与謝野晶子 その他

与謝野晶子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/01 09:08 UTC 版)

その他

南海本線堺駅前の銅像
  • 与謝野という姓は、京都府北部与謝郡与謝野町に由来する。
  • 1907年(明治40年)3月、晶子は女の双生児を出産。命名を頼まれた森鷗外はその名(八峰・七瀬)を織り込んだ歌「聟(むこ)きませ一人は山の八峰(やつお)こえ一人は川の七瀬(ななせ)わたりて 」を贈っている[注釈 10]
  • 映画『華の乱』(1988年、東映京都制作所、深作欣二監督)は与謝野晶子の生涯を描く。吉永小百合が晶子を演じている。原作のひとつ『夢のかけ橋―晶子と武郎有情』(永畑道子著)は、晶子の有島武郎に対する仄かな恋心を探ったもの。
  • 1998年(平成10年)5月に生誕120周年を記念して堺市の南海本線堺駅西口に銅像が建てられた。
  • 内閣官房長官拉致問題担当大臣経済財政政策担当大臣規制改革担当大臣財務大臣金融担当大臣兼経済財政政策担当大臣などを歴任した与謝野馨は晶子の孫にあたる。馨が満3歳9か月の時に祖母・晶子が死去している。初めて衆議院議員選挙で落選し、浪人生活を送っているときに、祖母の詩集『みだれ髪』を復刻した。
  • 晶子が死去する直前に病床で書いた、短歌の草稿ノートが2014年に発見された。短歌は約90首収録されており、日付は1941年10月から1942年1月2日となっている[9]

演じた人物

晶子渡欧のシーンでは実際に晶子が着用した衣装を着て出演した[39]

脚注


注釈

  1. ^ a b 生家の駿河屋は大道筋 - 西六間筋間の街区にあった。この街区と西六間筋は、戦災復興事業によって大道筋を50メートル道路へ拡幅するための道路用地に充てられ、現在は道路上となっている。
  2. ^ 『柵草紙』とその後継誌『めざまし草』は、いずれも森鴎外を中心にした同人誌。
  3. ^ うち1人は生後2日で亡くなる。
  4. ^ 鴎外の紹介により、三越の事実上のオーナーである日比翁助から洋行費の補助として千円が贈与された[4]
  5. ^ 出発に際して平塚らいてうなど総勢500余名が見送ったという。
  6. ^ その中で鴎外は、「僕が特に言わなくてはならない事は無いだらう。併し樋口一葉さんが亡くなってから、女流のすぐれた人を推すとなると、どうしても此人であらう。晶子さんは何事にも人真似しない。個人性がいつも確かに認められる。(中略)序だが、晶子さんと並べ称することが出来るかと思ふのは、平塚明子さんだ。(下略)」と評した。ちなみに、与謝野鉄幹とも親交があった鴎外は、晶子が産んだ双子(七瀬、八峰)の名づけ親になっており、当時、母を亡くして落胆していた晶子に「婿きませひとりは山の八峰越えひとりは川の七瀬わたりて」という歌を送った[5]
  7. ^ 1930年に女学部長就任[6]
  8. ^ 日露戦争当時は満州事変後の昭和の戦争の時期ほど言論弾圧が厳しかったわけではなく、白鳥省吾木下尚江中里介山大塚楠緒子らにも戦争を嘆く詩を垣間見ることができる。
  9. ^ 入江春行によれば、「中国をやっつけろと盛り上がる世論の中で、悲しいと詠む歌は発表できなかったのだろう」という[18]
  10. ^ 七瀬はのちに有島武郎の甥と、八峰は孝橋謙二と結婚した。

