京都大学
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京都大学 | |
---|---|
百周年時計台記念館 | |
大学設置/創立 | 1897年 |
学校種別 | 国立 |
設置者 | 国立大学法人京都大学 |
本部所在地 |
京都府京都市左京区吉田本町36-1 北緯35度1分34秒 東経135度46分51秒 / 北緯35.02611度 東経135.78083度座標: 北緯35度1分34秒 東経135度46分51秒 / 北緯35.02611度 東経135.78083度 |
学生数 | 22,455 |
キャンパス |
吉田(京都府京都市左京区) 宇治(京都府宇治市) 桂(京都府京都市西京区) |
学部 |
総合人間学部 文学部 教育学部 法学部 経済学部 理学部 医学部 薬学部 工学部 農学部 |
研究科 |
文学研究科 教育学研究科 法学研究科 経済学研究科 理学研究科 医学研究科 薬学研究科 工学研究科 農学研究科 人間・環境学研究科 エネルギー科学研究科 アジア・アフリカ地域研究研究科 情報学研究科 生命科学研究科 地球環境学大学院 公共政策大学院 経営管理大学院 総合生存学館 |
ウェブサイト |
www |
1897年創立、1897年大学設置。国内の旧帝国大学7校の1つであり、文部科学省が実施しているスーパーグローバル大学事業のトップ型指定校ならびに指定国立大学法人に指定されている。
概観
大学全体
京都大学は、日本で2番目に創設された帝国大学である京都帝国大学の流れを汲んでいる国立大学で、精神的な基盤として「自由の学風」を謳っている[1]。また、西部講堂のロックコンサートなどに代表される京都地区における文化発信地としての役割も担ってきた。
建学の精神(理念・学是)
創立以来「自由の学風」を建学の精神としている[1]。国立大学法人となった後に制定された京都大学の基本理念にも引き継がれた[1]。
学風および特色
京都市内の繁華街から離れた古都の風情を残す落ち着いた環境の中にあり、何事も学生の自主性に任せるという「自由の学風」を標榜している[2]。学生寮の入退寮選考を学生に任せた結果、無学籍者も居住するようになった[3]。リベラルな学風の傾向にある[4]。毎年行われる11月祭や折田先生像を巡る落書き、卒業式での仮装などにもその一端を垣間見ることができる[5]。
京都大学や(前身の)京都帝国大学では、それらの自由の拡大あるいは縮小を巡る攻防戦が繰り返されてきた。滝川事件は最も有名な事例の一つである[6]。
教育および研究
研究所・研究センター
京都大学は学部・研究科以外に19の附置研究所・研究センターを設置している[7]。2010年3月現在、国内の大学で最多である[8]。2020年4月時点で、そのうちののべ14の研究所・研究センターは文部科学省「共同利用・共同研究拠点」に認定されており、国内の大学で最多である[9]。
共同利用・共同研究拠点の前身に当たる「全国共同利用型附置研究所・研究施設」の仕組みを初めて採用したのは京都大学の基礎物理学研究所である。これらの事実について京都大学の関係者は「幅広い分野において日本を代表する学術研究拠点となってきた、京都大学の社会的特徴を表している」[5]と考えている。
国内・世界との比較
タイムズ・ハイアー・エデュケーションによる『THE世界大学ランキング 2023-2024』(2023年度)では、世界同点第55位、アジア同点第10位、国内第2位[10](同誌の世界大学名声ランキングでは第26位、アジア第5位、国内第2位[11])である。またQS世界大学ランキング 2024(2023年)では、世界第46位、アジア第9位、国内第2位である[12]。
タイムズ・ハイヤー・エデュケーションがベネッセと連携して日本の大学の評価を発表している『THE世界大学ランキング日本版2023』では、前年に総合順位を4位から5位に繰り下げたままの結果となり、第5位に甘んじた[13][14]。
受賞
2019年10月10日現在、卒業生から8人、ゆかりのある人物も含めると11人のノーベル賞受賞者(いずれも自然科学分野)を輩出している。これはアジアの大学で最多である。フィールズ賞、ラスカー賞、ガードナー国際賞の受賞者数も国内の大学で最多である。
沿革
(沿革節の主要な出典は公式サイト[15][16][17][18][19][20][21])
略歴
