フレドリック・マーチ フレドリック・マーチの概要

フレドリック・マーチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/01 18:36 UTC 版)

Fredric March
フレドリック・マーチ
1940年ごろに撮影された宣材写真
生年月日 (1897-08-31) 1897年8月31日
没年月日 (1975-04-14) 1975年4月14日(77歳没)
出生地 アメリカ合衆国 ウィスコンシン州ラシーン
死没地 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
職業 俳優
配偶者 Ellis Baker (1921-1927)
フローレンス・エルドリッジ英語版 (1927-1975)
 
受賞
アカデミー賞
主演男優賞
1931年ジキル博士とハイド氏[1]
1946年我等の生涯の最良の年
ヴェネツィア国際映画祭
男優賞
1952年セールスマンの死
審査員特別賞
1954年『重役室』
ベルリン国際映画祭
銀熊賞(男優賞)
1960年風の遺産
ゴールデングローブ賞
主演男優賞(ドラマ部門)
1951年セールスマンの死
トニー賞
演劇主演男優賞
1947年Years Ago[2]
1957年Long Day's Journey into Night
その他の賞
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我等の生涯の最良の年』(1946年)の宣材写真より

1931年の『ジキル博士とハイド氏』、また1946年には『我等の生涯の最良の年』で2度のアカデミー主演男優賞に輝いた。

生涯

元来子どもの頃から芝居好きで、14歳でアマチュア劇団に参加する。ラシーン・ハイスクールを経て、ウィスコンシン州立大学に入学し、経済学を専攻するも、折からの第一次世界大戦によって砲兵隊に中尉として従軍。帰還後は同校を卒業。この頃からジョン・バリモアに憧れて本格的に俳優を目指すようになる。1920年ナショナル銀行の行員となるが、結局は俳優の夢を捨てきれず、盲腸の手術をうけたこともあって、銀行を退職して病院の臨時職員を勤めながら、モデルや舞台の端役出演などで暮らしていた。映画も1921年の『浮世を茶にして』などにエキストラ出演する。当初はフレドリック・バイケルの芸名だったが、1924年の初めにフレドリック・マーチに改名する。なお芸名は母親の旧姓「Marcher」から。1927年にはついに主役を演じるようになり、シアター・ギルドをへてバリモア一家の一人としてウェスト・コースト劇団で活躍、憧れのジョン・バリモアとも競演を果たす。

トーキー映画の到来と共に1927年パラマウント社に招かれて『ダミイ』で映画入り。舞台で鍛え上げられたその演技力と端正な二枚目で人気を呼び、事実上のトーキー・スター第1号となる。デビュー当時は、1929年の「底抜け騒ぎ」のようなクララ・ボウの女学生に誘惑される教授役など謹厳実直型の役が多かったが、1931年の『ジキル博士とハイド氏』での二重人格者の演技が高い評価を得て、アカデミー主演男優賞を獲得。今までと同じ役柄の謹厳実直なジキル博士と特殊メイクにより野獣のようなハイドを演じきったマーチはこの一作で大きく飛躍した。ちなみにこの時はアカデミー男優賞は『チャンプ』に主演したウォーレス・ビアリーとダブル受賞で、同時に二人の人物が受賞するということは第41回の主演女優賞(キャサリン・ヘプバーンバーブラ・ストライサンド)まで唯一の事例だった。また本作は1991年の『羊たちの沈黙』でアンソニー・ホプキンスが受賞するまで、ホラー映画の主役に与えられた唯一のオスカーである。

しかし、常に与えられた役柄に不満を抱き、その事から一時は映画会社を渡り歩く異端児としての日々が続く。1934年にパラマウントの再契約を拒否、フォックスに移籍し、1937年のセルズニック・プロの『スタア誕生』で落ち目になったかつての人気俳優ノーマン・メイン役を演じ、アカデミー主演男優賞にノミネートされる。1936年には1本12万5000ドルという高額ギャラ・ベスト5に入るなど、この頃に人気はピークになる。1938年にパラマウントに戻るが、この頃撮影所への不満が爆発。妻で女優のフローレンス・エルドリッジと共にブロードウェイの舞台に出るが、一週間で打ち切りという失敗に終わる。さすがにハリウッドに戻るが、一度ハリウッドから出て行った者は余計者扱いされ、独立スタジオぐらいしか呼び声がかからなかった。1939年にはまたブロードウェイへ走り、舞台に精力的に出演する。この間に映画はギャラを下げて何作かに出演、そして1944年1945年には完全に映画から離れる。まさしく『スタア誕生』のノーマンの如く、この頃にキャリアが低迷し、後続のゲイリー・クーパースペンサー・トレイシーに抜かれてしまう。

1946年に『我等の生涯の最良の年』で中年の復員兵を演じ、2度目のアカデミー主演男優賞を受賞。単なる二枚目から苦悩に満ちた中年男へと見事に変身し、さらなる人気を呼ぶ。翌年は舞台でもルース・ゴードン作の『Years Ago』でこの年に創設されたトニー賞の最優秀男優賞を獲得。1951年には劇作家アーサー・ミラーの代表作の映画化『セールスマンの死』(アカデミー主演男優賞ノミネート)でヴェネツィア国際映画祭の男優賞を受賞、1955年のサスペンス映画『必死の逃亡者』ではハンフリー・ボガート扮する脱獄犯相手に迫真の演技を残し、1957年には再びユージン・オニール作の舞台『夜への長い旅路』でトニー賞に輝いた。1960年には社会派映画の第一人者であるスタンリー・クレイマー監督の意欲作『風の遺産』にライバルのスペンサー・トレイシーと共演、二人とも同じウィスコンシン州出身、2度のアカデミー賞を獲得、そして『ジキル博士とハイド氏』で主役を演じていたことなど彼らには共通点も多く、実際、二人は私生活でも仲が良かったという。

