三島由紀夫 参考文献

三島由紀夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/08/31 00:30 UTC 版)

参考文献

  • 荒木精之 『初霜の記 三島由紀夫と神風連』 日本談義社、1971年11月
  • 磯田光一 『三島由紀夫全論考・比較転向論序説』 小沢書店〈磯田光一著作集1〉、1990年6月
  • 井上豊夫 『果し得ていない約束--三島由紀夫が遺せしもの』 コスモの本、2006年10月ISBN 4-906380-80-8 - 学生時代に楯の会に所属し、三島由紀夫の薫陶を間近で受けた著者が、誤解されがちな三島の素顔をありのままに語る。
  • 井上隆史 『三島由紀夫 虚無の光と闇』 試論社、2006年。 ISBN 978-4903122069
  • 猪瀬直樹 『ペルソナ 三島由紀夫伝』 文藝春秋1995年11月ISBN 4-16-350810-4
    • 猪瀬直樹 『ペルソナ 三島由紀夫伝』 文藝春秋〈文春文庫〉、1999年11月ISBN 4-16-743109-2
    • 改訂版 『日本の近代 猪瀬直樹著作集2 ペルソナ 三島由紀夫伝』(小学館、2001年11月) 
  • 川島勝 『三島由紀夫』 文藝春秋、1996年2月ISBN 4-16-351280-2 - 著者は講談社の三島担当編集者。
  • 小島千加子 『三島由紀夫と檀一雄』 筑摩書房〈ちくま文庫〉、1996年4月ISBN 4-480-03182-0(元版は構想社、1980年5月)
  • 佐伯彰一 『評伝三島由紀夫』 新潮社1978年
  • 澁澤龍彦 『三島由紀夫おぼえがき』 立風書房、1983年12月
    • 澁澤龍彦 『三島由紀夫おぼえがき』 中央公論社〈中公文庫〉、1986年11月ISBN 4-12-201377-1
  • 青海健 『三島由紀夫とニーチェ 悲劇的文化とイロニー』 青弓社、1992年9月ISBN 4-7872-9066-5 - 三島文学を日本ポストモダン文学の先駆と位置付け、「物語の死」からの再生を試みる。
  • 青海健 『三島由紀夫の帰還 青海健評論集』 小沢書店、2000年1月ISBN 4-7551-0393-2 - 島田雅彦吉本ばなな村上龍村上春樹中上健次の作品評論を含む。
  • 『三島由紀夫が死んだ日 あの日、何が終り何が始まったのか』 中条省平編・監修、実業之日本社、2005年4月ISBN 4-408-53472-2
  • 『続・三島由紀夫が死んだ日 あの日は、どうしていまも生々しいのか』 中条省平編・監修、実業之日本社、2005年11月ISBN 4-408-53482-X
  • 徳岡孝夫 『五衰の人 三島由紀夫私記』 文藝春秋、1996年11月ISBN 4-16-352230-1
    • 徳岡孝夫 『五衰の人 三島由紀夫私記』 文藝春秋〈文春文庫〉、1999年11月ISBN 4-16-744903-X
  • 西部邁 「109 三島由紀夫」『学問』 講談社、2004年、351-353頁。ISBN 4-06-212369-X
  • 林房雄 『悲しみの琴 三島由紀夫への鎮魂歌』 文藝春秋、1972年
  • 平岡梓 『伜・三島由紀夫』 文藝春秋、1972年-続編 『伜・三島由紀夫 没後』 (同、1974年)も出版した。
    • 平岡梓 『伜・三島由紀夫』 文藝春秋〈文春文庫〉、1996年11月ISBN 4-16-716204-0
  • 坊城俊民 『焔の幻影 回想三島由紀夫』 角川書店1972年 - 若き日の先輩としての回想、晩年の三島からの書簡3通を収録。
  • 三谷信 『級友 三島由紀夫』 笠間書院1985年 - 三島からの書簡と若き日の三島の回想。
    • 三谷信 『級友 三島由紀夫』 中央公論新社〈中公文庫〉、1999年
  • 村松剛 『三島由紀夫の世界』 新潮社、1990年9月ISBN 4-10-321402-3
  • 『三島由紀夫 没後35年・生誕80年 増補新版河出書房新社〈KAWADE夢ムック 文藝別冊〉、2012年4月ISBN 4-309-97770-7
  • 吉田和明 『三島由紀夫』 現代書館〈フォー・ビギナーズ・シリーズ 35〉、1985年ISBN 4-7684-0035-3
  • 梶山季之責任編集「三島由紀夫の無視された家系」、『月刊 噂 八月号』第2巻第8号、噂発行所、1972年8月、 48-62頁。
  • 佐藤朝泰 『豪閥 地方豪族のネットワーク』 立風書房、2001年、pp. 214, 297。

外国人著者による三島論

