ビートルズ ビートルズ作品の著作権

ビートルズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/25 23:45 UTC 版)

ビートルズ作品の著作権

ビートルズのメンバーによる楽曲の著作権の多くは、以下の経緯で所有者が何度も変わっている。

最初の2作品

1962年10月に発表されたファースト・シングル『ラヴ・ミー・ドゥ / P.S. アイ・ラヴ・ユー』はEMI傘下の音楽出版社アードモア&ビーチウッド(Ardmore & Beechwood Ltd.)に登録された[171]。しかし同作は全英シングルチャート最高17位に止まるなど、メンバーとマネージャーのブライアン・エプスタインの期待を下回った為[171]、エプスタインは1963年1月に発表された2枚目のシングル『プリーズ・プリーズ・ミー / アスク・ミー・ホワイ』をディック・ジェイムズ英語版の音楽出版社ディック・ジェイムズ・ミュージック(DJM)) に登録することにした[172]。ジェイムズの尽力により、同作は全英2位を記録した。これを機にジェイムズとエプスタインの関係はより強固になった[172]

ノーザン・ソングス

エプスタインは成功を機に、専用の音楽出版社を設立することを決め、1963年2月22日にノーザン・ソングス英語版社を設立した[173]。同社はビートルズの自作曲の著作権を管理するための、ジェイムズ(DJM)とレノン、マッカートニー、エプスタイン(NEMSエンタープライズ)による合弁会社であった[173]。しかし、同社がビートルズと締結した契約は、当時メンバーとエプスタインが著作権を十分に理解していなかったこともあり[173]、利益分配比はDJMが5割、レノン、マッカートニー、NEMS合わせて5割と、大変不公平なものであった[174][175]。また同社の議決権株式はDJM(ジェイムズとチャールズ・シルヴァー)が51%を占める一方でマッカートニーが20%、レノンが19〜20%、エプスタインが9〜10%しか保持していなかったため、契約内容の修正も困難であった[173]

後にマッカートニーは「MOJO」誌2005年9月号の取材において、このときのノーザン・ソングス社の契約について「ジョンと僕は騙されたんだ、絶対にね。(中略)僕らは奴隷契約書に署名させられたわけさ」と発言している[173]

1965年2月にノーザン・ソングスは節税の為に500万株をロンドン証券取引所公開。1967年のエプスタインの死後は弟のクライブ・エプスタインが取締役に就任した。

ハリソングス

1964年、ハリスンは休眠状態の会社を買収し、NEMSと共同でハリソングス(Harrisongs Ltd.)という音楽出版社を設立した[174]。ハリスンが同社を必要とした背景には、ノーザン・ソングスへの不満があった(ハリスンはノーザン・ソングスの株を所有していなかった)。1969年に発表された「オンリー・ア・ノーザン・ソング」の歌詞は、ノーザン・ソングスの不当な契約を皮肉ったものである[174]。そうした経緯から、ハリソングスの契約は作家の持分を多く保障していた[174]。ハリスンの楽曲は当初ノーザン・ソングスに登録されて発表されていたが、1968年のアルバム『ザ・ビートルズ (ホワイト・アルバム)』からはハリソングスに登録された。またスターの楽曲もスターが設立した音楽出版社スタートリング・ミュージック(Startling Music Ltd.)に登録されることになり、それ以降ノーザン・ソングスに登録される楽曲はレノン=マッカートニーの楽曲のみになる。

ATV

1969年6月、ジェイムズはノーザン・ソングスの株を数%所有していたATV社英語版に、自身が保有していた株を売却。残りの株を巡ってビートルズとATVで争いが始まったが、ビートルズはこれに敗れ、ノーザン・ソングスの筆頭株主はATVとなった[注釈 72]。そしてビートルズのビジネスマネージャーだったアレン・クラインはビートルズの持ち株をジェイムズの倍の値段でATVに売却し、決着をつけた。これにより、多くのビートルズ楽曲の著作権は作者であるビートルズの元を離れた。

1970年4月10日にマッカートニーがビートルズ脱退を発表し、ビートルズは解散することになるが、このATVによるノーザン・ソングス買収とそれにまつわる金銭問題はその要因の一つとなったと言える[176]