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2016年5月) |
京都大学の起源は文久元年8月16日(1861年9月20日)に長崎に設立された長崎養生所(その後、長崎精得館へ改称)まで遡る。長崎精得館の理化学部門は、当初は江戸にあった開成所(現在の東京大学)へ「理化学校」として移設することになっていたが、明治維新の混乱で実現しなかった。慶応4年(1868年)に明治政府は「理化学校」を舎密局(せいみきょく、後の理学校)として大阪に開設することを決定、明治2年(1869年)に開校した。明治3年(1870年)、理学校は明治2年10月24日(1869年11月27日)に開設された洋学校と合併、開成所となる。開成所はその名称を大阪英語学校 (旧制)、大阪専門学校、大阪中学校、大学分校と変遷させ、1886年(明治19年)に公布された中学校令によって第三高等中学校と改称する。第三高等中学校は1889年8月1日に京都市吉田町に取得した新校地へ移転した。1894年に公布された高等学校令に基づいて第三高等中学校は旧制の第三高等学校(以下、本記事において「第三高等学校」は特に断りのない限り、旧制第三高等学校を指す)となる。
帝国大学令制定後、近畿地方にも帝国大学の設置を求める声が上がっていたが、財政難のため見送られ続けていた。1895年に西園寺公望は日清戦争で得た賠償金を基に第三高等学校を帝国大学へ昇格させる提案を行う。最終的に第三高等学校を東一条通の南側(現在の吉田南キャンパス)に移転し、高等学校の土地・建物を大学が利用するという案が採用され、翌年、予算処置が可決される。1897年6月18日に京都帝国大学設置に関する勅令(明治30年勅令第209号)が制定され、「京都帝国大学」が発足する。
創設時の計画では1898年にまず法科大学から設置する予定であったが、工科志望者の急増により1年前倒しという形で、創設と同年の1897年に京都帝国大学理工科大学が設置された。続いて1899年京都帝国大学法科大学および京都帝国大学医科大学、1906年京都帝国大学文科大学を設置し、約10年をかけて分科大学を設置した。初代総長(1897年 - 1907年)には文部省専門学務局長の木下広次が就任。事務局長に当たる「書記官」には中川小十郎が就任した。
当時の総長の意向もあって、「研究・教授・学修の自由を重んじるドイツ式」を採用、ドイツの大学のシステムに倣った。高根義人の主導によるこの方針は現在の「自由の学風」に影響を与えたといわれる。法科大学の卒業生の高等文官試験での不振を端として転換されたものの、京都大学に独特の学風を根付かせる端緒となったことは確かである。
1919年(大正8年)に分科大学制が学部制に変わった。その年には、経済学部が法学部から分離して独立の学部となり、1923年には農学部の設置と学部の増設が相次いだ。農学部増設と同じ年には本部構内に京都大学のシンボルとして親しまれている時計台を持つ大学本館が完成している。1926年には京都大学初の附置研究所に当たる化学研究所が設置された。
昭和に入ると思想関係の締め付けが強化された世相を反映して、京都大学でも思想事件が相次ぐ。1928年(昭和3年)、文部省はマルクス経済学者の河上肇教授の辞職を要求。教授会は河上の辞職を認める決議を出し、河上は大学を追われることになる。さらに1933年には鳩山一郎文部大臣が法学部の瀧川幸辰教授の刑法理論が「赤い思想」であるとして休職処分にしたことから、法学部の全教官が辞表を提出。総長も文相と会見、辞意を表明したものの文部省からの切り崩しに遭い、結局瀧川ら7人の教官が大学を去る事態となった(滝川事件)。
日中戦争激化に伴う戦時体制の強化に伴い、日本精神史(文学部)、東亜経済政策原論(経済学部)、航空学・燃料化学(工学部)などの国策に沿った講座が設けられた。太平洋戦争の開戦後、学生を軍隊風に編成する目的で「京都帝国大学報国隊」が結成される。
また、京大医学部出身の軍医である石井四郎は、満州国の関東軍に731部隊を設立し、化学兵器や生物兵器の開発や、捕虜や罪人に対する人体実験などを行った。これに対し、医学部長を務めた戸田正三や、石井の指導教員であった医学部教授の清野謙次は、京大医学部出身者を部隊の人材として送り込み、石井の活動を支援した。
1943年、文系大学生の徴兵猶予が停止され、学生が続々と戦場に赴いた。京都帝国大学の学徒出陣壮行会では、総長の羽田亨を先頭に平安神宮に参拝、必勝を祈願したという。
