フィリピン 国民

フィリピン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/09 14:41 UTC 版)

国民

民族

州ごとの民族分布

人口が1億人を超えたフィリピンはマレー系を始めとする多民族国家である。タガログ族ビサヤ族英語版セブアノ族英語版ヒリガイノン族英語版ワライ族英語版)、イロカノ族英語版ビコラノ族英語版カパンパンガ族英語版パンガシナン族英語版モロ族マギンダナオ族バジャウ族英語版ヤカン人英語版タウスグ人英語版サマル人英語版en:Bangsamoro[要曖昧さ回避])、イヴァタン人英語版台湾原住民)、華人サンボアンゲーニョ英語版メスティーソネグリトアエタ族アティ族バタック人ママンワ族英語版

フィリピン人

現在ではフィリピン人とは、フィリピンに生まれ育った土着の人々の名称である。このような考え方は19世紀半ば以降に意識され始めた。かつては、スペイン本国生まれのスペイン人と区別して、フィリピン諸島生まれのスペイン人を指して用いられた。彼らをフィリピーノ[67] あるいはクリオーリョ、そして、土着の人々をインディオといった。また、スペイン人や中国人の移住者の男性と現地の女性との間に生まれた子どもはメスティーソと呼ばれた。この背景には、インディオやメスティーソのなかの富裕層の子弟たちが、スペインの圧政に耐え兼ね、改革や自治を求めた様々な運動があったことが考えられる[6]

タガログ族

フィリピンの主要民族はタガログ族であり、ルソン島のリサール州ラグナ州タルラック州ブラカン州バターン州などに住み、タガログ語は他のフィリピン諸語と同じく、オーストロネシア語に属する。これを母語とする者は2500万人以上と推計される。16世紀後半から約300年にわたるスペイン人の支配により、タガログ族の80%以上がカトリック教徒となっている。大半が木やニッパヤシでつくった小さな高床式の家屋に住み、水稲耕作を主とする農業を営んでいるが、主要な換金作物はサトウキビとココナッツである。19世紀から20世紀初頭にかけて起こった白人(スペイン人、アメリカ人)と日本人の植民地支配に対する革命運動で、最も重要な役割を演じた民族でもある。そのため、フィリピン国民の主要な英雄や、独立後の政府の指導者多く輩出している。ルソン島にはその他にもイロカノ族(人口約810万人)、ビコラノ族(人口約540万人。ビゴール語を話す)、カパンパンガ族(約人口300万人)、パンガシナン族(約人口110万人。但し、イロカノ族との混血が進んでいる)など、他にも多数の中小部族を抱えている。

ビサヤ族

続く主要民族はビサヤ諸島(セブ島、パナイ島レイテ島サマール島)を中心として、ルソン島からミンダナオ北部にかけて居住する新マレー系住民のビサヤ族である。オーストロネシア語族に属するビサヤ諸語を話し、人口は2000万を超えると推定されるが、政治的に、社会的地位は、タガログ族が圧倒的優位を占めている。但し、一言にビサヤ族と言えど、実際には多数の部族が存在している。ビサヤ族の最大の部族はセブアノ族であり、セブアノ語を話し、セブ、シキホール、ボホール島などの各島に居住し、1200万人の人口を誇る。2番目の人口を有するヒリガイノン族の人口は約700万人であり、ヒリガイノン語を話し、パナイ西ネグロス南ミンドロなどの各島に居住している。3番目にはワライ族であり、人口は約310万人。ワライワライ語を使用し、サマール、東レイテ、ビリランの各島に居住し、おもな生業は水田耕作による水稲栽培であるが、一部は漁労や商業にも従事している。主食は米、魚、野菜、果物である。双系親族、儀礼的親族を有する。かつてはラオンと呼ぶ至上神を信仰し、アニミズム信仰も盛んであったが、現在はほとんどキリスト教に改宗している。他にも多数の中小部族が存在している。そのため、マニラ中心の中央政府と協調関係を取りながらも、独自の文化、習慣、言語、民族性を保持している州政府が多い。