(原題"The Life nad Death of Yukio Mishima"、1975年刊、英語。著者は、ファイナンシャル・タイムズ元日本支局長)
(原題"Mishima: A Biography"、1974年刊、英語。 上記は遺族の意向で一旦絶版になった)
  • ジェニフェール・ルシュール『三島由紀夫』鈴木雅生訳、祥伝社新書 2012年
(原題"Mishima"、2011年刊、フランス語。上記2冊を下敷きにしてまとめたもの)
(原題"Mishima ou la vision du vide"、1981年刊、フランス語)

主な研究目録・書誌文献

  • 『定本三島由紀夫書誌』 島崎博・三島瑶子共編、薔薇十字社、1972年 - 序文は瑤子夫人
自決直前の三島自身に依頼を受け編まれた。生前までの書誌目録の他に、蔵書目録(一部)を収録。
  • 『再訂資料・三島由紀夫』 福島鑄郎編・著、朝文社、2005年 - 編者は1975年以来、5度改訂刊行した。
  • 『三島由紀夫 古本屋の書誌学』 大場啓志、ワイズ出版、1998年 - 編者は古書店「龍生書林」店主。
  • 『三島由紀夫全文献目録』 安藤武編、夏目書房、2000年、※同書房は2007年に倒産
編者は大部の伝記『三島由紀夫の生涯』(夏目書房)、『三島由紀夫「日録」』(未知谷)などがある。
  • 『決定版 三島由紀夫全集第42巻・年譜・書誌』 佐藤秀明・井上隆史・山中剛史編、新潮社、2005年
編者らは、『三島由紀夫事典』(勉誠出版、2000年)、『三島由紀夫研究』(鼎書房)など多数の関連著作を出版。
  • 『三島由紀夫研究文献総覧』 山口基編、出版ニュース社、2009年
編者は三島と親しかった古書店「山口書店」店主で、私家版で数度刊行した。



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注釈

  1. ^ 慶応大学病院法医学部の斉藤教授の解剖所見に記載されている。
  2. ^ 読者圏が全国に広がっていた『文藝文化』に公威の『花ざかりの森』を掲載するに際し、公威の文学活動を反対していた親(平岡梓)の思惑や、まだ学習院の中学生であったことなどを憂慮し、清水文雄と同人たちが筆名での作品発表を提案したという。清水文雄は、「今しばらく平岡公威の実名を伏せて、その成長を静かに見守っていたい ― というのが、期せずして一致した同人の意向であった」と、同人誌の修善寺での合宿会議を回想している。
  3. ^ 全文は、「『花ざかりの森』の作者は全くの年少者である。どういふ人であるかといふことは暫く秘しておきたい。それが最もいいと信ずるからである。若し強ひて知りたい人があつたら、われわれ自身の年少者といふやうなものであるとだけ答へておく。日本にもこんな年少者が生まれて来つつあることは何とも言葉に言ひやうのないよろこびであるし、日本の文学に自信のない人たちには、この事実は信じられない位の驚きともなるであらう。この年少の作者は、併し悠久な日本の歴史の請し子である。我々より歳は遙かに少いが、すでに、成熟したものの誕生である。此作者を知つてこの一篇を載せることになつたのはほんの偶然であつた。併し全く我々の中から生れたものであることを直ぐに覚つた。さういふ縁はあつたのである」(蓮田善明「編集後記・文藝文化 昭和16年9月号)
  4. ^ 『東文彦作品集』(講談社、1971年。講談社文芸文庫、2007年)の序文で、東との交友を振り返りつつ、当時を、「文学に集中できたむしろアリストテレス的静的な時代」であったと自ら回顧している。
  5. ^ 村松剛は、「倭文重さんはいくつかの愚痴をぼくにいった。(中略)『学習院の中等科を終るときに、一高を受験させたのですよ。でも学習院程度の学校では、一高は無理だったのね。一高のバンカラ生活を経験していたら、公威もあんなことしなかったと思うの』 『あんなこと』が自衛隊入りいらいの彼の生活をさすことは、いうまでもない。学習院から一高にはいった例は、近衛文麿がそうであるように少数ながら過去になかったわけではなく、それに一高の生活も外見ほどにはバンカラではない。そう思ったのだが、このときはだまってきいていた。『学習院に入れると決めてしまったのは、義母ですからね』 (中略)つまり息子を死に向かって突走らせた責任の大本は姑にあると、倭文重さんはいいたかったのである」と、『三島由紀夫の世界』(新潮社、1990年)で書いている。この著書と同種の内容は筑波論文([1])参照のこと。
  6. ^ ただし近衛文麿児島喜久雄松平恒雄は学習院中等科から一高を出ており、一高出身の村松剛も、「学習院から一高にはいった例は、近衛文麿がそうであるように少数ながら過去になかったわけではなく」と、『三島由紀夫の世界』(新潮社、1990年)で書いている。