また、1971年にマッカートニーが発表したシングル『アナザー・デイ』は表記上は妻リンダ・マッカートニーとの共作となっており、同年にレノンが発表したシングル『ハッピー・クリスマス(戦争は終った)』も妻オノ・ヨーコとの共作となっているが、この作者名の表記変更はATVとの権利問題によるものであった[177]

マイケル・ジャクソン

1985年、ノーザン・ソングスの親会社であるATVを当時27歳のマイケル・ジャクソンが約4750万ドルで購入した。これ以降、ジャクソンがビートルズの版権の所有者となった。1995年12月、ソニーのアメリカ合衆国での音楽出版部門とジャクソンのATVミュージックパブリッシングが合併して誕生した「ソニーATVミュージックパブリッシング」に版権が移った。ジャクソンはその版権から株式持ち分に基づく配当として収益を受けるという形になった。ちなみに、ジャクソンに版権ビジネスを教えたのはマッカートニーだと言われている[178]

その後

2009年6月25日にジャクソンが死去した後、版権を巡って様々な報道がなされている[179][180]

2017年1月、マッカートニーはニューヨーク裁判所にソニーATVミュージック・パブリッシングに対して、楽曲著作権の返還を求める訴訟[注釈 73]を起こし、7月に訴訟が和解に達した[181]

なお、EMI傘下のアードモア&ビーチウッド・パブリッシングが所有していた「ラヴ・ミー・ドゥ」「P.S.アイ・ラヴ・ユー」の2曲は、1978年からマッカートニーのMPLコミュニケイションズが保有している。また「プリーズ・プリーズ・ミー」「アスク・ミー・ホワイ」の2曲は、ジェイムズがノーザン・ソングスに移管せず、DJMで管理し続け[182]、1986年にポリグラム社に売却され、さらに1999年にユニバーサル・ミュージックが買収し、所有している[182]。「ペニー・レイン」は、ATVを一時所有していたオーストラリアの大富豪ロバート・ホームズ・ア・コートがジャクソンに売却する際、この曲が好きだった娘のキャサリンに贈るためにカタログから除外した。このため、現在はキャサリン・ホームズ・ア・コートが保有している[183][184]


