人見絹枝
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エピソード
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- 人見は女学校時代から文学的資質を認められていた。文章が巧みで、海外遠征中でも、また死の床に在っても短歌を詠んだ。
- 1924年二階堂体操塾に入学した年の身長は五尺六寸(約170cm)、体重は十五貫(約56kg)との新聞記事がある。
- 走・跳のみならず投擲競技にも非凡な才能を見せた。円盤投げはそれまで全く経験が無かったが現地ヨーテボリで円盤を購入し、1ヶ月余の練習で国際女子競技大会で入賞した。
- アムステルダムオリンピックの直前に南部忠平に走幅跳で勝負を申し入れ、1cm差で勝利した[19]。
- アムステルダムオリンピック以前、800mを公式の競技会で走ったことはなかったが、有力視された100mで決勝に進めなかったこともあり、未知の距離でも優勝を狙わざるを得なかった。結果2位になったが「何分にも私にとっては初めてなので、これ以上を望むことは不可能です」というコメントを残している。ゴールの際に人見は優勝したドイツのラトケともども失神、決勝参加者9人が全て倒れ込む壮絶なものとなり[20]、これが影響して女子800mは次のロサンゼルスオリンピック(1932年)からメルボルンオリンピック(1956年)まで種目から除外されることになった[注 4]。
- 高校野球甲子園大会開会式のプラカードを掲げての入場行進や、勝利校の校歌吹奏[21]、校旗掲揚は人見の発案で1929年の第6回選抜中等学校野球大会から始まった。
- 人見の死後、第3回国際女子競技大会での活躍を記し建てられた記念碑がプラハ郊外の墓地に現存する。この碑の建設費には、二階堂トクヨの寄付が含まれている[22]。
- 1992年バルセロナオリンピックで、日本では人見以来の陸上女子メダリストとなった有森裕子は同じ岡山市出身であり、祖母が人見の女学校の後輩だったこともあり、有森は人見を尊敬している。また、有森がバルセロナオリンピックのマラソンで銀メダルを獲得したのは日本時間では人見のメダル獲得と同じ8月2日となり(現地では8月1日)、これらが当時奇縁として紹介された。
- 当時、国内での女子陸上への偏見は厳しいものであり、それをうかがわせる例がいくつも存在する。
- 人見が陸上を始めた頃、周りの人々から冷たい目で見られたと、本人が述懐している。
- オリンピック出場を決めていた人見の実家にも「人前で太ももをさらすなど日本女性にはあってはならない」「日本女性の個性を破壊する」などといった文面の書簡が送られて来ていたという[23]。それに対して人見は女子陸上競技に関する記事にて「いくらでも罵れ!私はそれを甘んじて受ける。しかし私の後から生まれてくる若い女子選手や、日本女子競技会には指一つ触れさせない」と書いている。
- 短距離走の日本記録を保持していた寺尾正・文姉妹の実家に出向き、アムステルダムオリンピックへの出場を説得したが、寺尾の家族の意向により、寺尾姉妹の出場は叶わなかった。これも、女子陸上への世間の偏見が一因であると言われている。
- 人見の没後に発表されたレコードトーキーアニメーション『茶目子の一日』に、生前の人見のフィルム映像が挿入されている。
- メダル・トロフィー類は戦時中金属類回収令によりすべて供出されたと考えられていたが、オリンピックの銀メダルは2000年になって発見された。人見の使用していた寝具の中に、隠すようにして仕舞ってあったという。
- 1964年東京オリンピックの聖火が岡山を通過する際、父・猪作は人見の遺影を抱いて岡山県庁舎で出迎え、「絹枝よ、これがオリンピック聖火だ」と語りかけた[24]。
- 人見の出身地に近い現在の岡山市南区福浜を通る岡山県道40号岡山港線には人絹道路(じんけんどうろ)という愛称が付与されている。本来は倉敷絹織(現・クラレ)の岡山工場(レーヨンなどの化学繊維、すなわち人絹の製造工場)と岡山市中央部とを接続する輸送路であるがゆえに、この愛称が存在していたのだが、この県道は人見の出身校でもある岡山市立福浜小学校(かつての福浜村立福浜尋常高等小学校)をも沿線に含む事から後に人見の業績を顕彰するための道路とも伝えられるようになった。
- 岡山県岡山市において1982年より開催されているロードレース大会「山陽女子ロードレース大会」の10kmロードの部には開催当初より「人見絹枝杯」の愛称がつけられている。
- 人見の母校である二階堂体操塾を受け継ぐ日本女子体育大学では、女子ジュニア陸上競技選手の育成を謳って『人見絹枝杯陸上競技大会』を2003年から毎年開催している[25]。
- 美容師の草分け・吉行あぐりとは岡山県立第一岡山高等女学校の同級生である[26]。
- 岡山市は2005年に人見絹枝の功績を記念し、岡山市のスポーツ振興の一環として市に所属する競技団体や選手、各種スポーツチームの活躍を讃える『岡山市人見絹枝スポーツ顕彰事業』を創設、これ以後、その年ごとに顕彰者を選出して表彰式を実施している[27]。