政治的にはリベラルで、1949年では下院非米活動委員会(HUAC)のカリフォルニア支局でブラック・リストに載せられた。1923年にエリザベス・ベイカーと結婚するが、のちに離婚。1927年に結婚したフローレンスとは映画に共演作も多くおしどり俳優夫婦として知られた。

1972年に前立腺癌の手術を受けるも3年後に帰らぬ人となった。

アカデミー主演男優賞を2回も受賞した俳優はマーチをはじめ、スペンサー・トレイシー、ゲイリー・クーパー、マーロン・ブランドダスティン・ホフマンジャック・ニコルソントム・ハンクスショーン・ペンアンソニー・ホプキンスとわずかにしかいない。

主な出演作品

公開年 邦題
原題
役名 備考
1929 ワイルド・パーティー
The Wild Party
ジェームズ・ギルモア
撮影所殺人事件
The Studio Murder Mystery
リチャード
嫉妬
Jealousy
ピエール
1930 サラアとその子
The Studio Murder Mystery
ハワード
パラマウント・オン・パレイド
Paramount on Parade
踊子夫人
Laughter
ポール・ロックリッジ
名門芸術
The Royal Family of Broadway
トニー・カヴェンディッシュ
1931 夜の天使
The Night Angel
Rudek Berken
私の罪
My Sin
ディック・グレイディ
ジキル博士とハイド氏
Dr. Jekyll and Mr. Hyde
ジキル博士/ハイド氏 アカデミー主演男優賞 受賞
ヴェネチア国際映画祭男優賞 受賞
1932 借りた人生
Strangers in Love
バディ・ドレイク/アーサー・ドレイク
我等は楽しく地獄へ行く
Merrily We Go to Hell
ジェリー・コーベット
永遠に微笑む
Smilin' Through
ケネス・ウェイン
暴君ネロ
The Sign of the Cross
Marcus Superbus
1933 鷲と鷹
The Eagle and the Hawk
ジェリー・H・ヤング
生活の設計
Design for Living
トム・チャンバース
1934 わたしの凡てを
All of Me
ドン・エリス
明日なき抱擁
Death Takes a Holiday
Prince Sirki
白い蘭
The Barretts of Wimpole Street
ロバート・ブラウニング
復活
We Live Again
Prince Dmitri Nekhlyudov
1935 噫無情
Les Miserables
ジャン・バルジャン
アンナ・カレニナ
Anna Karenina
ヴィロンスキー
ダアク・エンゼル
The Dark Angel
アラン・トレント
1936 永遠の戦場
Mary of Scotland
マイケル・デネット
メアリー・オブ・スコットランド
Mary of Scotland
ボスウェル伯
風雲児アドヴァース
Anthony Adverse
アンソニー・アドヴァース
1937 スタア誕生
A Star Is Born
ノーマン・メイン
無責任時代
Nothing Sacred
ウォリー・コック
1938 海賊
The Buccaneer
ジェーン・ラフィット
貿易風
Trade Winds
サム
1941 我が道は遠けれど
One Foot in Heaven
ウィリアム・スペンス
1942 奥様は魔女
I Married a Witch
ジョナサン/ナサニエル/サミュエル/ウォレス・ウーリー
1946 我等の生涯の最良の年
The Best Years of Our Lives
アル・スティーブンソン アカデミー主演男優賞 受賞
1949 コロンブスの探険
Christopher Columbus
クリストファー・コロンブス
1951 セールスマンの死
Death of a Salesman
ウィリー・ローマン ヴェネチア国際映画祭男優賞 受賞
ゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ドラマ部門) 受賞
1953 綱渡りの男
Man on a Tightrope
カレル
1954 重役室
Executive Suite
ローレン
1955 必死の逃亡者
The Desperate Hours
ダン・C・ヒリアード
トコリの橋
The Bridges at Toko-ri
ジョージ・タラント提督
1956 アレキサンダー大王
Alexander the Great
ピリッポス2世
灰色の服を着た男
The Man in the Gray Flannel Suit
ラルフ・ホプキンス
1959 真夜中
Middle of the Night
ジェリー・キングスレー
1960 風の遺産(聖書への反逆)
Inherit the Wind
マシュー・ハリソン・ブラディ ベルリン国際映画祭男優賞 受賞
1961 若き医師たち
The Young Doctors
ジョセフ・ピアソン
1963 アルトナ
I sequestrati di Altona
Albrecht von Gerlach
五月の七日間
Seven Days in May
ジョーダン・レイマン
1967 太陽の中の対決
Hombre
フェーバー
1970 …チック…チック…チック
...tick... tick... tick...
ジェフ・パークス
1973 氷人来たる
The Iceman Cometh
ハリー・ホープ

  1. ^ 『チャンプ』のウォーレス・ビアリーとダブル受賞
  2. ^ シラノ・ド・ベルジュラック』のホセ・フェラーとダブル受賞


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