リリーフ リリーフの概要

リリーフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 09:50 UTC 版)

ブルペンで投球練習をするリリーフ投手。画像左外側にはブルペン捕手がいて投球を受けている

リリーフを担う投手を日本では「リリーフ投手」や「救援投手」、アメリカ合衆国(以下アメリカ)では「リリーバー(reliever)」などと呼び、その役割によって特別な名称が用いられる場合もある(詳しくはこちらを参照)。

概要

リリーフ投手は、試合途中にブルペンで投球練習を行い、あらかじめ出番に備えたうえで登板する。チームによってベンチ入り登録されるリリーフ投手の人数は異なるが、日本プロ野球(以下NPB)の場合は6 - 8人ほどである。シーズンあたりの試合数が160試合以上になり、また原則として引き分けもないため長時間の試合になりやすいメジャーリーグベースボール(以下MLB)の場合は10人ほどがベンチ入りしている。先発投手が先発ローテーションに従い中4日以上の間隔を空けて登板するのに対し、リリーフ投手は数試合連続登板することも多い。

野球関係者の間では「投手の肩は消耗品」という考えが根強く存在しているが[1]、特にリリーフ投手の場合はそれが顕著であるとされる。先述の通り、リリーフ投手は基本的に連日登板することが多い上、結果的に登板しなかった試合においても常に出番に備えておくことが求められることから場合によっては1試合に複数回の投球練習を行うため、実質的に相当数の投球を繰り返すこととなる[2]。加えて、より緊迫した局面での登板によって心身の疲弊が積み重なることもあって、最終的に選手生命に関わる大きな故障を引き起こしてしまい[3]、若くして現役引退を余儀なくされる選手や短い実働年数で衰えを見せる選手が少なくない[4][注 1]

加えて、元来リリーフ投手は規定投球回数を満たしにくいこともあり、その活躍度・貢献度を明確な数値として表すことは容易でなく、勝利数や奪三振数など伝統的に主要部門とされる投手記録では先発投手を上回ることが事実上不可能に近い。そのため、例えば日本では主に先発を務めていた投手が配置転換等でリリーフに回る際に「中継ぎ降格」などという表現される事もあるなど[5]、リリーフを先発と比べて格下に見る傾向が根強い。

しかし「投手分業制」が確立された2000年代以降は、先発投手の完投が減少するに従って優秀なリリーフ投手の存在がチームの勝率に与える影響も大きくなっている他[6][7]後述するようにリリーフ投手を表彰する各種タイトルも制定されるようになるなど、リリーフ投手の貢献度を評価するための環境が整いつつある。
また、2010年代後半に入ると、日本の高校野球においても継投策を基本とした投手分業制による起用法が見られるようになり[8][9][10]、特に、2022年夏優勝の仙台育英[11][12]2024年春優勝の健大高崎はいずれも「完投0」で大会を勝ち上がったことでも注目を集めた[13][14]

歴史

MLB

フィラデルフィア・フィリーズ監督のエディ・ソイアー英語版は投手のジム・コンスタンティー1948年よりリリーフ専門で起用しはじめた。コンスタンティーは1950年に16勝7敗22セーブ、防御率2.66を記録する活躍を見せ、最優秀選手にも選ばれた。さらにフィリーズはこの年のナショナルリーグで優勝した。

こうしたリリーフ専門投手の登場により、MLBでは1960年に非公式ながら最も優秀な抑え投手を表彰するファイアマン賞が制定された。さらに1969年には最多セーブが公式タイトルに制定された。

1974年にはマイク・マーシャルが106試合登板・15勝21セーブの成績を残し、リリーフ投手として初めてサイ・ヤング賞を獲得した。

また、1976年にはローレイズ・リリーフマン賞2005年にはDHL デリバリー・マン・オブ・ザ・イヤーという表彰がそれぞれ開始されていった。

1979年ニューヨーク・ヤンキースは7、8回にロン・デービスを、9回にリッチ・ゴセージを登板させる継投パターンを確立した[15]。この年14勝を挙げたデービスはセットアップマンの先駆となり、1981年には中継ぎ投手として史上初めてMLBオールスターゲームに選出された[15]

