マラッカ王国 宗教

マラッカ王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/09/27 23:56 UTC 版)

宗教

国王の改宗

当時のマラッカ海峡での交易活動はイスラム勢力の港湾都市を行き来するイスラム商人をが中心としており[5]、マラッカへのイスラム商船の来航を促すため[99]、国王はイスラムに改宗したが、最初に改宗した国王が誰かについては不確かである。ピレスの記録によると、イスカンダル・シャーが最初にイスラムに改宗した王となっており[100]、馬歓はイスカンダル・シャー即位直後の1414年のマラッカでは既に国王がイスラム教を信仰していたと記録した[101]。一方、インドネシアの国定教科書は、イスラム教に改宗した最初の国王を初代のパラメスワラとしている[12]。時代が経つとマラッカの王はイスラム国家で用いられているスルタン号を称するようになるが、初めてスルタンを称したのは一般的に5代目のムザッファル・シャーとされている[102]

マレー世界のイスラム化

マラッカがイスラム化したのは15世紀に入ってからであるが、中国側の史料とピレスの記録を勘案するとイスラムの定着とイスラム学の研究が本格的になったのはムザッファル・シャー(在位1446年 - 1459年)の時代と考えられる[103]。『スジャラ・ムラユ』にはムザッファル・シャー時代のイスラム化を正当化するため[104]、ムザッファル・シャーの一代前に即位したラジャ・トゥンガという架空の王が、夢の中に現れた預言者ムハンマドの導きによって改宗した神話が挿入されている。

15世紀半ばよりマラッカはパサイのイスラム神学者と交流を持ち、教義の解釈について両国の学者間で討論が行われ[105]、『スジャラ・ムラユ』はムザッファル・シャーの次に即位したマンスールはパサイの神学者マフドゥム・パタカンに哲学書『ドゥッルル・マンズム』のマレー語訳を依頼したことを伝える。マラッカのイスラム化はマレー半島の沿岸部とスマトラ島にイスラム教が広まる契機ともなり[106]、イスラム商人の交易ネットワークの拡大と共にイスラムの宗教家の活動範囲も広がりを見せた[107]。16世紀初頭にはパハン、インドラギリ、カンパールなどのスマトラ、ジャワの沿岸部、ブルネイなど周辺地域の支配者の多くがイスラムに改宗し[108]、フィリピンにもイスラムが広まった[109]

もっとも、当時のマラッカはイスラムの戒律が厳守されていたとは言い難い状況にあり、末端の小部族にはイスラム信仰が完全に浸透していなかった[110]。ピレスは『東方諸国記』で、ポルトガルに制圧された直後のマラッカの住人が飲酒を大いに好んだことに言及し[111]、15世紀末のアラブの航海者イブン・マージドは、犬肉食と飲酒が日常的に行われている戒律の緩いマラッカを非文化的と辛辣に批判した[112]。『スジャラ・ムラユ』は、この緩やかな信仰をマレー人にとって一般的なものと解し[111]、マレー人がアラブの宗教指導者を口でやりこめる小話がいくらか挿入されている[113]


注釈

  1. ^ ピレスと同じ16世紀のポルトガル人エレディアは、マラッカの地名はミロバランの木に由来すると述べた。 ピレス『東方諸国記』(生田滋等訳注)、387頁
  2. ^ この婚約の8年後にイスカンダルは没したとピレスは記し、婚約が成立したのは1417年前後と計算できる。 ピレス『東方諸国記』(生田滋等訳注)、399頁
  3. ^ ピレスによると、この婚姻の後イスカンダルはイスラムに改宗したとされるが、『東方諸国記』の訳注を担当した生田らは改宗にまつわる婚姻の説話は事実ではないと指摘した。しかし、イスカンダルが最初にイスラムに改宗したマラッカ王という点は肯定している。 ピレス『東方諸国記』(生田滋等訳注)、400頁
  4. ^ 『東方諸国記』に訳注を施した生田らはスリ・パラメスワラ・デワ・シャーとムザッファル・シャー英語版が同一人物ではないかと指摘している。 ピレス『東方諸国記』(生田滋等訳注)、591頁
  5. ^ マラッカの陥落がパタニに及ぼした影響については、A.リード『拡張と危機』(新装版)、286頁に詳しい。
  6. ^ シャーバンダルの概略については、右記も参照。 家島彦一「シャーバンダル」『新イスラム事典』収録(平凡社, 2002年3月)、生田滋「シャーバンダル」『東南アジアを知る事典』収録(平凡社, 2008年6月)
  7. ^ 『東方諸国記』中の貨幣と金銀の価値については、ピレス『東方諸国記』(生田滋等訳注)、465-469頁を参照。
  8. ^ 『東方諸国記』中のマラッカ王国と交流のあった国の一覧については、ピレス『東方諸国記』(生田滋等訳注)、455頁を参照。
  9. ^ ピレス『東方諸国記』(生田滋等訳注)、596頁に、明への入貢が行われた年度が表にまとめられている。

引用元

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