モロ族

ミンダナオ島などの南部にはイスラム教徒のモロ族(バジャウ族、ヤカン人、タウスグ人、サマル人など)が存在する。

華人

フィリピン華人の大部分は中国大陸福建南部(特に晋江)の出身である[68]時代からの古い華人が多く、現地化や混血(メスティーソ)が進んでいる。元大統領コラソン・アキノも福建華人の子孫であり、フィリピン独立の英雄として知られるホセ・リサールも中国系移民の系譜を持つ[68]。現在でも中国語福建閩南語)を話し、中国の生活習慣に慣れ親しむ者は100万人程度と推定される。苦力出身者がほとんどおらず、商業移民が中心となっている[69]。中国系移民の総人口に占める割合は比較的小さいが、2012年6月にフォーブズが発表したフィリピンの富豪上位10位の7割を中国系移民及びその子孫の企業グループが占めているように、経済的成功者も多く、フィリピン社会への影響力は大きい[68]

フィリピンの華人は、スペイン統治時代に幾度も排斥政策を取られたことから、存続のため、現地社会との融合度が高く、現地人との通婚が進んでおり、仏教を捨ててカトリック教会へ改宗した者も多い[68][69]。また、フィリピンが反共を掲げた経緯から、同じく反共を掲げ、西側陣営に属した台湾中華民国)との関係が深い。フィリピンの華人社会で使われる漢字は、台湾と同じ繁体字である[69]

メスティーソ

過去数百年で中国系(華人)やスペイン人(サンボアンゲーニョ英語版)との混血が進み、混血率は高い。地域によって混血率は違い、スペイン統治時代に重要な軍港であった地域、特にサンボアンガでは、スペイン人との混血率が高い。混血者はラテンアメリカと同様にメスティーソと呼ばれる。フィリピンは外国へ出稼ぎに行く国民が10人に1人はいる出稼ぎ国家で、外国で働く労働者が多いため、その他の混血の人も多い。その中でも、日本人アメリカ人とフィリピン人の混血が多い。

少数民族

山岳地帯のネグリト、ボントック、イフガオなどがいる。フィリピン各地の山岳地帯や南部のミンダナオ島、スールー諸島、パラワン島の住民は中北部の低地住民とは文化や生活様式を異にしてきた人々を少数民族という。これらの人々は全人口の10%前後であるといわれている。南部に住むムスリム(モロ族)と各地の山岳地帯に住む住民の2つに分けられる。アメリカは、少数民族を「非キリスト教徒部族民」と名付け、後進的な野蛮人と見なした(モロの反乱英語版)。これらの少数民族からも国会議員や地方議員が出ているが、彼らは地域の「ボス」であることが多く、少数民族の利害や権利は政治に反映されなかった。差別の原因を宗教の違いにされたり、無知からくる偏見にさらされた[70]

人口

人口密度(2009年)
国勢調査人口 1960-2015年[74]
1960年 1970年 1975年 1980年 1990年
27,087,685 36,684,486 42,070,660 48,098,460 60,703,206
1995年 2000年 2007年 2010年 2015年
68,616,536 76,506,928 88,566,732 92,337,852 100,981,437

言語

母語人口(2010年)
言語 話者数
タガログ語 24.44% 24.44
 
22,512,089
セブアノ語 21.35% 21.35
 
19,665,453
イロカノ語 8.77% 8.77
 
8,074,536
ヒリガイノン語 8.44% 8.44
 
7,773,655
ワライ語 3.97% 3.97
 
3,660,645
その他の現地語/方言 26.09% 26.09
 
24,027,005
その他の外国語/方言 0.09% 0.09
 
78,862
言及なし 0.01% 0.01
 
6,450
合計 92,097,978
脚注: Philippine Statistics Authority[75]