1986年にはジョン・デュワンとマイク・オドネルによってホールドという中継ぎ投手を評価するための指標が発明され、1999年から正式に集計が開始された。しかし、MLBの公式記録にはなっておらず、最多ホールドや最多ホールドポイントなどの公式表彰もされていない。

アメリカ野球殿堂入りを果たしているリリーフ投手は、1985年ホイト・ウィルヘルムを皮切りに、ローリー・フィンガーズ1992年)、デニス・エカーズリー2004年)、ブルース・スーター2006年)、リッチ・ゴセージ2008年)、トレバー・ホフマン2018年[16]マリアノ・リベラ2019年)の7人である。また、通算300セーブを達成した投手のことを「300セーブクラブ」と称することがある。

NPB

NPBにおけるリリーフ投手の草分けは、1965年に20勝を挙げ「8時半の男」の異名をとった巨人の宮田征典(宮田の登板が大体この時間だったため)、同じく1965年に64試合に登板し、シーズンで挙げた18勝のうち17勝が救援勝利だった広島の龍憲一近藤貞雄が提唱した「投手分業制」を体現して1966年から2年連続でオールスターゲームに出場した中日の板東英二が挙げられる。

1970年代までは、多くのエース投手がセーブポイントが付く場面での登板も含めて馬車馬のように投げていた(安田猛新浦壽夫など。60年代以前は勝利投手#救援勝利記録を参照)。一方で初期の代表的なリリーフ投手である南海ホークス佐藤道郎や、中日ドラゴンズ鈴木孝政といった投手は、谷間先発やロングリリーフなど「穴埋め」もこなしており、そのため最多セーブが先発投手につくことも、リリーフ投手が規定投球回数に達することもあった[注 2](NPBでは1974年に最多セーブが公式タイトルに制定されたが、こうした起用法もあり1976年(パは1977年)-2004年まで最多セーブポイントを指標とする最優秀救援タイトルに変わっていた)。1979年の日本シリーズ第7戦での投球が『江夏の21球』として書籍化された江夏豊は、この年に、抑え投手として初のシーズンMVPを受賞した。

1980年代にはロッテの倉持明が、“一打サヨナラ負け”の大ピンチを5度に亘って凌ぎ、「炎のストッパー」と評された。1985年には中西清起阪神タイガースの日本一に貢献[17]、1987年には近鉄・石本貴昭がオール救援にて19勝の活躍。1988年には中日・郭源治が抑え投手としては2人目のMVPを受賞。同年はヤクルト・伊東昭光がオール救援にて最多勝タイトル(18勝9敗17S)を獲得した。

1990年代には長嶋茂雄が勝ちパターンのリリーフ継投を「勝利の方程式」と命名して運用、1996年からは最優秀中継ぎ投手賞が制定された。この頃までは、救援投手が1試合に複数のイニングにまたがって登板する「イニングまたぎ」が少なくなかったが(2015年のインタビューにて与田剛が言及している[要出典])、近年[いつ?]では、イニングまたぎは批判の対象になることも少なくなく、「1イニング限定」及び「ワンポイント」が一般的になっていった[18][19]1998年、投手コーチを歴任した権藤博が監督を務め「中継ぎローテーション」ととも称される継投策を導入した横浜ベイスターズが日本一を達成、その中心的存在であり当時の流行語大賞にも選ばれた「ハマの大魔神」こと佐々木主浩が抑え投手として3人目となるMVP受賞。その後も佐々木のMLBにおける活躍が注目を集め、2003年には日本プロ野球名球会規則が改定される。通算250セーブ投手の入会が許可され、その時点で250セーブを達成していた佐々木(日米通算)と高津臣吾が入会した(2010年には岩瀬仁紀、2023年には平野佳寿も入会)。

