フライング・タイガー・ライン739便失踪事故 フライング・タイガー・ライン739便失踪事故の概要

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > フライング・タイガー・ライン739便失踪事故の解説 > フライング・タイガー・ライン739便失踪事故の概要 

フライング・タイガー・ライン739便失踪事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 06:04 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
フライング・タイガー・ライン739便
同型機のL-1049H
出来事の概要
日付 1962年3月16日
概要 機体未発見のため原因不明
現場 フィリピン東方海域
乗客数 96
乗員数 11
負傷者数 0
死者数 107 (全員)
生存者数 0
機種 ロッキードL1049・スーパーコンステレーション
運用者 フライング・タイガー・ライン
機体記号 N6921C
出発地 トラビス空軍基地
第1経由地 ホノルル国際空港
第2経由地 Wake Island Airfield
第3経由地 アンダーセン空軍基地
最終経由地 クラーク空軍基地
目的地 タンソンニャット国際空港
テンプレートを表示

事故の概略

フライング・タイガー・ライン739便(ロッキードL1049H スーパーコンステレーション機体記号:N6921C)は、アメリカ陸軍空輸サービス(MATS)の委託を受けて、南ベトナムのサイゴンに陸軍将兵を送り届ける便であった。

アメリカ合衆国カリフォルニア州にあるトラビス空軍基地を出発した739便には、民間人である乗員11名のほかの乗客は全てジョン・F・ケネディ政権が南ベトナムへの派兵決定を受けて同国に送られるアメリカ軍人であり、アメリカ軍の将兵93名と南ベトナム軍将兵3名が搭乗していた。

経由地であるグアムアンダーセン空軍基地から、フィリピンマニラにあるクラーク空軍基地に向けて離陸後、夜間飛行をしていた最中に18,000フィート(5,500メートル)を巡航しているとの交信を最後に失踪した。ただちに大規模な捜索が多くの航空機と船舶を動員して1週間にわたり行われたが、一切の痕跡を発見することが出来なかった。そのため107名全員は死亡したものと判断された。

後にフィリピン東方1,300kmを航行していた船舶の乗組員から、739便がその近辺を飛行していたと思われる3月16日午前0時30分(現地時間)ごろ、何かが空中で爆発し2つの火の玉になって海面に落下していったという証言があった。そのためなんらかの原因で墜落したと推定されたものの、機体の残骸という物証を得られなかったため、事故原因も特定されることはなかった。

参考文献

関連項目

外部リンク




「フライング・タイガー・ライン739便失踪事故」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「フライング・タイガー・ライン739便失踪事故」の関連用語

フライング・タイガー・ライン739便失踪事故のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



フライング・タイガー・ライン739便失踪事故のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのフライング・タイガー・ライン739便失踪事故 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS