一国一城令 一国一城令の概要

一国一城令

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/30 04:14 UTC 版)

伊予国 松山城本壇(天守丸)

注釈

  1. ^ 反対側の鍋島氏国境には何の対策もされていない
  2. ^ 安芸(安喜)土居の周囲には武家屋敷が整えられ、現在も土居廓中として現存している。
  3. ^ 福井藩附家老の本多氏の石高は福井藩に含まれた為、本多氏が独立した際に福井松平氏の石高は減じている。
  4. ^ 連枝が梁川入部より前に破却された説もある。上杉氏の事例も参照。
  5. ^ 松浦隆信 (平戸藩主)は慶長18年(1613年)に平戸城の一部が焼失し、翌年には嫡男の鎮信が死去、自暴自棄となり平戸城を破却したとも伝わる。
  6. ^ 勝本城は既に1598年(慶長3年)に破却されている。
  7. ^ 豊臣秀吉は富山の役上杉景勝に与える予定だったが、参陣しないため秀吉により一旦廃城になっている。佐々成政は大坂に留め置かれ、そのまま九州征伐に加わる。
  8. ^ 尾張藩連枝より以前の天領期間中に破却されたという説もあるが、御三家筆頭の連枝をいきなり無城大名にしにくい点、伊達氏の本貫地であり警戒が必要である点から異論もある
  9. ^ 織田氏明和事件で準国主から無城大名に降格されており、入部の後も上杉家が高畠城を管理した

出典

  1. ^ a b 一国一城令』 - コトバンク
  2. ^ 一国一城令以降の城(香川元太郎『城』学研プラス、2012年)
  3. ^ 山本博文『江戸お留守居役の日記―寛永期の萩藩邸―』(読売新聞社、1991年)
  4. ^ 「西郷町誌 上巻」(松江市立図書館)
  5. ^ 三重県の東紀伊は桃山時代まで志摩国。堀内氏善と織田信雄が荷坂峠を境として紀伊国牟婁郡と伊勢国度会郡に編入した。(「角川日本地名大辞典 24 三重県」)
  6. ^ 「新潟県指定 史跡 新穂城」(佐渡市 産業観光部 世界遺産推進課)
  7. ^ 藤野保木村礎村上直編『藩史大事典 第1巻 北海道・東北編』(雄山閣、1988年)ISBN 4-639-10033-7
  8. ^ 『福島県歴史資料館収蔵資料目録』35集
  9. ^ 『上杉家御年譜』(米沢温故会) に「元禄五年(1692)中山御役屋と改称」と記される。
  10. ^ 平成28年3月1日文部科学省告示第26号
  11. ^ 1873年鎮守府設置計画の際に作られた「備後国三原城図」などでは「三原城」と表記されている。
  12. ^ 『南部大膳大夫分国之内諸城破却共書上』天正二十年
  13. ^ 三戸町公式HP「町指定文化財」
  14. ^ 二条城サイト-日本の城の歴史


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