  7. ^ 村松剛も、「文学上の師や仲間が、三島のまわりには形成されていた。(中略)中等科五年の九月からは、師の清水文雄氏の推挽によって『花ざかりの森』を、彼は“文藝文化”に連載しはじめる。(中略)三島にとっては一高よりも学校外の雑誌に発表の舞台をあたえられたことの方が魅力的であり」と、『三島由紀夫の世界』(新潮社、1990年)で述べ、小説の書き直しなどに夢中になっていた三島が、もし受験していたとしても、及第している方が不思議だという見解を示している。
  8. ^ なお、三谷隆信の三女・正子は鮎川義介の息子・鮎川弥一に嫁いだため、三谷邦子は、のち鮎川純太の義理の伯母の立場となった
  9. ^ 三島は『潮騒』の名を、万葉集の歌、「潮騒(しほさゐ)に 伊良虞(いらご)の島辺(しまへ) 漕ぐ舟に 妹(いも)乗るらむか 荒き島廻(しまみ)を」からとった(万葉仮名では『潮左為』)。この歌は、持統天皇伊勢に旅された時に、都に残った柿本人麻呂伊良湖岬を歌ったもので、意味は、「さわさわと波がさわいでいる伊良虞の島のあたりを漕いでゆく舟に、今ごろあの娘は乗っているのだろうか、潮の荒いあの島の廻りを」である
  10. ^ 昔の三島は腺病質で、あるパーティでダンスを共にした美輪明宏から、「あら、三島さんのスーツってパットだらけなのね」とからかわれたこともあったという(この時三島は顔色を変え、部屋から出て行ったとされる)。後年、映画『人斬り』(1969年)で共演し、撮影現場の京都に向かう飛行機で乗り合わせた仲代達矢が、「作家なのにどうしてボディービルを?」と尋ねた時、「僕は切腹をして死ぬからだよ」、「本当に切腹する時脂身が出ないよう、腹筋だけにしようと思っているんだ」と答えたという。料亭で呑んだ時は、仲居に向かって、「腹筋をつまんでごらんなさい」と要求して贅肉のない腹部を誇り、仲間内では「俺はミスター腹筋というのだ」と自慢していたと伝えられる。
  11. ^ のち1968年の文庫版には「道成寺」、「熊野」、「弱法師」が加わる
  12. ^ 三島は後年、大島渚との対談『ファシストと革命家か』(映画芸術 1968年1月号に掲載)の中で、「『鏡子の家』でね、僕そんなこというと恥だけど、あれで皆に非常に解ってほしかったんですよ。それで、自分はいま川の中に赤ん坊を捨てようとしていると、皆とめないのかというんで橋の上に立ってるんですよ。誰もとめに来てくれなかった。(中略)その時の文壇の冷たさってなかったんですよ。僕が赤ん坊捨てようとしてるのに誰もふり向きもしなかった」と語っている
  13. ^ 三島は次のように語っている。「……たしかに二・二六事件の挫折によつて、何か偉大な神が死んだのだつた。当時十一歳の少年であつた私には、それはおぼろげに感じられただけだつたが、二十歳の多感な年齢に敗戦に際会したとき、私はその折の神の死の怖ろしい残酷な実感が、十一歳の少年時代に直感したものと、密接につながつてゐるらしいのを感じた。(中略)かくも永く私を支配してきた真のヒーローたちの霊を慰め、その汚辱を雪ぎ、その復権を試みようといふ思ひは、たしかに私の裡に底流してゐた。しかし、その糸を手繰つてゆくと、私はどうしても天皇の『人間宣言』に引つかからざるをえなかつた。昭和の歴史は敗戦によつて完全に前期後期に分けられたが、そこを連続して生きてきた私には、自分の連続性の根拠と、論理的一貫性の根拠を、どうしても探り出さなければならない欲求が生まれてきてゐた。(中略)どうしても引つかかるのは、『象徴』として天皇を規定した新憲法よりも、天皇御自身の、この『人間宣言』であり、この疑問はおのづから、二・二六事件まで、一すぢの影を投げ、影を辿つて『英霊の声』を書かずにはゐられない地点へ、私自身を追ひ込んだ。自ら『美学』と称するのも滑稽だが、私は私のエステティックを掘り下げるにつれ、その底に天皇制の岩盤がわだかまつてゐることを知らねばならなかつた。それをいつまでも回避してゐるわけには行かぬのである」
  14. ^ なお、ドナルド・キーンは、ベストベリー委員長が三島由紀夫について、安部公房ほどは受賞に近づいていなかったと指摘した点については、「スウェーデン人で国連事務総長を務めたダグ・ハマーショルドが『金閣寺』を高く評価することをスウェーデン・アカデミーに伝えており、その推薦は軽視されないということだった。受賞に大変近かったはずだ」と2012年(平成24年)3月23日の読売新聞で述べている[2]。現時点ではまだ1968年度のノーベル賞については開示されていないので、双方の意見の真偽はまだ不明である
  15. ^ 大神神社境内には、「清明」と揮毫された三島由紀夫の記念碑が存在する。名作&風景(1) 三島由紀夫『奔馬』と大神神社 2006年1月23日参照