第二次世界大戦終結後、公職追放によって大学を免職になる教授が出る一方で、滝川事件で大学を去っていた瀧川幸辰らが大学に復帰した。1946年から女子の入学が認められた。創立五十周年に当たる1947年には大学名から「帝国」が削られて京都大学と改称。1949年には第三高等学校を統合して、新制大学となった。同年には、理学部教授湯川秀樹が日本人初のノーベル賞に輝き、京都大学ではこれを記念して湯川記念館を設置。その後、湯川記念館は基礎物理学研究所に改組されている。
1968年、青年医師連合の京都大学の支部による医学部大学院入試ボイコットの呼びかけに応じなかった受験生に青医連メンバーが暴行を働いたいわゆる「青医連事件」が発生。これを端緒として教養部は無期限ストに入り、学生部は閉鎖された。東大のような入試中止という事態は免れたものの、戦後初めて卒業式が中止に追い込まれ、さらに翌年度になってもいくつかの建物の閉鎖は依然続き、全面解除は9月まで持ち越されている。なお、1973年度は、入学式が中止になっている。
1992年(平成4年)、総合人間学部が設置され、翌年には教養部が廃止、同時に大学院大学への移行も行われ、現行の大学組織の形に改編された。1997年に京都大学は創立百周年を迎えた。そして2004年、時代の流れにより国の改革の一つとして国立大学法人法が施行され、その規定により京都大学は国立大学法人に改組した。2017年6月、指定国立大学法人に指定される。
本稿ではこれらの経緯から、創立は第三高等学校の前身である舎密局の設置年である1869年、設立は京都帝国大学が誕生した1897年としている。
年表
明治
- 明治2年(1869年)
- 明治3年(1870年)
- 1月 舎密局を化学所に改組
- 5月 化学所を理学所に改組
- 10月 洋学校が理学所を併合、開成所に改組。
- 明治5年(1872年)8月 学制公布により、第四大学区第一番中学に改組。
- 1873年(明治6年)
- 4月 大学区分画改正により、第三大学区第一番中学に改称。
- 4月 開明学校に改組
- 1874年
- 4月 大阪外国語学校に改組
- 12月 大阪英語学校に改組
- 1879年4月 大阪専門学校に改組
- 1880年12月 大阪中学校に改組
- 1885年7月 大学分校に改組
- 1886年4月 高等中学校官制公布により、第三高等中学校に改組。
- 1895年9月 高等学校令公布により、第三高等学校に改組。
- 1897年
- 6月 京都帝国大学設置
- 9月 京都帝国大学内に、分科大学として理工科大学設置。
- 1899年
- 9月 法科大学、医科大学設置。
- 12月 附属図書館、医科大学附属医院設置。
- 1903年4月 医科大学を京都医科大学と福岡医科大学に分割。
- 1906年9月 文科大学設置
- 1907年3月 帝国大学特別会計法公布
- 1909年11月 台湾総督府より台湾演習林を移管。
- 1911年4月 九州帝国大学開設に伴い福岡医科大学を分離、京都医科大学は旧称復帰。
大正
- 1912年(明治45年/大正元年)12月 朝鮮総督府より朝鮮演習林を貸与。
- 1913年
- 1914年7月 理工科大学を理科大学と工科大学に分割
- 1915年12月 樺太庁より樺太演習林古丹岸森林を移管
- 1916年12月 樺太庁より樺太演習林亞屯森林を移管
- 1919年
- 2月 各分科大学を学部に改称
- 5月 経済学部設置
- 1921年4月 京都府北桑田郡知井村芦生に芦生演習林を開設
- 1923年
- 4月 第七臨時教員養成所設置
- 11月 農学部設置
- 1924年5月 農学部附属農場、農学部附属演習林設置
- 1925年12月 京都学連事件
- 1926年10月 化学研究所附置
昭和
- 1929年(昭和4年)
- 1930年(昭和5年)
- 3月 第七臨時教員養成所廃止
- 6月 理学部附属瀬戸臨海研究所の水槽室を一般公開
- 1931年9月 関西六校野球連盟結成[22]
- 1933年5月 滝川事件
- 1938年6月 清野事件。医学部教授の清野謙次が、京都の寺社からの窃盗の容疑で逮捕され、その結果、懲戒免職の処分を受ける。また、総長の濱田耕作も引責辞任する。
- 1939年
- 1941年
- 3月 結核研究所附置
- 11月 工学研究所附置
- 1943年
- 10月 大学院特別研究生制度実施(1958年廃止)
