三島由紀夫 参考文献

三島由紀夫

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参考文献

三島の著作・全集

事典・資料・アルバム系

論考・評伝・研究

親族・学友・私人の追想

編集者・公人の追想

雑誌系の特集本

  • 新潮 臨時増刊 三島由紀夫読本』 (新潮社)、1971年1月ASIN B00QRZ32NO 
  • 小野好恵編『ユリイカ 詩と批評 特集・三島由紀夫――傷つける美意識の系譜』 (青土社) 第11巻第8号、1976年10月ASIN B00UYW77RS 
  • 梶山季之編 「〈特別レポート〉三島由紀夫の無視された家系」、『月刊噂 八月号』 (噂発行所) 第2巻第8号48-62頁、1972年8月 
  • 坂本忠雄編『新潮 12月特大号 没後二十年 三島由紀夫特集』 (新潮社) 第12巻第87号、1990年12月 
  • 中島和夫編『群像 二月特大号 三島由紀夫 死と芸術』 (講談社) 第2巻第26号、1971年2月 
  • 長谷川泉編 『現代のエスプリ 三島由紀夫』 至文堂1971年3月NCID BN09636225 
  • 藤島泰輔編『浪曼 新年号(12・1月合併) 特集・三島由紀夫の不在』 (株式会社浪曼) 第1巻第4号、1975年1月 
  • 山川みどり編『芸術新潮 【没後25年記念特集】三島由紀夫の耽美世界』 (新潮社) 第12巻第46号、1995年12月 
  • 前田速夫編『新潮 11月臨時増刊 三島由紀夫没後三十年』 (新潮社)、2000年11月NCID BA49508943 
  • 『新装版 文芸読本 三島由紀夫』 河出書房新社、1983年12月NCID BA35307535  - 初版は1975年8月
  • 『新文芸読本 三島由紀夫』 河出書房新社、1990年11月ISBN 978-4309701554 
  • 文藝別冊 増補新版 三島由紀夫――死にいたるまで魂は叫びつづけよ』 河出書房新社〈KAWADE夢ムック〉、2012年4月NCID BA75322341  - 初版は2005年11月の『文藝別冊 永久保存版 三島由紀夫 没後35年・生誕80年』

他作家関連・その他

外国人による三島研究書




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注釈

  1. ^ 祖父・定太郎と『国際私法』を共著した福原鐐二郎(第14代学習院院長)の紹介もあったのではないかという推察もある[32]
  2. ^ しかし、三島が使用していた原稿用紙は36種類あり、その中には、翌年1942年(昭和17年)に梓が天下りした日本瓦斯木炭株式会社の社報用の原稿用紙や、農林省蚕糸局にいた時に入手したと思われる日本蚕糸統制株式会社の原稿用紙もあり、暴君を気取っていた梓も戦況が激しくなるに従い、次第に息子の形見のためにせっせと原稿用紙を調達していたことが推察されている[59][3][60]
  3. ^ ちなみに三島自身はペンネームの由来について次のように語っている。

    学生として本名ではまづいといふ先生の意見で、ペンネームを作ることになつた。私は伊藤左千夫といふやうな、万葉風の蒼古な名前がほしかつたが、結局、由紀雄と落ち着き、先生は夫のはうがいいと言はれて、さう改めた。それから何か座りのいい姓をと考へて、先生の机上にあつた何かの名簿を繰つて、三島といふのを探し出したのである。

    三島由紀夫「私のペンネーム」[63]

    なお、父親の梓は、ペンネームの由来について、倅が電話帳で適当に開いた頁が「三島」だったとしている[45]