リリーフの地位も徐々に向上しつつあった中で、2005年に、阪神監督の岡田彰布が、1試合での球数や投球イニング、キャッチボールや登板間隔まで細かく管理するような、MLBに多く見られる継投策を導入して投手分業制を確立しリーグ優勝を果たした。その中心となった勝利の方程式、「JFK」の3人(ジェフ・ウィリアムス藤川球児久保田智之)は長きにわたり好成績を残し、他球団も「SBM」の3人(攝津正ブライアン・ファルケンボーグ馬原孝浩)のようにそれに倣って投手分業制を推し進めたことにより、球界全体に投手分業制が浸透するに至った。2011年には中日の浅尾拓也が中継ぎ投手としては初のMVPを受賞している。21世紀にはNPB出身のリリーバーがMLBにも進出し、前掲の佐々木・高津のほか、大塚晶文斎藤隆らが現地ファンに強い印象を残したほか、上原浩治は2013年のリーグCSにおけるMVP、かつ2013年のワールドシリーズの胴上げ投手となった。

中継ぎを称える指標であるホールドは、2005年に現行の規定が導入されたため、まだ歴史が浅いが、2014年に山口鉄也が、2016年に宮西尚生が、2017年に浅尾拓也がそれぞれ通算200ホールドを達成、また2021年には清水昇が年間50ホールドを達成している。


注釈

  1. ^ 一例として、2005年の阪神タイガースのリーグ優勝に抑えとして貢献して、2007年には登板試合数90の日本記録を打ち立てた久保田智之は、その翌年以降全盛期の調子が出なくなり、2014年シーズンに33歳の若さで現役引退した。この他、読売ジャイアンツの越智大祐も、度重なる故障の他黄色靭帯骨化症の影響もあり31歳の若さで現役を引退した他、同じく2002年の読売ジャイアンツのリーグ優勝に貢献した條辺剛も、酷使による負傷が祟り24歳の若さで引退した。
  2. ^ 佐藤や鈴木は同一年度に最優秀防御率と最優秀救援投手(最多セーブ)の二つのタイトルを獲得したこともある。
  3. ^ a b 英語で「stopper」や「fireman」という表現が使われたのは1990年代頃まで。
  4. ^ 千葉ロッテマリーンズ時代の小林雅英は、その本拠地である千葉マリンスタジアムが海辺にあるためか「幕張の防波堤」と呼ばれていた[21]
  5. ^ 巨人のリリーフ投手・越智大祐は『週刊ベースボール』2009年6月15日号のインタビューにおいて「中継ぎだったら、僕が打たれたとしても、山口鉄也豊田清さんに助けてもらえる場合があるけど、抑えは最後まで一人で投げきるしかない。(中略)やっぱり全然別物」と語っている。
  6. ^ 2008年~2015年にかけての8年連続で「50試合以上登板、20ホールド以上」を達成。
  7. ^ 2012年から5年連続で「50試合以上登板、20ホールド以上」を達成(2016年シーズン終了時点で継続中)。
  8. ^ 2012年5月6日ボストン・レッドソックスボルチモア・オリオールズ戦では、双方がリリーフ全員を使い果たし、ついにオリオールズは学生時代に投手経験があった内野手のクリス・デービス、レッドソックスは外野手のダーネル・マクドナルドを登板させた。野手同士の登板はナショナルリーグで87年ぶりで、両チームの責任投手がともに野手になったのはメジャーリーグ初であった。 試合は延長17回、9-6でオリオールズの勝ち[34]