注釈

  1. ^ 冠詞付きの「ザ・ビートルズ」表記も存在する[6]
  2. ^ "ファブ・フォー"と読む。FabはFabulousの略で、「素晴らしい4人」あるいは「いかした4人組」という意味を持ち、同名のThe Fab Four、そしてこれをもじったThe Fab Fauxというトリビュートバンドも存在する。また、2012年ロンドンオリンピックの体操競技の女子団体総合で金メダルを獲得したアメリカ代表選手(5人)が「The Fab Five」と呼ばれている。
  3. ^ マジカル・ミステリー・ツアー』は、発売当時(1967年)のイギリスではEP(2枚組)で発売していた。詳細は該当する項目を参照。
  4. ^ ただし、通算1位獲得数では映画『サウンド・オブ・ミュージック』のサウンドトラックの70週と『南太平洋英語版』のサウンドトラックの44週に次ぐ3位。なお『南太平洋』のサウンドトラックは1958年から1959年にかけて第1位を70週間連続獲得しており、全英アルバムチャート連続1位獲得数の歴代1位となっている。詳細はList of number-one albums from the 1950s (UK)を参照。
  5. ^ バンド活動期間である1962年10月の『ラヴ・ミー・ドゥ』から1970年3月の『レット・イット・ビー』まで。
  6. ^ 英語でコオロギの複数形で、この他にスポーツのクリケットの意味がある。
  7. ^ BEETLES=かぶと虫の複数形。この綴りの3文字目をAに変えて、言葉を聞くと虫=BEETLESを連想でき、文字を見るとビート・ミュージック=BEATLESとなるようにした。
  8. ^ 1953年公開。マーロン・ブランド主演。ビートルズはバイクを乗り回している女性を指すスラングとして、リー・マーヴィンの台詞に登場する。
  9. ^ 「Beetle」という英単語には、カブトムシだけでなく、コガネムシカナブンも含まれる。これらは英米では嫌われている昆虫類(害虫)のひとつでもあった。
  10. ^ シルヴァー・ビートルズのつづりは途中までThe Silver Beetles
  11. ^ ただし、「KAWADE夢ムック 文藝別冊『[総特集]ジョージ・ハリスン』」の年表には「ジョージが『出生届では2月25日だが実際は2月24日午後11時42分生だ』と述べている」との注釈がある。
  12. ^ 1964年にリンゴ・スターが扁桃腺により入院した際の代役[16]
  13. ^ なおジョージ・マーティンは当初スターの加入を知らず、アンディ・ホワイトというドラマーを手配していたので「ラヴ・ミー・ドゥ」では2人のドラマーのテイクが存在し、シングルにはスターの、アルバムにはホワイトのバージョンが収録されている。
  14. ^ レノンは、「ヘルター・スケルター」や「レット・イット・ビー」で、6弦ベース(フェンダー・ベースVI)を演奏している。
  15. ^ ただし、約1週間で復帰したため、当時は公にされることはなかった。
  16. ^ この件とは別で、「ワイルド・ハニー・パイ」、「マーサ・マイ・ディア」、「マザー・ネイチャーズ・サン」、「ジョンとヨーコのバラード」のドラムスもマッカートニーが担当している。
  17. ^ マッカートニー→ハリスン→レノンの順番[20]に2小節回しの演奏を行っている[21][22]
  18. ^ インストゥルメンタル曲「フライング」を除く。
  19. ^ どちらがリードボーカルを担当するかは曲により異なる。
  20. ^ ビデオ版のザ・ビートルズ・アンソロジーにはレノンがハーモニカを吹いている「ラヴ・ミー・ドゥ」の演奏の記録映像が収録されている。
  21. ^ 因みにマッカートニーはレノンと出会った時にはすでにピアノを演奏することができた。詳細は「#デビュー直前までの経歴」を参照。
  22. ^ シタールを通じてインド哲学への関心が深まったこともあり、後にマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーへの傾倒を強めた。
  23. ^ シングル・カット、シングル収録曲のレノン=マッカトニー名義と重複するものがある。
  24. ^ ハリスンによると、一時期クオリーメンにも在籍していた[29]
  25. ^ しかし、当初サトクリフは楽器演奏自体が未経験だったため、構造が簡単な曲から序々に覚えて行った。
  26. ^ 同年4月23、24日。レノンとマッカートニーの2人がユニット名「ナーク・ツインズ」としてマッカートニーのいとこ夫婦が経営するパブで演奏している。
  27. ^ この時点ではシンガーそのものは未定だった。
  28. ^ この頃はドラマーが次から次へと入れ替わっていた。交代の度にやめていったドラマーが所有するドラムのパーツの一部が置き土産として手に入り、やがてフルセットに近いドラムセットが組みあがったため、ドラマーのいない時期はマッカートニーがドラムを叩いたこともあった。
  29. ^ 初期のビートルズが出演していたリヴァプールのクラブ「ジャカランダ」のオーナー。リヴァプールのバンドのハンブルク巡業を手がける興行主でもあった。
