三島由紀夫 参考文献

三島由紀夫

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参考文献

その他の研究書誌

外国人著者による三島論

  • ヘンリー・スコット・ストークス 『三島由紀夫 生と死』、徳岡孝夫訳 ダイヤモンド社、1985年11月ISBN 978-4478940563  - 英書の原題は、"The Life nad Death of Yukio Mishima"(1975年)。著者は、ファイナンシャル・タイムズ元日本支局長。
    • ヘンリー・スコット・ストークス 『三島由紀夫 生と死』、徳岡孝夫訳 (改訂版) 清流出版1998年11月ISBN 978-4916028525 
  • ジョン・ネイスン 『新版 三島由紀夫──ある評伝』、野口武彦訳 (改訂版) 新潮社、2000年8月ISBN 978-4864100281  - 1976年6月の初版は遺族の意向で絶版になった。英書の原題は、"Mishima: A Biography"(1974年)。
  • マルグリット・ユルスナール 『三島あるいは空虚のヴィジョン』、澁澤龍彦訳 河出書房新社、1982年5月ISBN 978-4309200606  - フランス書の原題は、"Mishima ou la vision du vide"(1981年)
    • マルグリット・ユルスナール 『三島あるいは空虚のヴィジョン』 河出文庫、1995年12月ISBN 978-4309461434 
  • ジェニフェール・ルシュール 『三島由紀夫』、鈴木雅生訳 祥伝社〈ガリマール新評伝シリーズ・祥伝社新書299〉、2012年11月ISBN 978-4396112998  - フランス書の原題は、"Mishima"(2011年)。ヘンリー・スコット=ストークスとジョン・ネイスンの2冊を下敷きにしてまとめたもの。



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注釈

  1. ^ 読者圏が全国に広がっていた『文藝文化』に公威の「花ざかりの森」を掲載するに際し、公威の文学活動を反対していた父親(平岡梓)の思惑や、まだ学習院の中学生であったことなどを憂慮し、清水文雄と同人たちが筆名での作品発表を提案した[8]。清水文雄は、「今しばらく平岡公威の実名を伏せて、その成長を静かに見守っていたい ― というのが、期せずして一致した同人の意向であった」と、同人誌の修善寺での合宿会議を回想している[8]
  2. ^ ちなみに三島自身はペンネームの由来について次のように語っている。

    学生として本名ではまづいといふ先生の意見で、ペンネームを作ることになつた。私は伊藤左千夫といふやうな、万葉風の蒼古な名前がほしかつたが、結局、由紀雄と落ち着き、先生は夫のはうがいいと言はれて、さう改めた。それから何か座りのいい姓をと考へて、先生の机上にあつた何かの名簿を繰つて、三島といふのを探し出したのである。

    三島由紀夫「私のペンネーム」[11]

    なお、父親の梓は、ペンネームの由来について、倅が電話帳で適当に開いた頁が「三島」だったとしている[12]

  3. ^ なお、祖父・定太郎と『国際私法』を共著した福原鐐二郎(第14代学習院院長)の紹介があったのではないかという推察もある[28]
  4. ^ 蓮田善明が激賞した文章は、三島のその後に影響を与えたものとしてよく引用される。

    花ざかりの森」の作者は全くの年少者である。どういふ人であるかといふことは暫く秘しておきたい。それが最もいいと信ずるからである。若し強ひて知りたい人があつたら、われわれ自身の年少者といふやうなものであるとだけ答へておく。日本にもこんな年少者が生まれて来つつあることは何とも言葉に言ひやうのないよろこびであるし、日本の文学に自信のない人たちには、この事実は信じられない位の驚きともなるであらう。
    この年少の作者は、併し悠久な日本の歴史の請し子である。我々より歳は遙かに少いが、すでに、成熟したものの誕生である。此作者を知つてこの一篇を載せることになつたのはほんの偶然であつた。併し全く我々の中から生れたものであることを直ぐに覚つた。さういふ縁はあつたのである。

    蓮田善明「編集後記」(文藝文化 昭和16年9月号)[48]

  5. ^ 三島は『東文彦作品集』の序文で、東との交友を振り返りつつ、当時を、「文学に集中できたむしろアリストテレス的静的な時代」であったと自ら回顧している[50]
  6. ^ 村松剛は倭文重から聞いた話として以下のように語っている。

