井手正太郎 井手正太郎の概要

井手正太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/03 14:56 UTC 版)

井手 正太郎
20140323 Shotaro Ide outfielder of the Yokohama DeNA BayStars,at Seibu Dome.JPG
2014年3月23日 西武ドームにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮崎県西諸県郡野尻町(現:小林市
生年月日 (1983-10-10) 1983年10月10日(33歳)
身長
体重
179 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 2001年 ドラフト8位
初出場 2004年3月27日
最終出場 2016年5月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴

プロ入り前

高校は日南学園高に入学[1]。一般入学の無名選手であったが[1]、1年生時から三塁手のレギュラーの座を掴み[1]、3年生時には第83回全国高等学校野球選手権大会に出場[1]。3番・遊撃手として出場し、6割以上の打率を残した[1]。アジアAAA選手権の代表にも選ばれる。チームは決勝で敗れたが、自身は打撃部門の三冠を獲得した[1]

2001年度ドラフト会議にて福岡ダイエーホークスから8巡目指名を受けて入団。ホークスが重視している「地元九州ブランド」の選手としての指名でもあった。

ダイエー・ソフトバンク時代

2002年2003年は二軍生活に終始。2004年には、オープン戦で実績を残したことから、公式戦の開幕を初めて一軍で迎えた。3月27日には、オリックス・ブルーウェーブとの開幕戦に、「9番・右翼手」としてスタメンで一軍デビュー。しかし、4月6日の対大阪近鉄バファローズ戦で故障したため、一軍公式戦にはシーズン通算で10試合の出場にとどまった。

2005年には、シーズンの前半を二軍で過ごしたものの、ウエスタン・リーグの公式戦で打率.325、5本塁打という好成績をマーク。後半戦から一軍へ昇格すると、自身初のサヨナラ打や、ヤフードームのライトスタンドに流し打ちで2本の本塁打を放つなど一軍公式戦の随所で活躍した。

2006年には、ウエスタン・リーグ公式戦で打率.302、5本塁打を記録。その一方で、7月の二軍打撃練習中には、育成コーチ(当時)として打撃投手を務めていた田口昌徳の投球が顔面を直撃。その影響で鼻を骨折した。

2007年には、ウエスタン・リーグ公式戦で.365という高打率をマーク。一軍のレギュラー外野手だった多村仁大村直之の故障などを背景に、一軍公式戦にも61試合に出場したが、打率.235で一軍への定着までには至らなかった。シーズン終了後に結婚を発表。

2008年には、オープン戦でレギュラー級の外野手に故障者が続出したため、左翼手として一軍の開幕戦からスタメン出場を続けた。一時はパシフィック・リーグの2位まで打率を上げたが、4月13日の対埼玉西武ライオンズ戦での外野守備中に、飛球を追った際に右足首を捻挫[2]。翌14日に出場選手登録を抹消されたが、シーズン終盤に一軍へ復帰。一軍公式戦全体では、故障の影響で23試合の出場にとどまったものの、打率.324を記録した。

2009年には、一軍公式戦8試合に出場したが、打率が.056(18打数1安打)に低迷した。

横浜・DeNA時代

2010年公式戦開幕直後の4月20日に、吉川輝昭との交換トレードで横浜ベイスターズへ移籍することが発表された。移籍後の入団会見では「ソフトバンクではチャンスがなく、外(他球団)でやりたいという気持ちはあった」とトレードを歓迎する姿勢を見せた[3]。移籍後の5月4日には、対広島東洋カープ戦(横浜スタジアム)でサヨナラ安打を放ったことから、試合後のヒーローインタビューで宮崎弁を披露[4]。1週間後の5月11日恥骨結合部分の炎症が判明したため、一時戦線を離脱したが、一軍公式戦には49試合に出場。一軍公式戦では自身3年振りの本塁打も放った。

2011年には、背番号を26、ユニフォーム表記をホークス時代の「S.IDE」に変更[5]。しかし、国内FA権の行使によって北海道日本ハムファイターズから移籍した森本稀哲が外野のレギュラーに定着したことなどから、自身の一軍公式戦出場は13試合にとどまった。

2012年には、シーズン終盤の9月28日に初めて出場選手登録を果たすと、一軍公式戦11試合の出場で2本の本塁打を放った。

2013年には、一軍公式戦32試合に出場。移籍後最多の11打点打率.310を記録した。

2014年には、開幕一軍入りを果たしたものの、シーズンを通じて一軍と二軍を何度も往復。イースタン・リーグ公式戦では、打率.380、7本塁打、26打点という好成績を残した。一軍公式戦には、36試合の出場で、打率.205ながら3本塁打を放った。