  16. ^ 林房雄は、このことについて以下のように語っている。「彼ら(NとM)は小沢開策氏や私を感動させたのと同じ物語で、青年ぎらいの三島君を感動させた。少なくとも当初は彼らは見かけどおりに純粋で誠実であったかもしれぬ。だが、彼らは結局『天人五衰』の主人公のような悪質の贋物だった。(中略)ある“大先輩”の一人は、『ひどい目にあったな。結局彼らは戦後派青年の最悪のタイプ、いわば光クラブの連中みたいな奴らばかりだった』とまで極言した。(中略)『楯の会』はいち早く彼らを除名した。三島君は村松剛君を立会人としてNとMに破門と絶縁を申しわたした。その激怒ぶりは尋常ではなかった、と村松君は証言している。(中略)『楯の会』の会員は何度もフルイにかけられて精選された。(中略)前記NやMの光クラブ派は厳しく排除された。」
  17. ^ この理論は既に1968年11月16日茨城大学で行った学生とのティーチインで明らかにされているが、その際には海上自衛隊を6:4に分割することを主張していた(出典:『文化防衛論』文庫版323頁)
  18. ^ 斎藤茂吉は『回顧』のなかで、「橋君は、中学でも秀才であつたが、第一高等学校でもやはり秀才であつた。大学に入つてからは、解剖学西成甫君、生理学橋田邦彦君、精神学の橋健行君といふ按配に、人も許し、本人諸氏も大望をいだいて進まれた」と記している

出典

  1. ^ a b c d e f 安藤武『三島由紀夫「日録」』(未知谷、1996年)
  2. ^ a b 佐伯彰一『評伝 三島由紀夫』(新潮社、1978年。中公文庫、1988年)
  3. ^ 三島由紀夫、没後40年で関連本ラッシュ “仮面”の素顔気さくな一面も (2/2ページ)ウェブ魚拓
  4. ^ 三島由紀夫「東文彦への書簡 昭和16年4月11日付」(『三島由紀夫十代書簡集』)(新潮社、1999年。新潮文庫、2002年)
  5. ^ 佐伯彰一『潮騒』解説・190頁
  6. ^ 安藤武『三島由紀夫 全文献目録』(夏目書房、2000年)p.442
  7. ^ 佐伯彰一『潮騒』解説・190頁
  8. ^ 佐伯彰一『潮騒』解説・190頁
  9. ^ a b c 三谷信『級友 三島由紀夫』(中公文庫、1999年)
  10. ^ 三島由紀夫「ラディゲに憑かれて―私の読書遍歴」(日本読書新聞、1956年2月20日)
  11. ^ a b 坊城俊民『焔の幻影 回想三島由紀夫』(角川書店、1971年)
  12. ^ 蓮田善明「編集後記」(文藝文化 昭和16年9月号に掲載)
  13. ^ 対談『平野啓一郎が聞くドナルド・キーンの世界』(読売新聞 2007年7月31日、8月1日に掲載)
  14. ^ a b c 『三島由紀夫十代書簡集』(新潮社、1999年。新潮文庫、2002年)に所収。
  15. ^ a b c 持丸博と佐藤松男との共著『証言三島由紀夫・福田恆存 たった一度の対決』(文藝春秋、2010年)
  16. ^ 三島由紀夫「社会料理三島亭」(婦人倶楽部 1960年1月号 - 12月号まで連載)
  17. ^ a b c d 『決定版 三島由紀夫全集第42巻・年譜・書誌』(新潮社、2005年)に記載。
  18. ^ 原武史『滝山コミューン一九七四』p.262(講談社、2007年)
  19. ^ a b c d e 福島鑄郎『再訂資料・三島由紀夫』(朝文社、2005年)
  20. ^ 三島由紀夫「法律と文学」「(東大緑会大会プログラム、1961年12月)、三島由紀夫「私の小説作法」「(毎日新聞 1964年5月10日に掲載)
  21. ^ 三島由紀夫「終末感からの出発―昭和二十年の自画像」(新潮 1955年8月号に掲載)
  22. ^ 『決定版 三島由紀夫全集第1巻・長編小説』(新潮社、2000年)に所収。
  23. ^ a b c d e 越次倶子『三島由紀夫 文学の軌跡』(広論社、1983年)
  24. ^ 三島由紀夫「永遠の旅人―川端康成氏の人と作品」(別冊文藝春秋 51号、1956年4月に掲載)
  25. ^ 木村徳三『文芸編集者の戦中戦後』(大空社、1995年)(底本『文芸編集者 その跫音』(TBSブリタニカ、1982年)
  26. ^ a b c d 三島由紀夫私の遍歴時代」(東京新聞夕刊 1963年1月10日 - 5月23日号に掲載)。『私の遍歴時代』(講談社、1964年。ちくま文庫で1995年再刊)
  27. ^ a b c d e f g のち戯曲集『近代能楽集』1956年(昭和31年)に所収。
  28. ^ 三島由紀夫「私のすぽーつ・セカンドウインド」(毎日新聞 1957年6月16日に掲載)