  30. ^ 写真家。学生時代、ビートルズのハンブルク巡業中に友人となり、数々の写真を撮影。ザ・ビートルズ・アンソロジー 日本語版 p.58によれば、後にビートルカットと呼ばれる髪型の提案者であり[36]、アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』のジャケットのアイディアの元となった写真の撮影者でもある[37](ただし、ジャケットの写真そのものはロバート・フリーマンが撮影している)。また、生前のサトクリフと恋愛関係にあり、映画『バック・ビート』ではヒロインとして描かれている。カナ表記は、ザ・ビートルズ・アンソロジー(日本語版)では本文(p.52その他)で「アストリット」、p.358のCREDITでは「アストリッド」と、両方の表記が存在する。
  31. ^ 元々はマッカートニーとリヴァプール・インスティチュートの同級生で、1学年下のハリスンとも友人だった。またベストの友人でもあり、ベスト家に間借りしていた。その縁でバンを持っていたことからビートルズの楽器を運搬する為に雇われ、デビュー後も引き続きロード・マネージャーとしてビートルズの身の回りの世話をすることになる。
  32. ^ ビートルズが出演していたキャバーン・クラブのドアマンとして働いていたが、アスピノール1人では仕事が大変なので2人目のロードマネージャーとして雇われ、アスピノール同様デビュー前から楽器の設営などをはじめビートルズの身の回りの世話をしていた。ビートルズ解散後もレノン、ハリスンと関わっていたが1976年に死去。
  33. ^ 詳細はピート・ベスト#幻のビートルズ・メンバーを参照。
  34. ^ 後にビートルズがデビューして人気を得ると、レコード会社は名義を「ザ・ビートルズ・ウィズ・トニー・シェリダン」に変えている。
  35. ^ これらは1995年に発売した『ザ・ビートルズ・アンソロジー1』に収録されている
  36. ^ ただし、ミュージック・ウィーク誌は最高位2位であったため、2000年に発売されたチャート1位を獲得したシングル曲を集めた『ザ・ビートルズ1』には収録されていない。
  37. ^ このステージでの最後の曲「ツイスト・アンド・シャウト」の直前にレノンが「安い席の人々は拍手を。残りの人々は宝石をガラガラ鳴らしてください」と観客に言っている。
  38. ^ ただし、ビルボードで日付上で1位になったのは2月1日。ビルボードHOT100・1964年2月1日付を参照。
  39. ^ 本作以降も『ヘルプ!4人はアイドル』の監督を担当。『ジョン・レノンの 僕の戦争』では監督に加えてプロデューサーも兼任し、1991年には『ゲット・バック』の監督を担当している。
  40. ^ 公開当時の邦題は「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」。
  41. ^ 発売当時の邦題は「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」。
  42. ^ 発売当時の邦題は「4人はアイドル」。
  43. ^ ただし、この人数には異説がある。ビデオ版『ザ・ビートルズ・アンソロジー』ではニール・アスピノールが55,000人と話しているが、マッカートニーは56,000人、スターは60,000人、ハリスンは70,000人だと聞いたとコメントしている。
  44. ^ ただし、最後だということはメンバー間のみの秘密事項だった[47]
  45. ^ この1966年のツアーでもシェイ・スタジアムが使用された。8月29日のビートルズ最後の公演もキャンドルスティック・パークという野球場で行われた。
  46. ^ シェイ・スタジアム自体もその後ローリング・ストーンズザ・フーポリスなどが公演会場として使用している。2009年にシェイ・スタジアムは解体され、その前年である2008年に開催されたビリー・ジョエルの公演が最後となった。なお、この公演にはマッカートニーが出演している。詳細は 公式サイトの当該項目 を参照のこと。
  47. ^ 朝日新聞社編『ビートルズの社会学』(朝日文庫)など多くの本が出版されている。この中で遠藤周作は「高校野球が終って選手たちが泣けば大人は感動するが、ビートルズが終って少女たちが泣けばおかしいと言う。少しもおかしくはない。原理は同じだ。いいじゃないか」と書いている。
  48. ^ 『ザ・ビートルズ・アンソロジー』(日本語版)p.219のニール・アスピノールの発言。ただし、同p.220でハリスンは「20万人ぐらい居たのではないか」と発言している。
  49. ^ テレビ出演時のライブ演奏やゲット・バック・セッションの一環として行なわれたルーフトップ・コンサートなどは除く。
  50. ^ ちなみに、世界で最も大きな音量を出すバンドとして1973年にギネス・ブックに掲載されたディープ・パープルのPAは、最大25600ワットの出力が可能だった[87]
  51. ^ 初期のアルバムは12時間で録音した[93]
  52. ^ マリアンヌ・フェイスフルの前夫。
  53. ^ 発売当時のアメリカにおいて、EP盤方式が廃れていたことにより、A面にサウンドトラック6曲を収録し、B面にシングルとして発売されていた5曲を収録したLP盤として発売。後のCD化ではこちらのLP盤が採用された。
  54. ^ 本作ではクリス・トーマスがアシスタント・プロデューサーとして参加している。
  55. ^ 当初のタイトルは「ゲット・バック」だったが、4月のマッカートニー脱退で事実上解散したことを受け、アルバム『レット・イット・ビー』として発売された。