2015年は、一軍公式戦40試合に出場。自己最多の4本塁打を放つなど、チームの前半戦首位に貢献した。後半戦にチームが失速すると、自身も不調に陥ったため、シーズン通算打率は.255にとどまった。

2016年は、一軍での貧打を解消すべく、公式戦開幕直後の4月9日にシーズン初の出場選手登録。登録後の一軍公式戦では、3番・5番打者としてスタメンに起用された後に、途中で代走や守備要員と交代することが多かった。通算では27打数7安打という成績を残したが、5月9日の登録抹消後は一軍から遠ざかった。10月2日に球団から戦力外通告を受ける[6]と、12月2日付で、NPBから自由契約選手として公示[7]

井手自身は、戦力外通告を受けたことを機に、現役からの引退をいったん決断した。2015年から原因不明の嘔吐に苦しめられてきたほか、2016年の春季キャンプで人生初のぎっくり腰に見舞われたことを境に、これまで自分で修正できていたスイングのずれを直せなくなったことによる。しかし、周囲から現役生活の続行を勧められたたこと[8]から、2016年11月12日12球団合同トライアウト阪神甲子園球場)へ参加。シートバッティング形式の対戦で、5人の投手を相手に、5打数1安打という結果を残した[9]。しかし、NPB他球団から獲得のオファーを受けるに至らなかったため、前述の決断に沿って現役を引退した[8]

現役引退後

DeNA球団に引き続き在籍。2017年からは、球団職員として、地域の野球振興に取り組む[8]

エピソード・人物

ソフトバンク時代(2009年9月)
  • 既婚者で、3人の子どもがいる[10]
  • ホークス時代のチームメイトで先輩でもあった川崎宗則と仲が良く、同球団への入団2年目からDeNAで現役を引退するまで、オフシーズンには鹿児島県姶良市での自主トレに同行。現役引退を決断したことを電話で伝えた際には、川崎から明るい声で「良かったな!凄いぞ、15年間も(現役を)やったのは!」と励まされた。井手によれば、川崎は「兄のような存在」で、川崎の実父(電気工事店店主)を『パパリン』と呼んでいるいう。
  • 同学年の寺原隼人は高校当時、ソフトバンク時代、横浜移籍時共にチームメイトとなった。寺原が10月9日生まれ、井手が10月10日生まれと誕生日も1日違いである。
  • ホークス在籍当時は公式サイトにて正太郎日記というコラムを執筆していた。
  • 脇役としての自覚からレギュラー獲りを目標とせず、「細く長く」プロ生活を送る事を目標に掲げていた[10]
  • 在籍した2球団ではいずれも親会社の変更によるチーム名の変更(福岡ダイエー→福岡ソフトバンク、横浜→横浜DeNA)を経験している。



[ヘルプ]
  1. ^ a b c d e f 月刊ホークス2007年1月号、P54-57
  2. ^ “ソフト井手が捻挫 出場選手登録抹消へ”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2008年4月13日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2008/04/13/kiji/K20080413Z00000650.html 2013年4月15日閲覧。 
  3. ^ “井手が横浜入団会見、寺原と「すごい縁だな」”. サンケイスポーツ. (2010年4月23日). http://www.sanspo.com/baseball/news/100423/bse1004231524001-n1.htm 2010年5月3日閲覧。 
  4. ^ “宮崎弁でお立ち台!井手、新天地で初の大仕事”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2010年5月5日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/05/05/kiji/K20100505Z00001640.html 2013年4月15日閲覧。 
  5. ^ 2011年度 新背番号および登録名変更のお知らせ(2010年12月6日付)。ホークス時代に井出竜也(2005年~2006まで現役、2007年からはコーチ)が入団してきたことから表記を区別されていた。余談だが、2010年シーズン中に井出竜也が週刊ベースボール上で「井手が移籍したが背中の表記はどうなるのか」という旨のコメントをしたことがある。
  6. ^ 2017年度 選手契約について”. 横浜DeNAベイスターズ公式サイト (2016年10月2日). 2016年10月2日閲覧。
  7. ^ 自由契約選手|2016年度公示”. NPB.jp 日本野球機構 (2016年12月2日). 2016年12月3日閲覧。
  8. ^ a b c “【決断】DeNA井手 納得の15年 母と兄貴分ムネさんからねぎらい”. スポーツニッポン. (2016年12月21日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/12/21/kiji/20161220s00001173438000c.html 2016年12月21日閲覧。 
  9. ^ “65人が参加/12球団合同トライアウト詳細”. 日刊スポーツ. (2016年11月12日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1736002.html 2016年11月13日閲覧。 
  10. ^ a b キヨシDeNA11連勝ハマスタ劇場 5点差逆転!サヨナラ勝ち スポニチ 2015年5月23日


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