  4. ^ 貰った希望賞品は、光吉夏弥編・筑摩書房刊の豪華本『文楽』となった[70]
  5. ^ 三島は『東文彦作品集』の序文で東との交友を振り返りつつ、当時を〈文学に集中できたむしろアリストテレス的静的な時代〉であったと語っている[77]
  6. ^ なお、三谷隆信の三女・正子は、鮎川義介の息子・鮎川弥一に嫁いだため、三谷邦子はのちに、鮎川純太の義理の伯母の立場となった。
  7. ^ 三島より2、3歳年長の斎藤吉郎は1942年(昭和17年)に一高を卒業してから東大に入り、友人らと雑誌『故園』を1943年(昭和18年)に発刊した[149]。『故園』第1号は、蓮田善明の「神韻のしらべ」が巻頭を飾り、三島の詩「春の狐」も掲載された[149]。斎藤の雑誌は終戦後『叙情』として発刊し、三島はその第1号に戦時中に創作した「絃歌――夏の恋人」を寄稿した。この詩には三谷邦子とのことを題材にしているのが看取される[149]
  8. ^ 野田宇太郎は当時を振り返る随想で、まだ学生の三島が有名な作家になりたいという野心を持って川端康成を訪問し、そのために自分をずっと利用していたと悪し様に語っているが[134]、野田の知らないところで、三島と川端との繋がりは学習院在学中の頃からあったという説もある[156]越次倶子が三島の母・倭文重に取材したところによると、1943年(昭和18年)、三島の詩や短編を読んだ川端から手紙(宛名は平岡公威)が突然来て、「名もない僕に大作家の川端さんが、お手紙を下さるなんて天にも昇る気持だ」と三島が大喜びし、はしゃいでいたという[156]。それから翌1944年(昭和19年)の『花ざかりの森』出版まで、三島は川端へ2、3度手紙を出し、本が出来上がると贈呈した[156]。三島は15歳頃に川路柳虹に師事していたが、川路が三島の文学的早熟に驚き、教えることがないと周囲に漏らしていたため、親交のあった川端にも三島少年の詩篇を見せた可能性もあり、それ以降、各所で発表される三島の作品に川端が注目していたと越次は推察し、それが三島の言う〈何か私を勇気づける事情〉のことだとしている[156]
  9. ^ 当時は物資不足で大学の学生服の新調はできず、三島は終戦までは、召集されて行った先輩の制服を借り、戦後は自分の学習院時代の制服を改造した窮屈なものを学生服にして講義を受けていた[116]
  10. ^ ちなみに、三島の母・倭文重も、娘時代に兄と2人でよく銀座(まだ関東大震災前の)の喫茶店に通っていた頃、芥川龍之介南部修太郎と一緒にいる目のぎょろぎょろした川端や、無精髭の横光利一を見かけていたという[30]
  11. ^ 彼らは、第五中学校の校内誌『開拓』に投稿していた文学仲間であった[184]
  12. ^ 中村稔によれば、三島はその会がおひらきになるまで居て、帰りは三島と渋谷駅まで一緒に帰ったと回想している[184]
  13. ^ 大蔵省時代のことを題材にした作品には、『大臣』『訃音』『鍵のかかる部屋』『日曜日』などがある[204][205][211][212]
  14. ^ 『序曲』は、河出書房杉森久英が企画し、埴谷雄高武田泰淳野間宏中村真一郎梅崎春生椎名麟三、佐沼兵助(寺田透)、船山馨島尾敏雄、三島の10名が編集同人となった同人雑誌だが、創刊号の1号で終刊した[214]。三島は創刊号に短編「獅子」を掲載した[44]
  15. ^ その後、この原稿を一旦取り戻し、書き直して4月27日に擱筆した[219]
  16. ^ のちに英訳された作品集『真夏の死 その他』は、1967年(昭和42年)5月にフォルメントール国際文学賞第2位を受賞し、この時、『午後の曳航』も候補作となった[236]
  17. ^ 玉利齊は、のちに社団法人日本ボディビル協会会長となった[229]
  18. ^ ジョン・ネイスンは、この時の右翼に対する恐怖感により、三島の思想が「右旋回」したと実弟・平岡千之の証言として書いているが[278]、千之はそのようなことを言った覚えはないと否定している[261]
  19. ^ 実際1961年度に川端康成が受賞する可能性もあったことも明らかになっている[293]
  20. ^ 大神神社境内には、この時三島が揮毫した「清明」が刻まれた記念碑がある[313]
  21. ^ なお、この刀は本物の関ノ孫六ではなく、三島は贋物をつかまされていたという疑いもあり、元の持主であった武道家・中村泰三郎はこれを神戸の刀剣店で4万円の値で買い、舩坂弘に5万円で売ったとされている[315]。三島はこの日本刀を死ぬまで本物の関ノ孫六だと信じきっていた[315]
  22. ^ 前年1966年(昭和41年)に、マスコミからノーベル文学賞受賞の予定談話まで要望され、それに応えた三島だったが、実際の受賞者はシュムエル・アグノンネリー・ザックスで、バツの悪い思いをした教訓で、この年には記者の追跡を避けて三島はバンコクに滞留していた[326]
  23. ^ 全共闘主催の討論会で最後に三島が語った全文は、