  29. ^ 中井英夫『LA BATEE』p.149(立風書房、1981年)
  30. ^ 「三島由紀夫氏との50問50答」(婦人公論、1967年9月号に掲載)
  31. ^ 「三島氏のプライバシー―なんでも相談 なんでも解答」(PocketパンチOh! 1968年7月号に掲載)
  32. ^ 徳岡孝夫『五衰の人─三島由紀夫私記』(文藝春秋、1997年。文春文庫、1999年)、および、週刊新潮 2009年4月2日号掲載記事・「美智子さまと三島由紀夫のお見合いは小料理屋で行われた」
  33. ^ 椎根和『平凡パンチの三島由紀夫』(新潮社、2007年。新潮文庫、2009年/増補版 河出書房新社、2012年10月)、著者は編集担当者
  34. ^ a b c d e 三島由紀夫「劇画における若者論」サンデー毎日 1970年2月1日号に掲載)
  35. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『決定版 三島由紀夫全集第36巻・評論11』(新潮社、2003年)に所収。
  36. ^ 三島由紀夫「『鏡子の家』そこで私が書いたもの」(「鏡子の家」広告用ちらし、1959年8月)
  37. ^ 三島由紀夫『文化防衛論』(ちくま文庫、2006年)に再録。
  38. ^ a b c d e 村松剛『三島由紀夫の世界』(新潮社、1990年)
  39. ^ 岸田今日子「わたしの中の三島さん」(『決定版 三島由紀夫全集第22巻・戯曲2』付録・月報)(新潮社、2002年)
  40. ^ 三島由紀夫「著者と一時間(「絹と明察」)」(朝日新聞 1964年11月23日に掲載)
  41. ^ http://hometown.infocreate.co.jp/chubu/yamanakako/mishima/sympo/panel.html
  42. ^ 松田和彦「肉体で描かれた三島由紀夫へのオマージュ―ベジャールの『M』」(『三島由紀夫論集III 世界の中の三島由紀夫』)(勉誠出版、2001年)
  43. ^ 藤井浩明「映画『憂国』の歩んだ道」(『決定版 三島由紀夫全集別巻・映画「憂国」』ブックレット内)(新潮社、2006年)
  44. ^ 加藤典洋「その世界普遍性」(『決定版 三島由紀夫全集第21巻・戯曲1』付録・月報)(新潮社、2002年)
  45. ^ 徳岡孝夫『五衰の人─三島由紀夫私記』(文藝春秋、1997年。文春文庫、1999年)
  46. ^ 三島由紀夫「川端康成への書簡 昭和36年5月30日付)(『川端康成・三島由紀夫 往復書簡』)(新潮社、1997年。新潮文庫、2000年)『決定版 三島由紀夫全集第38巻・書簡』(新潮社、2004年)に所収。
  47. ^ 川端康成、ノーベル賞は7年越し 谷崎・西脇も候補者朝日新聞2012年9月20日。
  48. ^ a b 「三島ノーベル賞目前だった」(読売新聞 2014年1月4日号に掲載)
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  51. ^ 特集「知られざる家庭人・三島由紀夫」(女性自身 1970年12月12日号に掲載)
  52. ^ 伊藤勝彦『最後のロマンティーク 三島由紀夫』(新曜社、2006年)
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  54. ^ 森川達也「解説」(文庫版『暁の寺』)(新潮文庫、1977年)p.431
  55. ^ a b c d 三島由紀夫『小説とは何か』(新潮社、1972年)
  56. ^ a b c 『決定版 三島由紀夫全集第34巻・評論9』(新潮社、2003年)に所収。
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  58. ^ a b c d 三島由紀夫『若きサムラヒのために』(日本教文社、1969年。文春文庫で1996年再刊)
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  61. ^ 林房雄『悲しみの琴 三島由紀夫への鎮魂歌』(文藝春秋、1972年)
  62. ^ 山本舜勝『三島由紀夫・憂悶の祖国防衛賦―市ケ谷決起への道程と真相』(日本文芸社、1980年)、『自衛隊「影の部隊」―三島由紀夫を殺した真実の告白』 (講談社、2001年)
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  64. ^ 柴田勝二『三島由紀夫 作品に隠された自決への道』(祥伝社新書、2012年)