出典

  1. ^ 「日本人の投球スタイル」”. NHKスポーツオンライン. 2016年10月25日閲覧。[リンク切れ]
  2. ^ 阪神の「肩1発作り」は中継ぎ陣の負担減と好結果に 日刊スポーツ 2018年4月22日
  3. ^ 「方程式」への依存が故障者を生む。オリックス流、救援陣マネジメント。”. NumberWeb. 2016年10月25日閲覧。
  4. ^ リリーフ“3年寿命説”から考える、セ・パ各チームの「シーズン計画」 Number Web 2014年4月24日
  5. ^ 上原、マー君の“降格報道”に激怒「中継ぎをバカにするなよ」 スポニチアネックス 2013年3月5日
  6. ^ チームとリリーフ陣の成績はリンクする!? 命運握る「方程式」の完成度 BASEBALL KING 2016年3月8日
  7. ^ 投手分業は進化だが…昔の投手が故障しなかったワケ - 鳴尾浜通信 日刊スポーツ 2018年1月8日
  8. ^ 高校球界で加速する『投手分業』 広陵と花咲徳栄の象徴的な決勝戦 BASEBALL KING 2017年8月24日
  9. ^ 「投手の分業制」各校に浸透 印象に残った「つなぐ野球」 産経ニュース 2018年7月24日
  10. ^ 春の選抜大会ベスト4の秀岳館、3投手の継投で安定した試合運び 産経WEST 2016年8月12日
  11. ^ 仙台育英”延べ16人継投”は過去最多…140キロ超え5投手を揃え新時代の優勝劇【甲子園】 中日スポーツ 2022年8月22日
  12. ^ 仙台育英V、東北勢の悲願達成 小刻みリレーで高校野球に新風 J:COMテレビ番組ガイド 2022年8月25日
  13. ^ 報徳学園を破る…本塁打ゼロ&2年生投手のみの継投で頂点Full-Count2024年3月31日
  14. ^ 両輪2年生、大舞台で強心臓―高校野球・健大高崎時事通信2024年3月31日
  15. ^ a b c 福島良一「セットアッパーって何?」『週刊ベースボール』第36号 (2010, p.33)
  16. ^ 野茂のライバルらが米国野球殿堂入り 当選した4選手たちの球歴は!?”. スポーツナビ. 2018年5月7日閲覧。
  17. ^ 虎日本一のクローザー・中西清起氏に聞く85年投手陣”. ベースボール・マガジン社 (2015年4月27日). 2018年8月3日閲覧。
  18. ^ 僕らの頃との今のストッパーとの違い”. 週刊ベースボールONLINE. 2014年10月15日閲覧。
  19. ^ 25年ぶりに新人記録を更新された与田氏が語る、横浜DeNA山崎の凄さ”. THE PAGE. 2016年10月25日閲覧。
  20. ^ a b 伊藤 (2009)
  21. ^ ロッテ勝利の方程式YFK復活!05年日本一から10周年記念 スポーツニッポン(2015年5月14日) 2023年5月4日閲覧
  22. ^ 【野球】クローザーの役割とは?ストッパーとの違いも解説!”. 2023年12月30日閲覧。
  23. ^ 野球のクローザー(抑え投手)の役割と適正”. セーブの条件とは? (2023年1月22日). 2023年12月30日閲覧。
  24. ^ 2012年の中日における山井大介(15S)と岩瀬仁紀(33S)、2005年のソフトバンクにおける三瀬幸司(18S)と馬原孝浩(22S)、2002年の近鉄における岡本晃(18S)と大塚晶文(22S)など。
  25. ^ 救援投手の記録と、ワンポイントの歴史”. Baseball LAB. 2016年10月25日閲覧。
  26. ^ 惜別球人2014 第7回 小林正人”. 週刊ベースボールONLINE. 2016年10月25日閲覧。
  27. ^ 左キラーとして完全復活を”. 週刊ベースボールONLINE. 2016年10月25日閲覧。
  28. ^ 森福、高梨のワンポイントリリーフ鮮やかだったのに... これが「見られなくなる」ルール改正、本当に必要? J-CAST、2019年6月7日(2019年7月15日閲覧)。
  29. ^ 「ワンポイントリリーフ禁止」来季終了後に検討へ”. 読売新聞 (2019年12月18日). 2019年12月18日閲覧。
  30. ^ 張本勲氏、MLBが来季から導入する「ワンポイント起用禁止」を評価…日本は見送りに「早く日本は見習わなきゃ。つまらんのは、すぐマネするクセに」 2019年12月22日 9時12分スポーツ報知(2019年12月30日閲覧)
  31. ^ 元阪神の遠山昭治氏、ワンポイント廃止の採用に反対「みんな同じではおもしろくない」 現役時代は“松井キラー”の左殺し スポーツ報知、2020年4月20日配信(2022年8月15日閲覧)
  32. ^ 地味な役割も貴重な存在! 試合を立て直すロングリリーフ”. ベースボールキング. 2016年10月25日閲覧。
  33. ^ 先発とリリーフを両方こなす“便利屋”は?”. ベースボールキング. 2017年2月13日閲覧。
  34. ^ メジャー初!勝ち投手も負け投手も野手 日刊スポーツ2012年5月8日


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