プラトン プラトンの概要

プラトン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/05/13 06:05 UTC 版)

プラトン
フルネーム プラトン
生誕 紀元前427年
死没 紀元前347年
時代 古代哲学
地域 西洋哲学
学派 プラトン学派
研究分野 修辞学芸術文学認識論倫理学正義政治教育家族
主な概念 イデア
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プラトンの思想は西洋哲学の主要な源流であり、哲学者ホワイトヘッドは「西洋哲学の歴史とはプラトンへの膨大な注釈である」という趣旨のことを述べた[1]。『ソクラテスの弁明』や『国家』等の著作で知られる。現存する著作の大半は対話篇という形式を取っており、一部の例外を除けば、プラトンの師であるソクラテスを主要な語り手とする[2]

目次

概説 [編集]

初期のプラトンは、「敬虔」や「勇気」といった古代ギリシアの伝統的なとは何か、それは教えられるものかどうか、といったことを探求したが、著書の中では直接答えは与えられず、最後には行き詰まり(アポリア)に至る。中期には、世界を目に見える現実の世界「現実界」とその元になる完全にして真実の世界「イデア界」とに分けるイデア論を展開した。

ピュタゴラス学派の思想を学び、とりわけ、幾何学を重んじる思想やオルペウス教[3]輪廻転生説の影響を受けた。中期以降、その影響が顕著に見られる。また、パルメニデス等のエレア派にも関心を寄せ、後期対話篇ではエレア派の人物をしばしば登場させている。

プラトンは初めて[要出典]理論的に人間のこころについて考えようとした人物であり、魂の三区分説(『国家』436A、580C-583A、『ティマイオス』69C)を以って、人間のこころの動きを説明しようとした。イデア論に従って霊魂(プシューケー)の不死性の論証を試み(『パイドン』)、一般的な理解では、その思想は人間の霊魂と身体(肉体)を別々の実体として立てる霊肉二元論、ひいてはデカルトらの物心二元論の源流のひとつと見なされている。

プラトンはアテナイ郊外にアカデメイアという名で学校を開設した。プラトンの後継者たるべき、アカデメイアを拠点に活動した人々はアカデメイア派と呼称される。

なお、後述するようにレスリングが得意であったらしい。また、パンクラチオンを「不完全なレスリングと不完全なボクシングが一つとなった競技である」と評したことも知られている。

生涯 [編集]

ラファエロ画「アテナイの学堂」 フレスコ画。なお、これはレオナルド・ダ・ヴィンチ自画像がモデルとされる。

少年・青年期 [編集]

紀元前427年アテナイ最後の王コドロス英語版の血を引く貴族の息子として、アテナイにて出生[4]

祖父の名にちなんで「アリストクレス」と命名された[5]が、体格が立派で肩幅が広かった (古希: πλατύς) ため、レスリング[6][7]の師匠であるアルゴスのアリストンに「プラトン」と呼ばれ、以降そのあだ名が定着した。

若い頃は政治家を志していたが、やがて政治に幻滅を覚え、ソクラテスの門人として哲学と対話術を学んだ。

(また、アリストテレスによれば、プラトンは若い頃、ソクラテスよりもまず先に、対話篇『クラテュロス』にも題して登場させているクラテュロスに、ヘラクレイトスの自然哲学を学び、その「万物流転」思想(感覚的事物は絶えず流転しているので、そこに真の認識は成立し得ない)に、生涯に渡って影響を受け続けたという[8]。)

紀元前399年、アテナイの詩人メレトス英語版の起訴によって、ソクラテスは「神々に対する不敬と、青年たちに害毒を与えた罪」を理由に裁判にかけられる。法廷での投票により死刑に決せられたソクラテスは毒杯を仰いで刑死する[9]

第一回シケリア旅行 [編集]

この後、紀元前388年頃、プラトンはアテナイを離れ、イタリアシケリア島(1回目のシケリア行)、エジプトを遍歴した。この時、イタリアでピュタゴラス派およびエレア派と交流をもったと考えられている。また、20歳過ぎの青年ディオンに初めて会ったのも、この時である[10]

学園開設 [編集]

紀元前387年、アテナイ郊外の北西、アカデメイアの地の近傍に学園を設立した。そこはアテナイ城外の森の中、公共の体育場が設けられた英雄アカデモス英語版の神域であり、プラトンはこの土地に小園をもっていた[11]。場所の名であるアカデメイアがそのまま学園の名として定着した。アカデメイアでは天文学生物学数学政治学哲学等が教えられた。そこでは対話が重んじられ、教師と生徒の問答によって教育が行われた。