  65. ^ 小島千加子『三島由紀夫と檀一雄』(構想社、1980年/ちくま文庫、1989年)
  66. ^ 舩坂弘『関ノ孫六 三島由紀夫、その死の秘密』(光文社カッパ・ブックス、1973年)
  67. ^ 村松友視『夢の始末書』(角川書店、1984年)
  68. ^ 武田泰淳「三島由紀夫氏の死ののちに」(中央公論 1971年1月号に掲載)、のち『評論集 滅亡について』(川西政明編、岩波文庫、1992年)などに収録
  69. ^ 川端香男里佐伯彰一の対談「恐るべき計画家・三島由紀夫―魂の対話を読み解く」(書簡集『川端康成・三島由紀夫 往復書簡』)後記(新潮社、1997年。新潮文庫、2000年)
  70. ^ 西法太郎「三島と川端康成」『三島由紀夫研究会メルマガ』([5]
  71. ^ http://hometown.infocreate.co.jp/chubu/yamanakako/mishima/sympo/panel.html
  72. ^ 虫明亜呂無編『三島由紀夫文学論集Ⅰ』序文(講談社文芸文庫、2006年) ISBN 406198439X
  73. ^ a b c 三島由紀夫と古林尚の対談『三島由紀夫 最後の言葉』(図書新聞 1970年12月12日、1971年1月1日掲載)、のち新潮社で『三島由紀夫 最後の言葉』(新潮カセット。新版 新潮CD、2002年)
  74. ^ a b c d e f 『決定版 三島由紀夫全集第40巻・対談2』(新潮社、2004年)に所収。
  75. ^ 川端康成「序」(『盗賊』)(真光社、1948年)
  76. ^ 村松英子『三島由紀夫 追悼のうた』(阪急コミュニケーションズ、2007年)
  77. ^ 荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」(スクリーン 1956年9月号に掲載)
  78. ^ 井上隆史『三島由紀夫 虚無の光と闇』(試論社、2006年)
  79. ^ 井上隆史「『創作ノート』の楽しみ1 もう一つの『鏡子の家』」(『決定版 三島由紀夫全集第11巻・長編11』付録・月報)(新潮社、2001年)
  80. ^ 佐藤秀明『日本の作家100人 三島由紀夫』(勉誠出版、2006年)
  81. ^ 青海健『三島由紀夫の帰還 青海健評論集』(小沢書店、2000年)
  82. ^ a b ジョン・ネイスン『三島由紀夫―ある評伝』(新潮社、2000年)
  83. ^ 三島由紀夫『「変革の思想」とは ― 道理の実現』(読売新聞 1970年1月19・21・22日に連載)
  84. ^ 詳細は松藤竹二郎『血滾ル三島由紀夫「憲法改正」』(毎日ワンズ、2006年) ISBN 4901622048で紹介されている
  85. ^ a b 西尾幹二「三島由紀夫の死と日本の核武装」(WILL 2011年2月号に掲載) [6]
  86. ^ 『三島由紀夫―没後35年・生誕80年』(河出書房新社、2005年)に再録。
  87. ^ a b c d 林房雄との対談『対話・日本人論』(番町書房、1966年。夏目書房で新版、2002年)
  88. ^ 三島由紀夫『英霊の聲』(文藝 1966年6月号に掲載)
  89. ^ 中条省平編『続・三島由紀夫が死んだ日』(実業之日本社、2005年)p.185
  90. ^ a b c d e f g h i j のち『源泉の感情 三島由紀夫対談集』(河出書房新社、1970年。河出文庫で2006年再刊)に所収。
  91. ^ 鈴木邦男「『女帝』を認めた三島の真意」(『遺魂 三島由紀夫と野村秋介の軌跡』)(無双舎、2010年) ISBN 4864084394
  92. ^ 松本徹「三島は女系天皇をみとめていなかった―男系天皇論者であることは、三島の作品を読んで、その男女観からも明らか」(三島由紀夫の総合研究、2012年6月24日号) [7]
  93. ^ 松藤竹二郎『日本改正案 三島由紀夫と楯の会』(毎日ワンズ 2005年)
  94. ^ 三島由紀夫「愛国心−官製のいやなことば」(朝日新聞1968年1月8日に掲載)
  95. ^ 島田雅彦磯田光一「模造文化の時代」(新潮 1986年8月号に掲載)
  96. ^ 松本健一『三島由紀夫の二・二六事件』(文春新書、2006年)、『畏るべき昭和天皇』(毎日新聞社、2007年。新潮文庫、2011年)、原武史『昭和天皇』(岩波新書、2008年)など。
  97. ^ 三島由紀夫『日本への信条』(愛媛新聞 1967年1月1日に掲載)
  98. ^ 三島由紀夫「生徒を心服させるだけの腕力を――スパルタ教育のおすすめ」(文芸朝日 1964年7月号に掲載)