  56. ^ ただし、このプロデュースについては後に問題が発生した(詳細はレット・イット・ビーおよびレット・イット・ビー...ネイキッドを参照)。
  57. ^ ベースはクラウス・フォアマンが担当。
  58. ^ なお本作は、ビートルズの海賊盤の中でもかなり有名だったベスト盤『αΩ(アルファ・オメガ)』(4枚組・全59曲)の対策として企画された公式のベストアルバムである[116]
  59. ^ 但し、3人が一緒に録音したものではない。元々スターのアルバム『バラの香りを』に収録するはずだったがお蔵入りしたものにハリスンが新しい歌詞のボーカルと、マッカートニーがリンダとデニー・レインとともにバッキングボーカルをオーバーダビングした。
  60. ^ ギネス世界記録のサイトでは2001年3月19日を達成日として10億枚を超えると推定されている。Best-selling group” (英語). ギネスワールドレコーズジャパン (2001年3月19日). 2020年12月31日閲覧。
  61. ^ この日に発売されたCDは『プリーズ・プリーズ・ミー』『ウィズ・ザ・ビートルズ』『ハード・デイズ・ナイト』『ビートルズ・フォー・セール』といった初期のアルバム4作品。同年中に『マジカル・ミステリー・ツアー』を含む全オリジナルアルバム(13作品)がCDとして発売された。なお、以前に正規のものでない形でCDが発売されたことはあるほか、1983年に日本独自の企画で『アビイ・ロード』がCDとして発売された(その後回収されている)。
  62. ^ 12月9、16、23日。List of number-one albums of 1995 (U.S.)を参照。
  63. ^ ステレオ盤の『パスト・マスターズ』に対応したアルバム未収録曲集。
  64. ^ ウィリアム・マンがタイムズ誌で絶賛する一方、ラジオ司会者のブライアン・マシューが批判するなど賛否両論があった[139]
  65. ^ ビデオ「ザ・コンプリート・ビートルズ英語版」に収録された音楽評論家のウィルフリッド・メラーズの解説によれば、それまでのロックやポップスは踊るための音楽だったが、同作によって聴くに値する音楽になった。
  66. ^ ハリスンは「メンバーが聴いた音楽は好悪の別なく全てビートルズの音楽に影響を与えている」と述べていて[149]、レノンは「ビートルズ成立理由は通っていた学校の校風や住んでいた伯母の家の棚に並んでいた書籍にまで及ぶ」と述べている[150]
  67. ^ リブァプールで父親が経営していたNEMSという家具店のレコード部門。
  68. ^ この経緯については諸説ある。詳細は、ブライアン・エプスタイン#ビートルズとの出会いを参照のこと。
  69. ^ ビデオ「ザ・コンプリート・ビートルズ」に収録されたビル・ハリーやジェリー・マースデン英語版のコメントによれば、当時のイギリス芸能界はロンドンの芸能関係者が取り仕切っており、地方都市のバンドには彼ら自身も関係者もレコードを販売するという考え自体が存在しなかった。
  70. ^ ただし、2008年になってイスラエルは謝罪の意を公式に表明した。これを受けてマッカートニーは同年9月に同国での公演をおこなっている。詳細は イスラエル政府、ビートルズに1965年の公演中止を謝罪(AFP・2011年7月26日閲覧) を参照。
  71. ^ ただし、実際には西側諸国からの輸入盤や、地下で翻訳されたロシア語版のカセットテープなどが販売され、当時も多くの若者に親しまれていた。なお、2003年にマッカートニーが行ったロシアの首都のモスクワ赤の広場でのコンサート「ライヴ・イン・レッド・スクウェア」では、その編集映像にセルゲイ・イワノフ国防相(1953年生まれ)のインタビューが収録されたが、その中でイワノフは「10代の頃からのビートルズファン」と自己紹介しており、「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」も演奏されたコンサートにもウラジーミル・プーチン大統領と伴に来場した。詳細は映像ソフト『ライヴ・イン・レッド・スクウェア』および『クレムリンを揺るがせたビートルズ』を参照。
  72. ^ 庄司英樹は著書「ビートルズの復活」p.220で、このATVの買収を「乗っ取り」と称している。
  73. ^ アメリカで1976年に制定された著作権法には、楽曲の原作者が一度手放した著作権を35年後に取り戻せるという規定があり、1978年以前に制作された楽曲の著作権が原作者に返還されるのは56年後と定められている。マッカートニーは1962年に発売の「ラヴ・ミー・ドゥ」が、2018年に発売から56年になることを受けてこの訴訟を起こした[181]

出典

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ビートルズ!

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/06 06:39 UTC 版)

ビートルズ!』(Meet The Beatles)は、ビートルズの日本における1作目のアルバム。1964年4月15日に東芝音楽工業より発売された。


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