国語フィリピン語 (Filipino)、公用語はフィリピン語と英語であるが、母語として使われる言語は、合計172に及ぶ。これらのほとんどはアウストロネシア語族に分類されるが、アウストロネシア語族の言語間にも、ほとんど意志の疎通が図れないほどの違いがある。他には、スペイン植民地の歴史を反映してスペイン語(フィリピンのスペイン語)やチャバカノ語スペイン語とそのクレオール言語)がある。なおスペイン語は、1986年まで公用語だったこともあり、中等教育課程から必須科目としてスペイン語教育が行われていたが、現在は一部の学校及び大学でのみ行われている。フィリピン政府は各地で英語とフィリピン語が使われている事実から、両者を公用語であると宣言しており、スペイン語アラビア語(イスラム教徒)が自発的な運動により公用語になりうる事も示唆している。

フィリピン語 (Filipino) は、1987年に成立したフィリピン共和国憲法において、初めて国語を言い表すのに正式に採用された人工言語である。実質的にはマニラ首都圏を中心として話されている地方語の一つであるタガログ語 (Tagalog) を基にして採用された言語である。そもそもフィリピン国内では、ルソン島やミンダナオ島、セブ島を含む7100以上の島々からなる地域において、タガログ語をはじめ、セブアノ語(セブ語、ビサヤ語)、ボホラノ語英語版ワライ語ビコール語ヒリガイノン語イロカノ語パンパンガ語の8大言語[76] を含む100近い言語集団があると言われている。

アメリカ合衆国の植民地であったこともあり、アメリカ英語がかなり普及している。一方で、ナショナリズムの高まりと共に、政府はフィリピンが一体となって発展していくためには、国内全域で通用するフィリピンの共通言語が必要であるとし、タガログ語を基本としたフィリピン語を作り、普及に務めてきた。1934年のタイディングス・マクダフィ法を受けて、同年に開かれた憲法制定委員会で、公用語や国語の問題が話し合われ大論争となった。最終的には、固有の1言語を基礎として国語の確立をすることで収まった。これを受けて、1937年、ケソン大統領がタガログ語を国語の基礎として選択するという宣言を行った[77]

英語のタガログ語的運用あるいはタガログ語の語彙の不足を英語で補った言語運用が「タグリッシュ」と呼称されることがある。

人名・婚姻

フィリピンのキリスト教社会では、名前は西洋式に「名、ミドルネーム、姓」の3つの部分からなる[注釈 10]。その場合、未婚者および男性は母親の旧姓を、結婚して夫の姓となった女性は自分の旧姓をミドルネームとしていることが多い。ミドルネームはイニシャルのみを記す場合と、そのまま書き表す場合がある。スペインによる長い植民地支配時代の間に、地元民はスペイン人の姓から選んで自らの姓を名乗ってきたため、フィリピンではスペイン語姓が主流であるが、華人系の姓も多い。名は旧来のスペイン語の名前に加えて、英語その他、主にヨーロッパ系の名前が自由につけられている[注釈 11]

婚姻の際には、従来の法律では、結婚時に女性側は、自分の姓をミドルネームとして相手の姓を用いるか、相手の姓のみを用いるか、相手のフルネームにMrs.をつけるか、を選ぶことが可能、とされていた。2010年に、最高裁判所は、女性の権利を守る観点から、これらに加えて、相手の姓を用いず自分の姓のみを用い続ける(夫婦別姓)ことも可能、との判断を下した[78]

宗教

セント・オーガスチン・パオアイ教会

フィリピンは、バンサモロ自治地域を除けば、東南アジアでは東ティモールと並ぶキリスト教国である。キリスト教は、スペイン植民地時代に広まった。スペインが16世紀に伝えたものは、ローマ・カトリックであった。そのため、今でも人々のほとんどが、ローマ・カトリックの信者である。

キリスト教徒はフィリピンの全人口の90%以上を占める。2000年の国勢調査では、カトリックが82.9%(カトリック教会が80.9%、アグリパヤンが2%)、福音派が2.8%、イグレシア・ニ・クリストが2.3%、その他のキリスト教が4.5%を占める[79]

