バタフライ効果
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歴史
今日の「バタフライ効果」が意味する初期値鋭敏性や予測不可能性の存在についての学術的な議論は、ローレンツ以前にも、アンリ・ポアンカレなどにより行われてきた[27]。また、デュラン・キセイン(Dylan Kissane)は、ブレーズ・パスカルが『パンセ』に記述した「クレオパトラの鼻が低かったら、大地の全表面は変わっていただろう」という格言も同じような発想に基づいたものと評している[28]。カオス理論の全体的な発展の歴史については、カオス理論#研究史を参照のこと。以下では、ローレンツの研究を中心に「バタフライ効果」という用語が広まるまでの経緯を説明する。
1961年にエドワード・ローレンツが計算機上で数値予報プログラムを実行していた時のこと、最初ローレンツはある入力値を「0.506127」とした上で天気予測プログラムを実行し、予想される天気のパターンを得た[29]。このときのコンピュータのアウトプットは、スペースの節約から、入力値が四捨五入された「0.506」までしか打ち出されないものであった[29]。ローレンツは、もう一度同じ計算をさせるため、特に気に留めずに、打ち出された方の値「0.506」を入力して計算を開始させた[30]。計算が終えるまでコーヒーを飲みに行き、しばらく後に戻って2度目の計算結果を見てみると、予測される天気のパターンは一回目の計算とまったく異なったものになっていた[31]。ローレンツはコンピュータが壊れたと最初は考えたが[注釈 3]、データを調べていく内に入力値のわずかな差によるものだと気づいた[31][注釈 4]。この結果から、もし本物の大気もこの計算モデルのような振る舞いを起こすものならば、大気の状態値の観測誤差などが存在する限り気象の長期予想は不可能になることを思い付き、初期値鋭敏性と長期予測不能性のアイデアを持つようになる[33]。
上記の計算結果は12変数の方程式の数値予報モデルにより得られたものだったが[34]、さらに変数を減らした単純なモデルでも、初期値鋭敏性とそれを強く関連すると考えられる非周期性の解が有するものがあるかについて、ローレンツは研究を続けた[35]。ある日、気象学者のバリー・ザルツマンに、非周期性の解を示す7変数方程式からなる大気循環モデルによる研究を紹介され、ローレンツは、このモデルを3変数まで減らしても同様な非周期性を示す可能性に気づく[35]。ザルツマンに自身の考えを伝えた上で3変数でのモデルの研究を進め、このモデルから単純な方程式の系でも初期値鋭敏性、非周期性を例証できることを確信すると、成果をまとめ、1963年に論文 Deterministic Nonperiodic Flow(決定論的な非周期な流れ)をアメリカ気象学会へ投稿した[36]。この論文中で示された3変数モデルは、前述で説明した、今日ではローレンツ方程式と呼ばれるものである[37]。この研究成果は初めはほとんど注目もなかったが[38]、その後の1970年代後半に起きるカオス理論の隆盛とともに再評価され[39]、現在は最初期におけるカオス発見の1つに数えられている[40]。同じ1963年に出された予測可能性に関する別の論文では、論文の結びで
- 「理論が正しければ、1羽のカモメの1回のはばたきは気象現象の将来を永遠に変えるに十分となることを、一人の気象学者は述べた。論議はまだ決着していないが、近年の多くの証拠はカモメの方を支持しているように思われる」
と述べており[41]、後の講演タイトルに類似した表現も既に存在する。
アイデアをもっと広めるべきだという同僚の説得もあり、ローレンツは1972年にアメリカ科学振興協会で、名称の由来となったとされる前述の講演を行う[42]。カモメから蝶へ変わった理由は#表現の由来で説明した通りである。さらに、カオス理論を一般大衆向けにも広めた、前述の1987年のグリックのベストセラーの中でも「バタフライ効果」という名前の1つの章が割り当てられ、ローレンツの業績と「バタフライ効果」という用語が世に広まっていった[23][42]。
注釈
出典
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