バイオハザード バイオハザードの概要

バイオハザード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/16 09:08 UTC 版)

バイオハザードの記号。UnicodeにもU+2623に記号がある ()。アメリカ国立癌研究所の標準化委託を受けたダウ・ケミカル社が1966年に開発した[1]
医療従事者の労災「針刺し事故」による肝炎等感染の原因となる使用済み注射針は、バイオハザードの典型

肝炎ウイルス結核菌エキノコックスプリオンタンパク質といった病原体の培養物やその廃棄物、注射針等の医療廃棄物生物兵器といった、病原体等を含有する物質を総称して病毒をうつしやすい物質: infectious substances)という。病原体とは感染症の原因物質のことであり、ウイルス細菌リケッチア寄生虫真菌プリオンタンパク質等のうち、人畜に感染性を有し、その伝播により市民の生命や健康、畜産業に影響を与えるおそれがあるものを指す[6]

病毒をうつしやすい物質は過去に幾多の事故や事件を引き起こしており、これがバイオセーフティーの呼びかけやバイオセキュリティー上の規制に繋がっている。世界保健機関(2004年)は『WHO実験室バイオセーフティ指針』を示すなどして、感染防止、漏洩防止(バイオセーフティー)を呼びかけている。輸送にあっては、国際連合が国際連合危険物輸送勧告により、感染性廃棄物を含めて第6.2類危険物「病毒をうつしやすい物質」(Infectious substances; UN2814, 2900, 3373, 3291) としてバイオセキュリティーに配慮するよう勧告している。これらを受け、日本では、特定病原体等などを含有する物質は感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(感染症法)・家畜伝染病予防法、感染性廃棄物は廃棄物の処理及び清掃に関する法律(廃棄物処理法)等、輸送に際しては、危険物船舶運送及び貯蔵規則および航空法施行規則による規制がなされるに至っている。

歴史

病院の臨床検査室における典型的なバイオハザード物質、結核菌の培養物

バイオハザードの歴史は、1876年、ロベルト・コッホ炭疽菌の純粋培養に成功したことに始まる[7][8]。これ以降、注射針(針刺し事故)やピペット(菌液を吸い上げる際の誤飲)を介してチフス菌、ブルセラ菌破傷風菌コレラ菌ジフテリア菌と、実験室感染が毎年のように相次ぐこととなる[9]

20世紀半ばに至ると、米ソ冷戦により生物兵器研究が活発化し、生物兵器研究者をバイオハザードから守るべく、軍事研究においてバイオセーフティーが発達することとなった[7]。民間においては1967年8月、西ドイツマールブルクにおいて、ウガンダのアフリカミドリザルを解剖中、マールブルグ病に感染、7名の死者が出る惨事があり、これを契機に、民間にもバイオセーフティーの必要性が認知されることとなった[10]

しかし、この後もバイオハザードによる感染事故は相次いだ。1978年、英国バーミンガム大学において、天然痘ウイルスがエアロゾルとなって空調に漏洩して棟内感染、2名の死者(感染したバーミンガム大学技術者ジャネット・パーカーと、ウイルスを漏洩させたために自殺した天然痘世界的権威ヘンリー・ベドスン)を出した[11]。そして1979年には、炭疽菌が旧ソ連スヴェルドロフスクの生物兵器研究所から市街に漏洩し、96名が感染[12]、66名が死亡するという大惨事が発生した(スヴェルドロフスク炭疽菌漏出事故)[13]

米国の生物兵器「E120爆弾」

過失による事故が多発する一方、20世紀末には、故意による事件が発生し始める。日本ではオウム真理教が1990年にボツリヌス菌の大量散布を試み[14]、1993年には炭疽菌の大量散布を試みたが(亀戸異臭事件)いずれも失敗に終わった。米国では2001年、炭疽菌の入った手紙が米国の報道機関や議員宛てに送りつけられ、22名が感染、うち5名が死亡した(アメリカ炭疽菌事件)。

遺伝子組換え生物等

殺虫剤内生トウモロコシ「BTコーン」

遺伝子組換え生物の危険性は、1974年、ポール・バーグによる「Berg書簡」等で指摘され、『サイエンス』誌等でその検討が呼びかけられた[15]。発がん遺伝子大腸菌に入ると危険かもしれないという指摘であった[16]。遺伝子組換えは原子力事故と同じような危険性を孕んでおり、アシロマ会議ではどのようにすれば研究を安全に行えるかが話し合われた[17]。この結果を受け、日本では『組換えDNA実験指針』が取りまとめられた。

以来、遺伝子組換え生物等のバイオハザードについてはこの組換えDNA実験指針を以て安全管理が呼びかけられていたが、2004年に遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律(通称「カルタヘナ法」)が施行されてからは、罰則のついた法的な規制が敷かれている。


