ロココ 絵画

ロココ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/11 03:31 UTC 版)

絵画

フランス

「ポンパドゥール夫人の肖像」(1755年、ラ・トゥール作)

イタリア

イギリス

  • 長らく外国人画家によって指導されてきたイギリスの芸術界もこの時期大きく変貌する。その嚆矢となったのが「最初のイギリス人画家」とも呼ばれるウィリアム・ホガースである。ホガースは「当世風結婚」などの連作で諷刺画の分野で活躍した。また「カンヴァセーション・ピース(団欒画)」とも呼ばれるイギリス特有の集団肖像画のジャンルを開拓したのもホガースである。
  • こうした変化のもとイギリスにもロイヤル・アカデミーが設置され、ジョシュア・レイノルズが初代アカデミーの会長に選ばれた。レイノルズの理念は「グランド・マナー」と呼ばれ、歴史画を頂点とする以後のイギリス美術の模範となった。対してレイノルズのライバルであったトマス・ゲインズバラは肖像画や風景画で今までに見られないイギリス的な感受性を開花させた。この風景画の好みは後のコンスタブルターナーに引き継がれることになる。
  • 啓蒙と理性の時代を反映して科学的な素材を美術に応用している例も見られる。「馬の解剖学」で知られるジョージ・スタッブスや「空気ポンプの実験」などの作品を残したライト・オブ・ダービー(ジョセフ・ ライト)はこうした時代精神に育まれた画家たちである。
  • ホレス・ウォルポールの『オトラント城奇譚』(1764年)の刊行により18世紀後半のイギリスではゴシック小説が盛んに読まれた。こうした怪奇なものへの興味はスイス出身でイギリスで活躍したヨハン・ハインリヒ・フュースリーの「夢魔」(1781年)などにも反映している。「天国と地獄の結婚」(1790年頃)の作者であり、幻視者として知られる詩人画家ウィリアム・ブレイクの活躍も同時期のことである。

スペイン

  • ドイツ系でありながら国王カルロス3世宮廷画家となったアントン・ラファエル・メングスは18世紀中盤の重要な画家の一人だが、その画風はロココというよりも新古典主義の先駆けといった趣がある。1760年代にそれぞれ画風の異なる、ロココ調の老大家ティエポロと、新古典主義の気鋭のメングスがマドリッドの王宮を舞台に競り合っていたことは興味深い。
  • メングスより後の世代に属すが、フランシスコ・デ・ゴヤの市井のマハ(伊達女)やマホ(伊達男)を描いた初期の作品にはロココ的な優雅さや軽快さを見ることができる。

ドイツ

  • 三十年戦争以来の混乱からようやく1700年代に相対的安定期を迎えたドイツではカトリック教会を中心に大規模な教会建築の復興が行われる。この時期のドイツ芸術は特に「後期バロック」と呼ばれることが多く、絵画も教会や宮殿の装飾として発達したものである。ミュンヘンのアザム教会の建築と装飾・絵画を担当したアザム兄弟や、シュタインガーデン近郊のヴィース教会の建築と装飾・絵画を担当したツィンマーマン兄弟はその代表である。

  1. ^ a b c d e f 中村 1999, pp. 115–117.






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