- 11月 出陣学徒武運長久祈願祭並びに壮行会(平安神宮)に参加[23]。
- 1944年
- 4月 臨時附属医学専門部を附属医学専門部に改組
- 5月 木材研究所附置
- 1945年9月17日 広島市郊外の大野陸軍病院で原子爆弾の調査を行っていた真下俊一教授らが、枕崎台風による土石流被害に遭い殉職[24][25]。
- 1946年9月 食糧科学研究所附置。正規の学生として初めて女子が入学(入学者1505名中17名)[26]。
- 1947年10月 京都大学に改称
- 1949年
- 1月 人文科学研究所に外務省所轄の東方文化研究所と民間機関の西洋文化研究所を統合。
- 5月 第三高等学校を統合、新制京都大学に改組。教育学部、分校設置。
- 1951年
- 1952年3月 附属医学専門部廃止
- 1953年
- 1954年
- 3月 分校を教養部と改称
- 4月 医学部附属助産婦学校設置
- 1955年4月 大学院医学研究科設置
- 1956年4月 ウィルス研究所附置
- 1959年4月 医学部附属衛生検査技師学校設置
- 1960年4月 薬学部設置
- 1961年5月 工業教員養成所設置
- 1962年4月 経済研究所附置
- 1963年4月 数理解析研究所、原子炉実験所附置。
- 1964年 熊野寮開寮
- 1965年4月 東南アジア研究センター設置
- 1966年4月 保健管理センター設置
- 1967年6月 霊長類研究所附置。結核研究所を結核胸部疾患研究所に改称。
- 1969年
- 1971年4月 放射性同位元素総合センター設置。工学研究所を原子エネルギー研究所に改称。
- 1972年
- 4月 医学部附属衛生検査技師学校を医学部附属臨床検査技師学校に改称。
- 5月 体育指導センター設置
- 1975年4月 医療技術短期大学部設置、医学部附属助産婦学校および看護婦学校廃止。
- 1976年5月 工学部附属超高温プラズマ研究施設をヘリオトロン核融合研究センターに改組。放射線生物研究センター設置。
- 1977年
- 1978年
- 3月 医学部附属臨床検査技師学校廃止
- 4月 情報処理教育センター設置
- 1980年4月 医用高分子研究センター設置
- 1981年4月 工学部附属電離層研究施設を超高層電波研究センターに改組
- 1986年4月 アフリカ地域研究センター設置
- 1988年
- 4月 結核胸部疾患研究所を胸部疾患研究所と改称。遺伝子実験施設設置。
- 12月 国際交流センター設置
平成
- 1990年(平成2年)6月 生体医療工学研究センター、留学生センター設置。医用高分子研究センター、国際交流センター廃止。
- 1991年4月 大学院人間・環境学研究科、生態学研究センター設置。木材研究所を木質科学研究所と改称。
- 1992年10月 総合人間学部設置
- 1993年
- 3月 教養部廃止
- 1月 矢野事件
- 1994年6月 高等教育教授システム開発センター設置
- 1996年4月 大学院エネルギー科学研究科、アフリカ地域研究資料センター設置。原子エネルギー研究所とヘリオトロン核融合研究センターを統合してエネルギー理工学研究所に改組。アフリカ地域研究センター廃止。
- 1997年4月 総合博物館設置。情報処理教育センターと工学部附属高度情報開発実験施設を統合して総合情報メディアセンターに改組。
- 1998年4月 大学院アジア・アフリカ地域研究研究科、情報学研究科設置。胸部疾患研究所と生体医療工学研究センターを統合して再生医科学研究所に改組。
- 1999年4月 大学院生命科学研究科設置
- 2000年
- 4月 超高層電波研究センターを宙空電波科学研究センターに改組
- 11月 大学文書館設置
- 2001年4月 食糧科学研究所を大学院農学研究科に統合。国際融合創造センター設置。
- 2002年4月 地球環境学大学院(大学院地球環境学堂・地球環境学舎・三才学林)、低温物質科学研究センター、福井謙一記念研究センター設置。大型計算機センター、総合情報メディアセンター、学術情報ネットワーク機構を統合し、学術情報メディアセンター設置。
- 2003年4月 理学研究科附属瀬戸臨海実験所、農学研究科附属演習林、亜熱帯植物実験所、水産実験所を統合し、フィールド科学教育研究センターに改組。高等教育教授システム開発センター、学術情報メディアセンターの一部、総合人間学部の一部を改組して高等教育研究開発推進センターを設置。高等教育研究開発推進機構設置。体育指導センター廃止。