フィリピン独立教会がある。

2000年の国勢調査でのキリスト教の他の宗教は、スペイン人到来以前にもたらされたイスラム教が南部ミンダナオ島を中心に5%、その他が1.8%、不明が0.6%、無宗教が0.1%である[79]イスラム教やキリスト教伝来以前は、各島の自然の精霊などを信じる原始宗教(フィリピン神話)があった(「フィリピンの神話上の生き物」も参照)。

フィリピン共和国憲法に政教分離の規定は存在するものの、カトリック教会の影響は強く、フィリピン司教協会は離婚法や人工妊娠中絶避妊に対して反対し、政治家に対して政治介入しており、フィリピンで人口爆発貧困が続く一因となっている。また、結婚制度は存在すれど、離婚制度自体が法整備されていない国家として有名である[80][81]

教育

聖トマス大学 (フィリピン)、創立1611年

2008年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は95.4%(男性:95%、女性:95.8%)である[79]。2009年の教育支出はGDPの2.9%だった[79]

教育政策として高等教育の重視していることが特徴である。これはスペイン植民地時代から引き継がれている。高等教育の就学率は27.4%(1995年)で、アジアの中でも高い方であり、高等教育機関は、国公立・私立合わせて1489(2003年)もの大学が存在する。その中でも聖トマス大学はアジアでも最古の1611年創設であり、在フィリピンのスペイン人に聖職者教育を施すことを目的とした。1908年に設置されたフィリピン大学は、アメリカ統治時代のもので、英語でアメリカ式の教育を行い、現地調達の行政官や大学教員を育てることが目的であった[82]

保健

医療


注釈

  1. ^ 例えば、2010年代であれば、2010年、2013年、2016年、2019年の4回である。
  2. ^ 1916年のフィリピン自治法(ジョーンズ法)で直接選挙による二院制になった。1934年タイディングズ・マクダフィ法で独立準備政府の樹立を認め、発足10年後の独立を約束した。
  3. ^ 1934年に憲法制定議会を招集し憲法草案を起草(共和政体の権利章典を含む憲法)、アメリカ合衆国憲法の影響が大きかった。1943年の日本軍占領下に第二共和政を組織する1943年憲法が制定されたが、1946年7月独立時に35年憲法に復帰した。
  4. ^ 戒厳令下では政権の永続化が可能であり、大統領権限の飛躍的強化がなされた。
  5. ^ 35年憲法改正の準備は196年代の後半から本格化し、1970年11月の憲法制定会議代議員選挙で320名選出される。
  6. ^ 1947年調印の比米軍事援助協定と1947~1991年比米軍事基地協定による。
  7. ^ 被害者総数は120万人に達するほどであった。一方、農業に適した養分を含む土地も形成した。
  8. ^ 1960年から2000年代中ごろまでに約1万件の地震が観測されている。1990年7月に中部・北部ルソンを襲った大規模地震は7州に被害を及ぼし、120万人以上が被災した。葉山アツコ「自然・地理」エリア・スタディーズ(2009):249
  9. ^ タガログ語で「襤褸切れ(ぼろきれ)」という意味もある。
  10. ^ 在日フィリピン人の場合、日本人と同様に「姓、名」で名乗ることがある。
  11. ^ ただし最近では、スペイン語よりも英語の名前が主流となっている。例:Miguel、Margarita → Michael、Margaretなど。
  12. ^ 窃盗傷害暴行強盗殺人事件などの重大犯罪発生件数は約8万件(前年比約28%減)が報告されており、そのうち窃盗が全体の30%、傷害・暴行が28%、強盗が14%、殺人が9%を占めている。殺人事件は約0.7万件(前年比約22%減)、強盗事件は約1.1万件(前年比約32%減)がそれぞれ報告されており、その件数は、殺人事件が日本の約8倍、強盗事件は日本の約6倍となっている。
  13. ^ 犯人が被害者や警察官・警備員などからの反撃に備えて銃器を所持している例も多い。

出典

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