フリードリヒ2世 (プロイセン王) 評価

フリードリヒ2世 (プロイセン王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/03 23:16 UTC 版)

フリードリヒ2世Friedrich II., 1712年1月24日 - 1786年8月17日)は第3代プロイセン国王


注釈

  1. ^ オーストリアの将軍プリンツ・オイゲンはマリア・テレジアの結婚相手にフリードリヒを推挙したことがあるが、実現しなかった。マリア・テレジアの長男である皇帝ヨーゼフ2世はフリードリヒ2世を尊敬しており、母后はこのことを大変悲しんでいたとされる。しかし、ヨーゼフ2世はバイエルン継承戦争ではフリードリヒと敵対し、マリア・テレジアは息子とフリードリヒとの間で和議に苦心することになった。
  2. ^ ドイツ語はHunde, wollt ihr ewig leben?。クーネルスドルフやトルガウの会戦でも同様の行動を取ったとされるが、そのたびに流弾で軽傷を負っている。
  3. ^ ミカラ・ペトリによってリコーダー演奏によるCDフィリップスより発売されていた。

出典

  1. ^ #著作参照、フランス語版全集。
  2. ^ 渡部昇一『ドイツ参謀本部』祥伝社新書、2009年
  3. ^ 菊池、p191-192.
  4. ^ S.フィッシャー=ファビアン 『人はいかにして王となるか』2、p21
  5. ^ 林健太郎、堀米雇三 編『世界の戦史6 ルイ十四世とフリードリヒ大王』人物往来社、1966年
  6. ^ a b c 進藤牧郎「シュレージエン戦争」日本大百科全書(ニッポニカ)
  7. ^ 湯浅慎一 1990, p. 170-172.
  8. ^ 渡部重美「18世紀末ドイツ文学・文化の様相 : フリードリヒ2世のドイツ文学論を中心に据えた記述の試み」、『藝文研究』第81巻、慶應義塾大学藝文学会、2001年12月
  9. ^ フリードリヒ2世の著作全集は1846年から1856年にフランス語版が出ており、1913年から1914年にドイツ語版が刊行された。目次詳細およびドイツ語版全集についてはde:Liste der literarischen Werke Friedrichs des Großenを参照。
  10. ^ Œuvres de Frédéric le Grand, hrsg. von Johann David Erdmann Preuß, 30 Bde., Berlin: Decker, 1846–1856.
  11. ^ 長瀬鳳輔訳、興亡史論刊行会、1919年。同訳がマキャヴェリの『君主論』と併録された版もある(平凡社、1931年)
  12. ^ Military Instruction from the late King of Prussia to his Generals.,1818.フランス語からの翻訳、Lieut.-Colonel Foster
  13. ^ 松村劭『世界の歴史を変えた名将たちの決定的戦術』
  14. ^ 大澤武男 『ユダヤ人とドイツ』 講談社〈講談社現代新書〉、1991年、p.55-75
  15. ^ 著書『ドイツ参謀本部


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