出典

  1. ^ a b "与謝野 晶子". 「20世紀日本人名事典」(2004年刊). コトバンクより2022年5月14日閲覧
  2. ^ 「婦人と文学」宮本百合子。跡取りの男児が望まれていたため、晶子は12歳まで男の子の格好で過ごした。
  3. ^ a b 北俊夫 編『郷土の発展につくした先人』偕成社〈しらべよう!47都道府県〉、2021年4月、27-29頁。 
  4. ^ 金子(1992)、295頁。
  5. ^ 金子(1992)、288-289頁、299頁。
  6. ^ 沿革”. ryotokuji.ac.jp. 文化学院. 2022年5月14日閲覧。
  7. ^ 神奈川近代文学館『生誕140年与謝野晶子展 こよい逢ふ人みなうつくしき』神奈川近代文学館、2018年3月17日、34頁。 
  8. ^ 神奈川近代文学館『生誕140年与謝野晶子展 こよひ逢ふ人みなうつくしき』神奈川近代文学館、2018年3月17日、62頁。 
  9. ^ a b 読売新聞 2015年10月31日 38面掲載。
  10. ^ a b 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)353頁
  11. ^ 歴史が眠る多磨霊園: 与謝野晶子
  12. ^ さかい利昌の杜”. 2023年3月3日閲覧。
  13. ^ 『みだれ髪』ほるぷ出版、1984年8月1日、258頁。 
  14. ^ 幸津國生『「君しにたまふことなかれ」と『きけ わだつみのこえ』・「無言館」』文芸社、2001年12月15日、26,27頁。 
  15. ^ a b 『知ってるつもり?!恋愛放浪記』日本テレビ放送網、1993年10月17日、162-165頁。 
  16. ^ 「駄獣の群 与謝野晶子」『読売新聞』、1915年(大正4年)12月12日、朝刊、7ページ、日曜付録。
  17. ^ 与謝野寛、与謝野晶子『『鉄幹晶子全集』第16巻』勉誠出版、2004、255-258頁。 
  18. ^ 東京新聞2014年7月12日
  19. ^ 与謝野晶子 著、松平盟子 編『母の愛 与謝野晶子の童話』婦人画報社、1998年12月5日、11頁。 
  20. ^ 平子恭子『年表作家読本 与謝野晶子』河出書房新社、1995年4月15日、92頁。 
  21. ^ 香内信子『與謝野晶子と周辺の人びと』創樹社、1998年7月25日、148,154頁。 
  22. ^ 廣岡守穂「福祉と女性(3) 急進的フェミニスト・与謝野晶子の歌と思想」『白門』61巻9号、中央大学通信教育部、2009年9月、25頁。
  23. ^ 鎌倉市芸術文化振興財団 編『恋ひ恋ふ君と 与謝野寛・晶子』鎌倉市芸術文化振興財団、2006年4月28日、30頁。 
  24. ^ 北俊夫 編『郷土の発展につくした先人』偕成社〈しらべよう!47都道府県〉、2021年4月、27-29頁。 
  25. ^ a b 与謝野晶子の日露戦争 | 鳥飼行博研究室 2023年6月13日閲覧。
  26. ^ a b c d e f g h i j k l m n 与謝野晶子について | 与謝野晶子倶楽部 2020年10月22日閲覧。
  27. ^ a b 『日本文学アルバム 第16 与謝野晶子』(筑摩書房、1955年)p.8
  28. ^ a b c d e f g h 「与謝野家系図」” (PDF). 新修版 与謝野晶子 歌碑・文学碑めぐり. 与謝野晶子倶楽部. 2022年2月15日閲覧。
  29. ^ 『ラテン語と日本語の語源的関係』著者プロフィールより
  30. ^ 与謝野 信|公認候補者|2017年 衆院選特設サイト|「この国を、守り抜く。」自由民主党 2020年10月22日閲覧。
  31. ^ 平子恭子『年表作家読本 与謝野晶子』河出書房新社、1995年4月15日、136頁。 
  32. ^ 鎌倉市芸術文化振興財団 編『恋ひ恋ふ君と 与謝野寛・晶子』鎌倉市芸術文化振興財団、2006年4月28日、39頁。 
  33. ^ 平子恭子『年表作家読本 与謝野晶子』河出書房新社、1995年4月15日、90頁。 
  34. ^ 越水利江子他『文に生きる絵に生きる-与謝野晶子、ビクトリア・ポター、リリアン・ヘルマン、いわさきちひろ』岩崎書店、2000年4月20日、37頁。 
  35. ^ 茨木のり子『君死にたもうことなかれ 与謝野晶子の真実の母性』童話社、2007年4月3日、127頁。 
  36. ^ 産経新聞取材班『親と子の日本史 上巻』扶桑社、2004年6月30日、271-275頁。 
  37. ^ 産経新聞取材班『親と子の日本史 上巻』扶桑社、2004年6月30日、273頁。 
  38. ^ 茨木のり子『君死にたもうことなかれ 与謝野晶子の真実の母性』童話社、2007年4月3日、79頁。 
  39. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修室『NHK年鑑'68』日本放送出版協会、1968年、142-143頁。 






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