    天皇ということを口にすることも穢らわしかったような人が、この2時間半のシンポジウムの間に、あれだけ大勢の人間がたとえ悪口にしろ、天皇なんて口から言ったはずがない。言葉は言葉を呼んで、をもってこの部屋の中を飛び廻ったんです。この言霊がどっかにどんなふうに残るか知りませんが、私がその言葉を、言霊をとにかくここに残して私は去っていきます。これも問題提起にすぎない。そして私は諸君の熱情は信じます。これだけは信じます。ほかのものは一切信じないとしても、これだけは信じるということはわかっていただきたい。

    三島由紀夫「討論 三島由紀夫vs.東大全共闘―美と共同体と東大闘争[340]

  24. ^ 辻井喬は『癩王のテラス』の中の台詞、〈そしてお寺の名も、共に戦つて死んだ英霊たちのみ魂を迎へるバイヨンと名づけられた。バイヨン。王様はあの目ざましい戦の間に、討死してゐればよかつたとお考へなのだらう〉という言葉には、戦後に生き残った三島の心境が吐露されていると見ている[369]
  25. ^ 小島は10分ほど遅れて到着したが、三島の死後にお手伝いさんに確認したところ、三島はその日の朝、「今日は10時過ぎに出かける。そのあとで小島さんが来るからこれを渡すように」と指示して出ていったという[324]
  26. ^ 武田は三島の自決2か月前から、戦中の精神病院を舞台にした長編「富士」を『』に連載し、11月20日に脱稿したが、その内容が三島を彷彿とさせる患者(自分を宮様と自称し、皇族宅に乱入して「無礼者として殺せ」と要求し、最後は自決)が描写されていたため、担当編集者・村松友視は「この発表タイミングでは、『三島事件』をモデルにしたと読者に思われる」と懸念したが、武田はこの偶然に驚き、刊行後は、「三島のおかげで、この小説を書きあげることができた」と語った[382]
  27. ^ 1972年(昭和47年)4月に川端康成も自殺するが、その数日前、三島の父・梓は川端からの長文の手紙をもらったという。梓は、「川端さんのご性格のまったく意外な点が実によくあらわれていて興味をひかれました」とし、家宝として永く保存していくと語った[164]
  28. ^ この理論は既に1968年(昭和43年)11月16日に茨城大学講堂で行われた学生とのティーチ・インで明らかにされているが、その際には海上自衛隊を6:4に分割することを主張していた[432]
  29. ^ 「憲法研究会」のリーダーで、改正案討議の記録を保管していた班長・阿部勉の提案した「女帝を認める」(「女系」ではない)という意味についても、阿部は「皇統には複数の女帝がおられたんで、女帝は絶対だめだというような意見には反対だという意味ですよ、消極的な」と説明しており、「積極的な一つの主義として確立しろという意味ではない」と述べている[444]
  30. ^ 中上健次も対談で誤解に基づき、「たとえば三島由起夫〔ママ〕は被差別部落の血が流れてるよね」と発言している[474]
  31. ^ 光文社の雑誌『光』1948年12月号に掲載予定だったが、出版社の経営悪化により11月号で休刊となったため雑誌未発表となった[483]

出典

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  584. ^ a b 「第三章 惜別の時」(彰彦 2015, pp. 137-198)
  585. ^ 宮崎正弘「そして三十三年が経った」(必勝 2002, pp. 263-276)
  586. ^ 「第十一章 その夜の宴」(矢代 1985, pp. 164-178)
  587. ^ 「デカダンス意識と生死観」(批評 1968年6月号)。40巻 2004, pp. 176-203
  588. ^ 「終章 誰が三島を殺したのか」(告白 2001-06, pp. 192-237)
  589. ^ 横尾忠則『インドへ』(文藝春秋、1977年6月、文春文庫、1983年1月)
  590. ^ 高橋智子「吉田健一」(事典 2000, pp. 621-622)
  591. ^ 吉田健一「三島さんのこと」(新潮 1971年2月号)。『詩と近代』(小澤書店、1975年7月)、事典 2000, p. 622
  592. ^ 「ロンドン通信」(毎日新聞 1965年3月25日号)。33巻 2003, pp. 435-438
  593. ^ 「第十一章 死後」(徳岡 1999, pp. 238-269)







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