    倭文重さんはいくつかの愚痴をぼくにいった。(中略)「学習院の中等科を終るときに、一高を受験させたのですよ。でも学習院程度の学校では、一高は無理だったのね。一高のバンカラ生活を経験していたら、公威もあんなことしなかったと思うの」 「あんなこと」が自衛隊入りいらいの彼の生活をさすことは、いうまでもない。
    学習院から一高にはいった例は、近衛文麿がそうであるように少数ながら過去になかったわけではなく、それに一高の生活も外見ほどにはバンカラではない。そう思ったのだが、このときはだまってきいていた。「学習院に入れると決めてしまったのは、義母ですからね」(中略)つまり息子を死に向かって突走らせた責任の大本は姑にあると、倭文重さんはいいたかったのである。

    村松剛「三島由紀夫の世界」[53]

    なお、この著書と同種の内容は筑波論文([1])参照のこと。

  7. ^ 村松剛も、「文学上の師や仲間が、三島のまわりには形成されていた。(中略)中等科五年の九月からは、師の清水文雄氏の推挽によって『花ざかりの森』を、彼は“文藝文化”に連載しはじめる。(中略)三島にとっては一高よりも学校外の雑誌に発表の舞台をあたえられたことの方が魅力的であり」と述べ[53]、小説の書き直しなどに夢中になっていた三島が、もし受験していたとしても、及第している方が不思議だという見解を示している[53]
  8. ^ なお、三谷隆信の三女・正子は鮎川義介の息子・鮎川弥一に嫁いだため、三谷邦子は、のち鮎川純太の義理の伯母の立場となった。
  9. ^ 三島は『潮騒』の名を、万葉集の歌、「潮騒(しほさゐ)に 伊良虞(いらご)の島辺(しまへ) 漕ぐ舟に 妹(いも)乗るらむか 荒き島廻(しまみ)を」からとった(万葉仮名では『潮左為』)。この歌は、持統天皇伊勢に旅された時に、都に残った柿本人麻呂伊良湖岬を歌ったもので、意味は、「さわさわと波がさわいでいる伊良虞の島のあたりを漕いでゆく舟に、今ごろあの娘は乗っているのだろうか、潮の荒いあの島の廻りを」である[70]
  10. ^ 昔の三島は腺病質で、あるパーティでダンスを共にした美輪明宏から、「あら、三島さんのスーツってパットだらけなのね」とからかわれたこともあったという(この時三島は顔色を変え、部屋から出て行ったとされる)。後年、映画『人斬り』(1969年)で共演し、撮影現場の京都に向かう飛行機で乗り合わせた仲代達矢が、「作家なのにどうしてボディービルを?」と尋ねた時、「僕は切腹をして死ぬからだよ」、「本当に切腹する時脂身が出ないよう、腹筋だけにしようと思っているんだ」と答えたという。料亭で呑んだ時は、仲居に向かって、「腹筋をつまんでごらんなさい」と要求して贅肉のない腹部を誇り、仲間内では「俺はミスター腹筋というのだ」と自慢していたと伝えられる。
  11. ^ のち1968年の文庫版には「道成寺」、「熊野」、「弱法師」が加わる。
  12. ^ 三島は後年、大島渚との対談『ファシストと革命家か』の中で以下のように語っている[81]

    「鏡子の家」でね、僕そんなこというと恥だけど、あれで皆に非常に解ってほしかったんですよ。それで、自分はいま川の中に赤ん坊を捨てようとしていると、皆とめないのかというんで橋の上に立ってるんですよ。誰もとめに来てくれなかった。(中略)その時の文壇の冷たさってなかったんですよ。僕が赤ん坊捨てようとしてるのに誰もふり向きもしなかった。

    三島由紀夫(大島渚との対談)「ファシストと革命家か」[81]

  13. ^ 三島と二・二六事件との関わりを語ったものとして、以下の文章がしばしば引用される。

    ……たしかに二・二六事件の挫折によつて、何か偉大な神が死んだのだつた。当時十一歳の少年であつた私には、それはおぼろげに感じられただけだつたが、二十歳の多感な年齢に敗戦に際会したとき、私はその折の神の死の怖ろしい残酷な実感が、十一歳の少年時代に直感したものと、密接につながつてゐるらしいのを感じた。(中略)かくも永く私を支配してきた真のヒーローたちの霊を慰め、その汚辱を雪ぎ、その復権を試みようといふ思ひは、たしかに私の裡に底流してゐた。しかし、その糸を手繰つてゆくと、私はどうしても天皇の「人間宣言」に引つかからざるをえなかつた。
    昭和の歴史は敗戦によつて完全に前期後期に分けられたが、そこを連続して生きてきた私には、自分の連続性の根拠と、論理的一貫性の根拠を、どうしても探り出さなければならない欲求が生まれてきてゐた。(中略)どうしても引つかかるのは、「象徴」として天皇を規定した新憲法よりも、天皇御自身の、この「人間宣言」であり、この疑問はおのづから、二・二六事件まで、一すぢの影を投げ、影を辿つて『英霊の聲』を書かずにはゐられない地点へ、私自身を追ひ込んだ。自ら「美学」と称するのも滑稽だが、私は私のエステティックを掘り下げるにつれ、その底に天皇制の岩盤がわだかまつてゐることを知らねばならなかつた。それをいつまでも回避してゐるわけには行かぬのである。

