ペスト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/08 19:15 UTC 版)
診断
血液、痰、リンパ節からの膿などをサンプルとして採取して検査する。
治療
適切な抗菌薬による治療が行われなかった場合、現在でも30%以上の患者が死亡し、腺ペストでの死亡率は30%から60%、肺ペストの場合はさらに死亡率は高まる[4]。これはエボラ出血熱に匹敵する。ただしペストは早期に適切な抗菌薬を投与すれば20%以下に抑えることが可能である。
感染症指定医療機関に隔離され、株ごとに異なる感受性のある抗生物質による治療が行われる。代表的な抗菌薬として、テトラサイクリン、クロラムフェニコール、ストレプトマイシン、ドキシサイクリン、シプロフロキサシンが挙げられる。
治療薬としてフルオロキノロン系、アミノグリコシド系、もしくはテトラサイクリン系の抗菌薬が使用される[4]。
予防
予防策として、
- 感染の予防策としては、ペスト菌を保有するノミや、ノミの宿主となるネズミの駆除。
- 腺ペスト患者の体液に触れない。
- 患者部屋への立ち入りを制限。
- 患者の 2メートル以内に接近する場合は、マスク、眼用保護具、アイソレーションガウン、手袋の着用。
- テトラサイクリン、ドキシサイクリン、ST合剤の予防内服。
が挙げられる。
なお、有効なワクチンは存在しない。コクラン共同計画によるシステマティック・レビューによれば、ワクチンの有効性について言及できる質の医学研究は見つからなかった[9]。
歴史
ペストはこれまでに3度にわたる世界的流行をみている。
- 第1次は、6世紀の「ユスティニアヌスのペスト」に始まって8世紀末まで続いたもの。
- 第2次は、14世紀に猖獗を極めた「黒死病」から17世紀末にかけてのもので、オスマン帝国では19世紀半ばまで続いた。
- 第3次は、19世紀末から21世紀まで続くものである。
第2次のパンデミックは、1331年に中国大陸で発生し、元の人口を半分に減少させる猛威を振るったのち[10]貿易ルートに沿ってヨーロッパ、中東、北アフリカに拡散し、およそ8000万人から1億人ほどが死亡したと推計されている。ヨーロッパでは、1348年から1420年にかけて断続的に流行した[11]。ヨーロッパで猛威をふるったペストは、放置すると肺炎などの合併症によりほぼ全員が死亡し、たとえ治療を試みたとしても、当時の医療技術では十分な効果は得られず、致命率は30%から60%に及んだ[11]。イングランドやイタリアでは人口の8割が死亡し、全滅した街や村もあった。ペストによってもたらされた人口減は、それまでの社会構造の変化を強いられる大きな打撃を与えた。
中国大陸のペストは19世紀に再び発生。1894年に世界的交易地だった英領香港に飛び火したためパンデミックを引き起こした。日本政府は北里柴三郎ら調査団を派遣し、同年6月12日に香港到着。北里は同14日にペスト菌を発見した(イェルサンとほぼ同時)。団員からも感染者が出たが北里は現地に留まり、石炭酸や石灰液による消毒が有効なことを突き止め、さらに患者の家に死骸が多くあったネズミが媒介しているとみられることを香港政庁に伝えた[7]。
1990年代
世界保健機関(WHO)の報告によれば、1991年以降ヒトペストは増加し 1996年の患者3017人(うち死亡205人)、1997年には患者5419人(うち死亡274人)であった。ただし、WHOに報告された人のペスト患者数は、概して、実際の患者数よりも少なく、実態はさらに深刻であった。
汚染地域とされるのは、
- アフリカの山岳地帯および密林地帯
- アジア大陸東南部のヒマラヤ山脈周辺ならびに熱帯雨林地帯
- 中国、モンゴルの亜熱帯草原地域
- アラビア半島からカスピ海北西部
- 北米南西部ロッキー山脈周辺
- 南米北西部のアンデス山脈周辺ならびに密林地帯
などである。
2000年代
WHOによれば 2004-2015年の感染者は56,734名で、死亡者数は4,651名(死亡率 8.2%)であった[4][注 4]。このうち86%(48,699名)は、マダガスカル(19,122名)、コンゴ民主共和国(14,175名)、タンザニア(6,448名)などのアフリカ諸国である[4]。マダガスカルでは2017年にも流行し、患者2,348名、死亡202例であった[4]。
2000年代ではアジアでも流行し、ベトナム(3,425名)、インド(900名)、ミャンマー(774名)、中国(584名)が報告されている[4]。2011-2015年では中国5名、モンゴル5名、キルギス1名、ロシア1名[4]。
全世界での平均発生数は、依然として発生する地域的なアウトブレイクによる増減は見られるものの、1998年以降、大きな変化はない[12]。
日本におけるペスト発生
日本においてペストは、明治以前の発生は確認されていない[13]。最初の報告は、1896年(明治29年)に横浜に入港した中国人船客で、3月29日に横浜に上陸し、同地の中国人病院で3月31日に死亡した[14][15]。1899年(明治32年)9月、横浜沖での「亜米利加丸」検疫で船倉から高熱を出している中国人船員が見つかり、横浜海港検疫所の施設に隔離して検査したところペストと判明。関東上陸は阻止された。この時、検疫官補だったのが野口英世である[7]。
だがその後、大小の流行が複数回あった[16]。1899年(明治32年)11月が最初の流行で、台湾から門司港へ帰国した日本人会社員が広島で発病して死亡。その後、半月の間に神戸市内、大阪市内、浜松で発病、死者が発生した。1899年は45人のペスト患者が発生、40人が死亡した。