  99. ^ a b c 三島由紀夫「発射塔 古典現代語訳絶対反対」(読売新聞夕刊コラム 1960年7月6日 - 10月26日連載)
  100. ^ 島崎博三島瑤子『定本三島由紀夫書誌』(薔薇十字社1971年
  101. ^ 大野茂『サンデーマガジン 創刊と死闘の15年』(光文社新書、2009年)
  102. ^ a b c d e f g h i j k 猪瀬直樹『ペルソナ 三島由紀夫伝』(文藝春秋、1995年)
  103. ^ 「宴のあと」事件 第一審判決 損害賠償請求事件(1964年(昭和39年)9月28日)判決 [8]
  104. ^ 1989年4月に新潮社で、カセット「三島由起夫・最後の言葉」が、新版は2002年6月に、〈新潮CD〉で出されている。
  105. ^ a b 板坂剛『真説 三島由紀夫 謎の原郷』(夏目書房、1998年)
  106. ^ 三島由紀夫の手紙無断使用事件 判例全文 [9]
  107. ^ a b c d e f 「三島由紀夫の無視された家系」(梶山季之責任編集『月刊噂』1972年8月号所載)
  108. ^ a b c 野坂昭如『赫奕たる逆光 私説・三島由紀夫』(文藝春秋、1987年)
  109. ^ a b c 平岡梓『倅・三島由紀夫』(文藝春秋、1972年)
  110. ^ a b 藤井浩明「座談会 映画製作の現場から」(『三島由紀夫と映画 三島由紀夫研究2』)(鼎書房、2006年)
  111. ^ a b c d 岡山典弘「三島由紀夫と橋家 もう一つのルーツ」(『三島由紀夫と編集 三島由紀夫研究11』)(鼎書房、2011年)
  112. ^ 紀平悌子「三島由紀夫の手紙」(週刊朝日 1974年12月13日号連載手記)
  113. ^ 解題・岸田今日子との対話「25周年 最後の秘話」(猪瀬直樹『ペルソナ 三島由紀夫伝』)(小学館、2001年)
  114. ^ 今村均『今村均回顧録』(芙蓉書房出版、新版1993年)
  115. ^ 小野繁『平岡家系図解説』(1971年)
  116. ^ a b c d e f g 板坂剛『極説・三島由紀夫』(夏目書房、1997年)
  117. ^ a b 『決定版 三島由紀夫全集第38巻・書簡』(新潮社、2004年)
  118. ^ a b c 仲野羞々子「農民の劣等感 三島由紀夫の虚勢」(『農民文学』第九十三号、1971年2月号所載)
  119. ^ 三島由紀夫「フランスのテレビに初主演 文壇の若大将三島由紀夫氏」(毎日新聞 1966年3月10日に掲載)
  120. ^ a b 岩下尚史『ヒタメン 三島由紀夫が女に逢う時…』(雄山閣 、2011年)
  121. ^ 伊達宗克編『裁判記録「三島由紀夫事件」』(講談社、1972年)
  122. ^ 福島鑄郎『資料・三島由紀夫』(双柿舎、1982年増補改訂版)
  123. ^ a b c 私の履歴書 第22集』(日本経済新聞社、1964年)、『私の履歴書 経済人7』(日本経済新聞社出版局、1980年)
  124. ^ a b 『永井亨博士回顧録 思い出話』
  125. ^ a b c のち戯曲集『近代能楽集』文庫版1968年(昭和43年)に所収。
  126. ^ a b c d e f g h i j k l m のち『尚武のこころ 三島由紀夫対談集』(日本教文社、1970年。1986年再刊)に所収。
  127. ^ a b c d e f g 『決定版 三島由紀夫全集第41巻・音声(CD)』(新潮社、2004年)に収録。
  128. ^ この鼎談自体は、1967年(昭和42年)に行われた
  129. ^ この講演「日本の歴史と伝統に立って」は、『憂国の論理』(日本教文社、1970年)に収録。
  130. ^ a b c のち評論『太陽と鉄』エピロオグに収録。
  131. ^ 三島由紀夫「『黒蜥蜴』」(東横劇場プログラム 1968年4月に掲載)
  132. ^ 小高根二郎『詩人 伊東静雄』(新潮社、1971年)
  133. ^ 三島由紀夫「伊東静雄の詩―わが詩歌」(文芸誌・新潮 1966年11月号に掲載)
  134. ^ 『近代作家追悼文集成(42)三島由紀夫』(ゆまに書房、1999年)に所収。
  135. ^ 石原慎太郎『三島由紀夫の日蝕』(新潮社、1991年)
  136. ^ 石原慎太郎「肉体の哲学―老いについて」(プレジデント 2001年7月13日号に掲載)
  137. ^ 宮崎正弘『三島由紀夫の現場』(並木書房、2006年)
  138. ^ 石原慎太郎「今、蘇る危うい予告」(『別冊太陽 三島由紀夫』)(平凡社、2010年)