    三島由紀夫「二・二六事件と私」[88]

  14. ^ なお、ドナルド・キーンは、ベストベリー委員長が三島由紀夫について、安部公房ほどは受賞に近づいていなかったと指摘した点については、「スウェーデン人で国連事務総長を務めたダグ・ハマーショルドが『金閣寺』を高く評価することをスウェーデン・アカデミーに伝えており、その推薦は軽視されないということだった。受賞に大変近かったはずだ」と2012年(平成24年)3月23日に述べている[93]。現時点ではまだ1968年度のノーベル賞については開示されていないので、双方の意見の真偽はまだ不明である。
  15. ^ 大神神社境内には、「清明」と揮毫された三島由紀夫の記念碑が存在する[103]
  16. ^ 林房雄は、このことについて以下のように語っている。

    彼ら(NとM)は小沢開策氏や私を感動させたのと同じ物語で、青年ぎらいの三島君を感動させた。少なくとも当初は彼らは見かけどおりに純粋で誠実であったかもしれぬ。だが、彼らは結局『天人五衰』の主人公のような悪質の贋物だった。(中略)ある“大先輩”の一人は、「ひどい目にあったな。結局彼らは戦後派青年の最悪のタイプ、いわば光クラブの連中みたいな奴らばかりだった」とまで極言した。(中略)
    楯の会」はいち早く彼らを除名した。三島君は村松剛君を立会人としてNとMに破門と絶縁を申しわたした。その激怒ぶりは尋常ではなかった、と村松君は証言している。(中略)「楯の会」の会員は何度もフルイにかけられて精選された。(中略)前記NやMの光クラブ派は厳しく排除された。

    林房雄「悲しみの琴」[111]

  17. ^ この理論は既に1968年(昭和43年)11月16日茨城大学講堂で行った学生とのティーチインで明らかにされているが、その際には海上自衛隊を6:4に分割することを主張していた[140]
  18. ^ 斎藤茂吉は『回顧』のなかで、「橋君は、中学でも秀才であつたが、第一高等学校でもやはり秀才であつた。大学に入つてからは、解剖学西成甫君、生理学橋田邦彦君、精神学の橋健行君といふ按配に、人も許し、本人諸氏も大望をいだいて進まれた」と記している[174]
  19. ^ なお、『花ざかりの森』のその段落全体は、以下の文脈である。

    わたしはわたしの憧れの在処を知つてゐる。憧れはちやうど川のやうなものだ。川のどの部分が川なのではない。なぜなら川はながれるから。きのふ川であつたものはけふ川ではない。だが川は永遠にある。ひとはそれを指呼することができる。それについて語ることはできない。わたしの憧れもちやうどこのやうなものだ、そして祖先たちのそれも。 珍しいことにわたしは武家と公家の祖先をもつてゐる。そのどちらのふるさとへ赴くときも、わたしたちの列車にそうて、美くしい河がみえかくれする。

    三島由紀夫「花ざかりの森」[189]

出典

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  238. ^ 三島由紀夫「一S・Fファンのわがままな希望」(宇宙塵 1963年9月・第71号に掲載)。32巻評論7 2003-07に所収。
  239. ^ 『三島由紀夫会見記』(乗杉綜合法律事務所ホームページ・エッセー欄 参照のこと)
  240. ^ 三島由紀夫「小説とは何か 十」(波 1970年3・4月号に掲載)。『小説とは何か』(新潮社、1972年)、34巻評論9 2003-09に所収。
  241. ^ 澁澤 1983-12澁澤 1986-11に所収。
  242. ^ ストークス 1985-11ストークス 1998-11
  243. ^ 新版は、『澁澤龍彦翻訳全集15巻』(河出書房新社、2003年)や、『ユルスナール・セレクション5.空間の旅・時間の旅』(白水社、2002年)にも収録、ISBN 4560047154
  244. ^ a b 憂国忌40 2010-10
  245. ^ 一水会公式サイト







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