香港でペスト菌を発見した北里柴三郎の指導下、当局はペストの蔓延防止に努めた[7]。翌年1月15日より東京市は予防のため、ネズミを1匹あたり5銭で買い上げた[17]。火葬場で焼却されたネズミの霊を供養するための鼠塚が1902年(明治44年)、渋谷区の祥雲寺境内に建てられた[7]。1901年(明治34年)5月29日、警視庁はペスト予防のため、屋内を除き跣足(裸足)での歩行を禁止(庁令第41号)[18]。車夫・馬丁などの裸足を厳禁した[19]。『日本』(新聞)によれば、10月6日横浜でペスト患者が発生し、10月30日発生地域の家屋12戸を焼き払い、12月24日には東京でペスト患者が発生した。最大の流行は1905-1910年の大阪府で、958名の患者が発生し、社会的に大きな影響を与えた[20]。この際、紡績工場での患者発生が続いたことから、ペスト流行地のインドから輸入された綿花に混入したネズミが感染源というのが通説になった[7]。1914年4月に東京でペストが流行し、年末までの死者は41人。1899年から1926年までの日本の感染例は2,905名で、死亡例2,420名が報告された[4]。
1927年(昭和2年)以降は国内感染例はない[16][注 5]。
注釈
出典
- ^ a b 大槻文彦著 「ペスト」『大言海』新編版、冨山房、1982年、1852頁。
- ^ a b c “Plague”. World Health Organization(世界保健機関) (2017年10月). 2017年11月8日閲覧。
- ^ “Symptoms Plague” (英語). CDC (2015年9月). 2017年11月8日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y ペストとは国立感染症研究所、2019年12月27日改訂
- ^ “FAQ Plague” (英語). CDC (2015年9月). 2017年11月8日閲覧。
- ^ Historical Estimates of World Population アメリカ国勢調査局の推計
- ^ a b c d e f 【時を訪ねて 1899】ペスト防衛(東京、横浜)北里と野口、水際で発見『北海道新聞』日曜朝刊別刷り2020年10月25日1-2面
- ^ a b c “日本小児科学会 予防接種・感染対策委員会「学校、幼稚園、保育所において予防すべき感染症の解説」”. 厚生労働省. 2020年1月22日閲覧。
- ^ Jefferson T, Demicheli V, Pratt M (2000). Jefferson, Tom. ed. “Vaccines for preventing plague”. Cochrane Database Syst Rev (2): CD000976. doi:10.1002/14651858.CD000976. PMC 6532692. PMID 10796565 .
- ^ “How Pandemics End”New York Times、MAY. 10, 2020(2020年10月27日閲覧)
- ^ a b Suzanne Austin Alchon(2003),A Pest in the Land: New World Epidemics in a Global Perspective, p.21(表)
- ^ ペスト:地域別罹患率・死亡率の検討-2004年〜2009年 CDC Travelers' Health, Outbreak Notice(2010年2月18日)2017年3月4日
- ^ 瀬上清貴「健康危機管理と治世 (PDF) 」国立保健医療科学院
- ^ 高木友枝「横濱市ノ「ペスト」病」『細菌學雜誌』1896年 1895and1896巻 5号 p.319-322, doi:10.14828/jsb1895.1895and1896.319
- ^ 『時事新報』
- ^ a b ペストとは 国立感染症研究所
- ^ 『警視庁東京府広報 明治33年綴』
- ^ 「跣足厳禁庁令発足」『毎日新聞』1901年5月31日。『新聞集成明治編年史. 第十一卷』、国立国会図書館近代デジタルライブラリー、2014年7月3日閲覧。
- ^ 『警視庁東京府広報 明治34年綴』
- ^ 坂口誠「近代大阪のペスト流行, 1905-1910年」『三田学会雑誌』2005年 97巻 4号 p.561-581, NAID 120005440787, 慶應義塾経済学会
- ^ “感染症指定医療機関の指定状況(平成31年4月1日現在)”. www.mhlw.go.jp. 厚生労働省. 2020年12月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月14日閲覧。
- ^ “ペストの病原体検査・診断マニュアル” (PDF). 国立感染症研究所 (2012年5月). 2020年12月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月14日閲覧。
- ^ a b “一類感染症への行政対応の手引き(案)” (PDF). 厚生労働省. 2020年12月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月14日閲覧。
- ^ “ジフテリア及びペスト”. 感染症の病原体を保有していないことの確認方法について. 厚生労働省. 2020年12月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月14日閲覧。
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