- 2004年4月 木質科学研究所と宙空電波科学研究センターを統合し、生存圏研究所に改組。東南アジア研究センターが附置研究所に昇格。遺伝子実験施設を廃止。国立大学法人法の規定により国立大学法人となる。
- 2005年
- 1月 石垣カフェ開店
- 4月 留学生センターを国際交流センターに改組。環境安全保健機構、国際イノベーション機構、国際交流機構、情報環境機構、図書館機構設置。
- 11月 事務本部を経営企画本部と教育研究推進本部に分割・改組
- 12月 京都大学アメフト部レイプ事件
- 2006年
- 4月 薬学教育6年制移行により、薬学部薬学科を6年制に移行(総合薬学科廃止)4年制学科の薬科学科を設置。公共政策大学院(大学院公共政策連携研究部・公共政策教育部)と経営管理大学院(大学院経営管理研究部・経営管理教育部)設置。地域研究統合情報センターを設置し、国立民族学博物館より事業継承。本部事務組織を改組。生存基盤科学研究ユニット設置。
- 7月 次世代開拓研究ユニット設置
- 9月 女性研究者支援センター設置
- 2007年
- 3月 医療短期大学部を廃止
- 4月 こころの未来研究センター、先端医工学研究ユニット、生命科学系キャリアパス形成ユニット設置。
- 2010年4月 iPS細胞研究所設置
- 2011年3月11日 東日本大震災発生。京都大学の設備に被害は無かったが、旅行で仙台空港の傍にいた4年生3人が津波に呑まれ、23日に死亡が判明した。京大は3人とも卒業要件を満たしていたことから、特例で卒業を認めた。
- 2013年
- 2016年
- 4月1日 吉田キャンパス北部構内と大阪府高槻市にあった農学研究科附属農場が木津川市に全面移転。
- 10月1日 ウイルス研究所と再生医科学研究所が統合してウイルス・再生医科学研究所が発足。
- 2017年
- 1月1日 東南アジア研究所と地域研究統合情報センターが統合し、東南アジア地域研究研究所が発足。
- 6月 指定国立大学法人に指定される。
- 2018年
- 4月1日 原子炉実験所を複合原子力科学研究所と改称。放射線生物研究センターを廃止し大学院生命科学研究科に統合。大学院横断教育プログラム推進センター設置。
- 10月 高等研究院ヒト生物学高等研究拠点設置。
- 2019年4月 文化財総合研究センターを廃止し文学研究科に統合。
令和
- 2019年7月 オープンイノベーション機構設置。
- 2020年4月 SARSコロナウイルス2の感染拡大により入学式が中止となる(1969年以来51年ぶり。2021年4月7日に挙行)。
- 2022年4月1日
注釈
- ^ 「京都大学総合人間学部の組織に関する規程」によると、学科目として、人間科学系、国際文明学系、文化環境学系、認知情報学系、自然科学系がある。2017年度入学生用の大学案内「知と自由への誘い」によると、2年進級時に自らが学系を選択する。
- ^ 学系と専修の構成は、「京都大学文学部専修案内2016」 (PDF) による。2回生進級時に「系」に、3 回生進級時に「専修」に分属する。「京都大学文学部の組織に関する規程」によると、学科目として、哲学基礎文化学、東洋文化学、西洋文化学、歴史基礎文化学、行動・環境文化学、基礎現代文化学がある。
- ^ 「京都大学教育学部の組織に関する規程」によると、学科目として、現代教育基礎学、教育心理学、相関教育システム論がある。2017年度入学生用の大学案内「知と自由への誘い」によると、3年次に系に分属する。
- ^ 「京都大学法学部の組織に関する規程」によると、学科目として、基礎法学、公法、民刑事法、政治学がある。なお、学科はない。
- ^ 「京都大学経済学部の組織に関する規程」によると、学科目として、理論・情報、経済史・思想史、財政・金融、産業・労働、国際経済、経営、会計がある。
- ^ 「京都大学理学部の組織に関する規程」によると、学科目として、数学、物理学・宇宙物理学、地球惑星科学、化学、生物科学がある。2017年度入学生用の大学案内「知と自由への誘い」によると、3年次に系に分属する。
- ^ 「京都大学医学部の組織に関する規程」によると、学科目として、分子生物学、細胞学・組織学、発生学・遺伝学、人体構造機能学、臨床入門医学、環境・社会医学、内科学、外科学、眼科学、婦人科学・産科学、小児科学、皮膚科学、形成外科学、泌尿器科学、耳鼻咽喉科学、整形外科学、精神医学、放射線医学・核医学、麻酔学、臨床神経学、臨床検査医学、口腔外科学がある。