- 1993年より大阪毎日新聞社の後身毎日新聞社は『毎日スポーツ人賞』を制定しグランプリ受賞者には賞金200万円、その他の受賞者にも賞金100万円と受賞者全員に人見をかたどったブロンズ像が贈られている[28]。
注釈
- ^ スポーツはおろか、修学旅行への参加も止められるほど症状は重く、当日は試技1回ごとに学校医が聴診器を当てて調子を確認していた[8]。
- ^ これ以降、日本の女子選手によるオリンピック陸上競技のメダリストはバルセロナオリンピック(1992年)女子マラソンで有森裕子が銀メダルを獲得するまで64年間、男女を通じたオリンピック陸上競技トラック種目でのメダリストは、北京オリンピック(2008年)男子4×100mリレーで日本チームが銅メダル(北京オリンピックの大会後に1位のジャマイカチームの選手がドーピング違反で失格になったために銀メダルに繰り上がった[10])を獲得するまで80年間出現せず、トラック種目の銀メダルはリオデジャネイロオリンピック(2016年)男子4×100mリレーで日本チームが獲得するまで88年間出現しなかった。また世界陸上競技選手権大会に枠を広げても千葉真子(当時:旭化成)が1997年アテネ世界陸上競技選手権大会の女子10,000mで銅メダルを獲得するまで、陸上競技のトラック種目に於いて日本女子選手が五輪・世界選手権を通してメダルを獲得する者は出現しなかった。
- ^ 自身を励まそうと人見が掲げたものである[11]。
- ^ なお、女子800mのオリンピック日本代表となった選手は、2021年8月現在、人見の他には東京オリンピック(1964年)の木崎正子とアテネオリンピック(2004年)の杉森美保の2名のみである。
出典
- ^ “12th IAAF World Championships In Athletics: IAAF Statistics Handbook. Berlin 2009.” (pdf). Monte Carlo: IAAF Media & Public Relations Department. pp. Pages 546, 640, 641 (2009年). 2011年6月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月2日閲覧。
- ^ 勝場・村山 2013, p. 15.
- ^ 勝場・村山 2013, pp. 15–16.
- ^ a b c d e 勝場・村山 2013, p. 16.
- ^ a b 勝場・村山 2013, p. 17.
- ^ a b 勝場・村山 2013, pp. 17–18.
- ^ 勝場・村山 2013, p. 18.
- ^ a b c 勝場・村山 2013, p. 19.
- ^ 勝場・村山 2013, pp. 19–20.
- ^ “北京五輪陸上男子400リレー ジャマイカ選手失格で日本が銀に繰り上げ”. Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. (2018年12月12日) 2019年6月16日閲覧。
- ^ a b c d e f 勝場・村山 2013, p. 81.
- ^ 勝場・村山 2013, pp. 81–82.
- ^ 勝場・村山 2013, p. 82.
- ^ 勝場・村山 2013, pp. 82–83.
- ^ a b c d e f 勝場・村山 2013, p. 83.
- ^ 勝場・村山 2013, p. 87.
- ^ 勝場・村山 2013, pp. 83–84.
- ^ a b c 勝場・村山 2013, p. 84.
- ^ 南部 1981, p. 112.
- ^ 人見絹枝、女子陸上八百で銀メダル『大阪毎日新聞』昭和3年8月4日夕刊(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p42 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ “甲子園名物、校歌斉唱誕生秘話〜きっかけは女性初の五輪メダリスト”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2014年8月24日) 2014年8月24日閲覧。
- ^ 穴水 2001, p. 23.
- ^ 「その時歴史が動いた コミック版 感動スポーツ編」より
- ^ 勝場・村山 2013, p. 85.
- ^ “第13回人見絹枝杯陸上競技大会を開催” (HTML). 日本女子体育大学 (2019年3月21日). 2019年6月23日閲覧。
- ^ 吉行和子 2008, p. 155.
- ^ “岡山市人見絹枝スポーツ顕彰事業について”. 岡山市人見絹枝スポーツ顕彰. 岡山市 (2010年10月12日). 2022年3月19日閲覧。
- ^ “毎日スポーツ人賞2021”. macs.mainichi.co.jp. 2023年12月9日閲覧。
固有名詞の分類
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