識が高まることによって生まれ、年齢が高まるとともに消失してゆく。それに対して、対人恐怖症患者の場合は、自己評価のほうを低めて自己嫌悪感を抱いているにもかかわらず、こうあるべきだという高い自我理想を無理に示そうとして公的自我意識を強めることで、それらの乖離に悩んでいるのだという[37][38]。
人間関係と健康なパーソナリティ
パーソナリティの概念規定は様々ありはするが、人間関係にかかわり、実際的に活用できるそれとしては「パーソナリティとは、人間に特徴的な行動と考えとを決定する精神身体的体系の力動的組織」とするオルポートの定義であろう[39][40]。そしてさらに「性格、気質、興味、態度、価値観などを含む、個人の統合体である」としておくとよい[39]。
マズローは、自己実現の原動力となる欲求として<生理的欲求・安全欲求・所属および愛情欲求・尊重欲求・自己実現欲求>を挙げた上で、左側の下位の欲求から上位の欲求へと満たしてゆき、最終的に高次の動機(メタモティベーション)に達するとした。つまり、下位の欲求から充足され最終的に最も高次の欲求に至る人が、より健康的なパーソナリティの人だ、としているわけである[41]。
ゴードン・オールポートは健康なパーソナリティの規準として、次の6つを挙げた[41]。
- 1) 自己意識の拡大。自己自身だけに集中的に向けられていた関心が、家族・異性・趣味・政治・宗教・仕事へと広がり、これにどれだけ積極的に参加し、自己をどれだけ拡大してゆくか。いわば、他人の幸福を自分の幸福と同一視できるほど重要視し、拡大視できるか。
- 2) 他人との暖かい人間関係の確立。家族や友人に対して、どれほど深い愛情を伴う親密さと、全ての人の人間的状態に敬意を払い理解するという、共感性を持つことができるか。
- 3) 情緒的安定。欲求不満の状況でもそれを受容するとともに、これをどれほど適切冷静に処理し、安定した精神状態を保つことができるか。
- 4) 現実的知覚、技能および課題。歪曲されない正確な現実認識と、真実性への認知の構えをどれほどもっているか。基本的知的能力だけでは不十分で、むしろ高い知的能力をもちながら、情緒的均衡を欠くために、健康なパーソナリティとなれない人も多数存在する。
- 5) 自己客観化、洞察とユーモア。自分自身とは何か、自分自身が持っているものは何か、他人は自分が何を持っていると思っているのか、といったことを客観的に知り、洞察しているか。この洞察とユーモア感覚は強く関連している[42]。
- 6) 人生を統一する人生哲学。人生をいかに生きてゆくか、という目標への指向性をどれほど明確にもっているか。そして、人生に統一を与えてくれる哲学、すなわち価値への指向をどれだけもっているか。[43]
注釈
- ^ 心理学者のハドレー・キャントリルは、老子から現代アメリカの風刺作家ジェームズ・サーバーまでの古今東西の著作を集めて『人間のいとなみへの考察』(Reflections on the Human Venture, 1960)という本を書いていて、時代を経ても変わらないその様子がそこには読みとれる(『人間関係 理解と誤解』p.8)
- ^ ここで言う記号とは何かと言うと、C・モリスの定義のように「あるモノが眼のまえに存在していないにもかかわらず、それが存在しているかのような反応をおこさせる刺激」ということである。(『人間関係 理解と誤解』p.71)
出典
- ^ これは都市部に住む多数派の人々、つまり都市部に自分の代で引っ越してきた人のことを言っている。(小数派だとしても)親の代や祖父母の代から都市部で暮らしている人々は、たとえ都市部に住んでいても「必然的」「宿命的」な人間関係におおむね組み込まれている
- ^ 関連項目 -- 心の理論、自閉症
- ^ 1960年代に指摘されていたこのような傾向に関しては、近年では変化が生まれている。最近の若者は、たとえばテレビ(つまり全てのテーマを広く浅く扱うだけで済ませてしまうようなメディア)はほとんど見ていないということが統計で明らかになっており、日々の大部分の時間は(1990年代後半から普及した)インターネットのメディアつまり各人が自分の判断で特定のテーマを選択してそれを掘り下げてゆけるメディアのほうを見ている。インターネットのソーシャルメディアを多数活用して、各人の興味があることを徹底的に深掘りしてゆくことを楽しみ、ソーシャルメディアで同一のテーマに興味がある人々同士で繋がり交流を楽しむ。ソーシャルメディアのおかげで、特定の分野に絞っていてもかなりの人数の人々と交流を楽しめるように社会が変化してきている。そしてそのような人的交流では、ひとつのテーマを深掘りしている人こそが「憧れの的」であり、近づきたい対象である。
- ^ 『人間関係の心理と臨床』 1995, p. 15.
- ^ Bilodeau, Kelly (2021年7月1日). “Fostering healthy relationships” (英語). Harvard Health. 2021年6月25日閲覧。
- ^ a b c d 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 2.
- ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 5.
- ^ a b c 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 8.
- ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 6.
- ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 23.
- ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, pp. 24–25.
- ^ a b c 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 29.
- ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 34.
- ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 35.
- ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 64.
- ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 65.
- ^ a b c 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 66.
- ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 71.
- ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 74.
- ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 76.
- ^ a b 『人間関係の心理と臨床』 1995, p. 22.
- ^ 『人間関係の心理と臨床』 1995, pp. 25–27.
- ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 82.
- ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 83.
- ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 85.
- ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 48.
- ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 49.
- ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 50.
- ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 51.
- ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 53.
- ^ a b c 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 55.
- ^ a b c 『人間関係の心理と臨床』 1995, p. 63.
- ^ 安藤延男 1985「仲間づくりと心の健康」(狩野素朗『現代社会と人間関係』)九州大学出版会 pp.97-113)
- ^ 清水将之1975「青春期の以上心理」(『現代のエスプリ 別冊 現代人の異常性 -日本人の精神病理』至文堂 pp.141-157
- ^ a b 『人間関係の心理と臨床』 1995, p. 130.
- ^ 『人間関係の心理と臨床』 1995, p. 140.
- ^ 鶴元春「青年期の問題行動とその指導」(教育心理学概論、北大路書房 pp.143-161)
- ^ 永田法子1992「対人恐怖症」(『心理臨床大事典』、培風館、pp.800-801)
- ^ a b c d e 『人間関係の心理と臨床』 1995, p. 138.
- ^ 鍋田恭孝1989「対人恐怖症」(『性格心理学 新講座 3 適応と不適応』金子書房、pp.299-315)
- ^ 『人間関係の心理と臨床』 1995, p. 139.
- ^ a b 『人間関係の心理と臨床』 1995, p. 196.
- ^ Allport, G.W. 1937, "Personality ; A psychological interpretation.", NewYork : Holt, Rinehart & Winston
- ^ a b 『人間関係の心理と臨床』 1995, p. 205.
- ^ 洞察とユーモアの評定の相関は0.89という高い値である。(『人間関係の心理と臨床』p.206)
- ^ 人生の意味にも関連記述あり。
- 1 人間関係とは
- 2 人間関係の概要
- 3 コミュニケーションと人間関係
- 4 コミュニティ作り
- 5 脚注
人間関係と同じ種類の言葉
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