- ^ コース、講座の構成は、2017年度入学生用の大学案内「知と自由への誘い」による。
- ^ 「京都大学薬学部の組織に関する規程」によると、学科目として、医療薬科学がある。
- ^ 「京都大学薬学部の組織に関する規程」によると、学科目として、創薬科学がある。
- ^ 「京都大学工学部の組織に関する規程」によると、学科目として、土木工学、環境工学、資源工学がある。
- ^ 「京都大学工学部の組織に関する規程」によると、学科目として、建築学がある。
- ^ 「京都大学工学部の組織に関する規程」によると、学科目として、機械システム学、材料科学、エネルギー応用工学、原子核工学、宇宙基礎工学がある。
- ^ 「京都大学工学部の組織に関する規程」によると、学科目として、電気電子工学がある。
- ^ 「京都大学工学部の組織に関する規程」によると、学科目として、計算機科学、数理工学がある。
- ^ 「京都大学工学部の組織に関する規程」によると、学科目として、創成化学、工業基礎化学、化学プロセス工学がある。
- ^ 2024年4月から、理工化学科に名称が変更される。 “工学部工業化学科は、2024(令和6)年4月より「理工化学科」に学科名称を変更します | 京都大学”. 2023年8月25日閲覧。
- ^ 「京都大学農学部の組織に関する規程」によると、学科目として、資源生物科学がある。
- ^ 「京都大学農学部の組織に関する規程」によると、学科目として、応用生命科学がある。
- ^ 「京都大学農学部の組織に関する規程」によると、学科目として、地域環境工学がある。
- ^ 「京都大学農学部の組織に関する規程」によると、学科目として、食料・環境経済学がある。
- ^ 「京都大学農学部の組織に関する規程」によると、学科目として、森林科学がある。
- ^ 「京都大学農学部の組織に関する規程」によると、学科目として、食品生物科学がある。
出典
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- ^ 基本理念 — 京都大学 2001年
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- ^ 京都大学附置研究所・センター主催シンポジウム 挨拶
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- ^ “World University Rankings 2024” (英語). タイムズ・ハイアー・エデュケーション. 2023年10月5日閲覧。
タイムズ・ハイアー・エデュケーション
世界大学ランキング 2004-20132004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年 2010年 2011年 2012年 2013年 世界ランク 29 31 29 25 25 25 57 52 54 52 アジア順位 4 4 5 3 2 3 8 5 7 7 国内順位 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 タイムズ・ハイアー・エデュケーション
世界大学ランキング 2014-20232014年 2015年 2016年 2017年 2018年 2019年 2020年 2021年 2022年 2023年 世界ランク 59 88 91 74 65 65 54 61 68 =55 アジア順位 9 9 11 9 10 10 7 10 13 =10 国内順位 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 (注記)順位の数字の前にイコール記号が付く場合は、
原典の表記の通り、同点順位であることを表す。 - ^ “World Reputation Rankings 2022” (英語). タイムズ・ハイアー・エデュケーション. 2023年10月5日閲覧。
- ^ “QS World University Rankings 2024: Top global universities” (英語). クアクアレリ・シモンズ. 2023年10月5日閲覧。
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