  139. ^ 伊沢甲子麿「思い出の三島由紀夫」(『決定版 三島由紀夫全集第39巻・対談』、付録月報より)(新潮社、2004年)
  140. ^ 三島由紀夫『裸体と衣裳』(公開日誌で「新潮」 1958年4月 - 1959年9月号に連載)
  141. ^ 三島由紀夫「雷蔵丈のこと」(日生劇場プログラム 1964年1月に掲載)、序文として、市川雷蔵『雷蔵、雷蔵を語る』 (飛鳥新社、1995年)に再録されている。
  142. ^ 大西望「市川雷蔵の『微笑』―三島原作映画の市川雷蔵」(『三島由紀夫と映画 三島由紀夫研究2』)(鼎書房、2006年)
  143. ^ 村松剛『西欧との対決―漱石から三島、遠藤まで』(新潮社、1994年)
  144. ^ 今東光「本当の自殺をした男」(文藝春秋 1972年6月号に掲載)
  145. ^ 三島由紀夫『現代女優論――越路吹雪』(朝日新聞 1961年7月15日号に掲載)。『決定版 三島由紀夫全集第31巻・評論6』(新潮社、2003年)に所収。
  146. ^ 『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会メルマガ会報、2012年3月19日号)
  147. ^ 宮崎正弘「書評」(『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会メルマガ会報 2006年12月18日号)[10]澁澤龍彦・澁澤龍子『澁澤龍彦の古寺巡礼』(平凡社コロナ・ブックス、2006年)
  148. ^ a b のち『芸術断想 三島由紀夫のエッセイ(4)』(ちくま文庫、1995年。復刊2010年)に所収。
  149. ^ 高橋和巳『生涯にわたる阿修羅として』(徳間書店、1970年)に所収。
  150. ^ 遺著『自立の思想』(文和書房、1971年)に所収。
  151. ^ 野原一夫『回想 太宰治』(新潮社、1980年)
  152. ^ a b 『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会メルマガ会報 2013年11月29日号)
  153. ^ 『三島由紀夫事典』(明治書院、1976年)
  154. ^ 西尾幹二『三島由紀夫の死と私』(PHP研究所、2008年)に収録。
  155. ^ のち『作家論』(中央公論社、1970年。中公文庫、1974年)に収録。
  156. ^ a b のち、横尾忠則装幀による『新輯 薔薇刑』(集英社、1971年)、復刻版『薔薇刑』(新版 集英社、1984年)が出版されている
  157. ^ 双方の弟子による対論、持丸博・佐藤松男『証言 三島由紀夫・福田恆存 たった一度の対決』(文藝春秋、2010年)があり、冒頭に上記対談も収録されている。
  158. ^ 湯浅あつ子『ロイと鏡子』(中央公論社、1984年)
  159. ^ ユリイカ 詩と批評 特集三島由紀夫」(1986年5月号、青土社)に掲載
  160. ^ 山本舜勝『三島由紀夫・憂悶の祖国防衛賦―市ケ谷決起への道程と真相』(日本文芸社、1980年)、『自衛隊「影の部隊」―三島由紀夫を殺した真実の告白』 (講談社、2001年)
  161. ^ 『保田與重郎全集第10巻』(講談社、1986年)に所収。
  162. ^ 横尾忠則「三島由紀夫氏のこと」『横尾忠則 画境の本懐(道の手帳)』(河出書房新社、2008年)
  163. ^ 横尾忠則『インドへ』(文藝春秋、1977年、文春文庫、1983年)
  164. ^ 三島由紀夫『一S・Fファンのわがままな希望』(宇宙塵」第71号に掲載)
  165. ^ 『三島由紀夫会見記』(乗杉綜合法律事務所ホームページ・エッセー欄 参照のこと)
  166. ^ 澁澤龍彦『三島由紀夫おぼえがき』(立風書房、1983年。中公文庫、1986年)に所収。
  167. ^ 『決定版 三島由紀夫全集第38巻・書簡』(新潮社、2004年)にも所収。
  168. ^ ヘンリー・スコット=ストークス『三島由紀夫 生と死』徳岡孝夫訳(清流出版、1998年)
  169. ^ 新版は、『澁澤龍彦翻訳全集15巻』(河出書房新社、2003年)や、『ユルスナール・セレクション5.空間の旅・時間の旅』(白水社、2002年)にも収録、ISBN 4560047154
  170. ^ a b 三島由紀夫研究会編『「憂国忌」の四十年 三島由紀夫氏追悼の記録と証言』)(並木書房、2010年)
  171. ^ 一水会公式サイト







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