紀元前367年には、アリストテレスが17歳の時にアカデメイアに入門し、以後、プラトンが亡くなるまでの20年間学業生活を送った。プラトン没後、その甥のスペウシッポスが跡を継いで学頭となり、アリストテレスはアカデメイアを去った。

第二回シケリア旅行 [編集]

紀元前367年ディオン[12]らの懇願を受け、シチリア島のシュラクサイへ旅行した(2度目のシチリア行)。シュラクサイの若き僭主ディオニュシオス2世英語版を指導して哲人政治[13]の実現を目指したが、プラトンが到着して4ヶ月後に、流言飛語によってディオンは追放されてしまい、不首尾に終わる[10]

第三回シケリア旅行 [編集]

紀元前361年、ディオニュシオス2世自身の強い希望を受け、3度目のシュラクサイ旅行を行うが、またしても政争に巻き込まれ、今度はプラトン自身が軟禁されてしまう。この時プラトンは、友人であるピュタゴラス学派の政治家アルキュタスの助力を得て、辛くもアテナイに帰ることができた。哲人政治の夢は紀元前353年にディオンが政争により暗殺されたことによって途絶えた。

プラトンは晩年、著述とアカデメイアでの教育に力を注ぎ、紀元前347年紀元前348年とも)、80歳で没した。




  1. ^ “ヨーロッパの哲学の伝統のもつ一般的性格を最も無難に説明するならば、プラトンに対する一連の脚註から構成されているもの、ということになる”[1](『過程と実在』)。ちなみに、ホワイトヘッドによるこのプラトン評は「あらゆる西洋哲学はプラトンのイデア論の変奏にすぎない」という文脈で誤って引用されることが多いが、実際には、「プラトンの対話篇にはイデア論を反駁する人物さえ登場していることに見られるように、プラトンの哲学的着想は哲学のあらゆるアイデアをそこに見出しうるほど豊かであった」という意味で評したのである。
  2. ^ カール・ポパー「開かれた社会とその敵」(未來社)、佐々木毅「プラトンの呪縛」(講談社学術文庫)、「現代用語の基礎知識」(自由国民社、1981年)90p、「政治哲学序說」(南原繁、1973年)
  3. ^ 「肉体(ソーマ)は墓(セーマ)である」の教説はオルフェウス教的と評される。ただし、E・R・ドッズは通説を再考し、これがオルフェウス教の教義であった可能性は低いとみている(『ギリシァ人と非理性』 p.182)。
  4. ^ プラトンの家系図については曾祖父クリスティアスの項を参照。
  5. ^ ディオゲネス・ラエルティオスによると、プラトンの本名はアリストクレスである。
  6. ^ 当時の名門家では文武両道を旨とし知的教育と並んで体育も奨励され、実際、プラトンはイストミア祭のレスリング大会で2度も優勝している。オリンピアの祭典では優秀な成績を上げられず、学問の道に進みソクラテスに弟子入りしている。
  7. ^ 額が広かったためとの伝もある。
  8. ^ 形而上学』第1巻987a32
  9. ^ この裁判を舞台設定としたのが『ソクラテスの弁明』である。
  10. ^ a b 第七書簡
  11. ^ シュヴェーグラー『西洋哲学史』によれば、この地所はプラトンの父の遺産という。また、ディオゲネス・ラエルティオスによれば、プラトンが奴隷として売られた時にその身柄を買い戻したキュレネ人アンニケリスが、プラトンのためにアカデメイアの小園を買ったという。
  12. ^ ディオゲネス・ラエルティオスアリスティッポスの説として述べるところによれば、ディオンはプラトンの恋人(稚児)であった。プラトンは、他にもアステールという若者、パイドロス、アレクシスアガトンと恋仲にあった。また、コロポン生まれの芸娘アルケアナッサを囲ってもいた。『ギリシア哲学者列伝 (上)』岩波文庫、271-273頁。
  13. ^ 対話篇『国家』に示される。
  14. ^ 『エウテュフロン』14、『パイドン』170
  15. ^ 『メノン』99
  16. ^ 同81
  17. ^ 『パイドン』107
  18. ^ 『国家』435
  19. ^ 『国家』443
  20. ^ 『国家』376
  21. ^ ステファヌス」(Stephanus)とは、フランス姓「エティエンヌ」(Étienne)のラテン語表現。
  22. ^ アリストテレスの思想の成立に師プラトンが大きく関与したことは論を俟たない。ただし、その継承関係には議論があり、アリストテレスはプラトンの思想を積極的に乗り越え本質的に対立しているとするものと、プラトンの思想の本質的な部分を継承したとするものとに大きく分かれる。
  23. ^ 収富信留『プラトン 理想国の現在』(慶応義塾大学出版会、2012年)





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