注釈

  1. ^ 航空危険物規則において規定されている表現に合わせた呼称。厚生労働省、発行日不明『感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律施行規則の規定に基づく運搬の基準・規格等・一部適用除外に関する告示に関する意見募集の結果について』2011年1月4日閲覧。
  2. ^ a b A種病毒は危害が大きい病毒、B種病毒はA種基準に該当しない病毒をいう。危害の大小基準は、(国際連合 2007, pp. 120–122)による。
  3. ^ 感染症法(国会2008年)第六条および法施行令(内閣2008年)の定める特定病原体等と、危険物船舶運送及び貯蔵規則・航空法施行規則が準拠する国連危険物輸送規則のCategory Aとして世界保健機関(2008年22・23ページ)が例示したものを全て抽出・列挙し、その分類を示した(2011年1月3日時点)
  4. ^ a b c d e f g h i 除外株あり。厚生労働大臣、2007年5月31日『人を発病させるおそれがほとんどないものとして厚生労働大臣が指定する病原体等』平成19年厚生労働省告示第200号、2011年1月4日閲覧。厚生労働大臣、2010年4月15日『人を発病させるおそれがほとんどないものとして厚生労働大臣が指定する病原体等の一部を改正する件』平成22年厚生労働省告示第191号、2011年1月4日閲覧。
  5. ^ a b c d 陸上輸送時のみB種扱い可
  6. ^ a b 株限定あり。厚生労働大臣、2007年5月31日『厚生労働大臣が定める三種病原体等及び四種病原体等』平成19年厚生労働省告示第202号
  7. ^ 高病原性鳥インフルエンザ (Highly pathogenic avian influenza virus) のみ
  8. ^ 取扱生物が国連危険物輸送勧告のA・B種病毒に該当する場合は、P620・P650・P621にも準拠しなければならない。
  9. ^ 「4G」は容器及び包装の種類、材質並びに細分類の記号で、告示の別表に掲げられている。「10」は製造西暦年の下2桁である。「CAN」は容器を認可した国の国名又はその略号である。「8-2 SAF-T-Pak」は製造者の名称又はその略号である。
  10. ^ 戦後も土地を不毛にする生物兵器の使用は、ジュネーヴ議定書等により国際的に厳に禁じられるところである。
  11. ^ 国立感染症研究所(2010年)日本細菌学会(2008年)の規程・指針に病原体等のリスク分類表があるので、参考にできる。

出典

  1. ^ Cook, John、2001年11月18日「Symbol Making」『The New York Times MagazineISSN 0028-7822、2008年11月3日閲覧。
  2. ^ 日本薬局方解説書編集委員会、2008年2月『第十五改正日本薬局方第一追補解説書』廣川書店、ISBN 978-4-567-01514-1
  3. ^ バイオメディカルサイエンス研究会、2008年12月10日『バイオセーフティの事典』みみずく舎、ISBN 978-4-87211-903-9, P1
  4. ^ 小松俊彦 (2001). “生物学的製剤等の製造所におけるバイオセーフティの取扱いに関する指針”. 日本PDA学術誌 GMPとバリデーション 3 (1): 8-12. NAID 130004851474. 
  5. ^ 佐藤隆広、2002年9月14日「WTOの貿易関連知的所有権(TRIPS)協定と南北問題 インドを事例として」関西支部定例研究会(日本国際経済学会)11ページ、2009年11月3日閲覧。また、世界保健機関(2008年5ページ目)は「病毒をうつしやすい物質」の定義と分類において「遺伝子組換え微生物および遺伝子組換え生物」を挙げている。
  6. ^ (国際連合 2007, 第1巻113ページ)、感染症法(国会2008年第六条8項)
  7. ^ a b 山内一也、2002年「バイオセーフティの歴史的背景」『日本バイオセーフティシンポジウム』(日本バイオセーフティ学会)第1回、2008年11月3日閲覧。
  8. ^ Koch, Robert、1876年「Die Aetiologie der Milzbrand- Krankheit, begruendent auf die Entwicklungsgeschichte des Bacillus anthracis」『Beitra"ge zur Biologie der Pflanzen』2巻2号277~310ページ、ISSN 0005-8041。英訳:Brock, Thomas、1999年「The etiology of anthrax, based on the life history of Bacillas anthacis」『Milestones in Microbiology 1556 to 1940』(ASM) 89-95ページ、ISBN 9781555811426
  9. ^ Kruse RH, Puckett WH, Richardson JH (1991). “Biological safety cabinetry”. Clin. Microbiol. Rev. 4 (2): 207–41. PMC 358192. PMID 2070345. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC358192/. 
  10. ^ 倉田毅、2002年「マールブルグ病」『感染症の話』(国立感染症研究所)第36週、2008年11月3日閲覧。
  11. ^ 英国政府印刷局、1980年7月22日『Report of the investigation into the cause of the 1978 Birmingham smallpox occurrence』2010年12月30日閲覧。
  12. ^ 山内一也、1999「第79回:ソ連の生物兵器開発の実態:新刊書「バイオハザード」 」『人獣共通感染症』(本獣医学会])、2008年11月13日閲覧。
  13. ^ 世界保健機関、2004年『Public health response to biological and chemical weapons: WHO guidance, 2nd edition』218ページ、ISBN 92-4-154615-8。和訳:山下俊一、発行日不明『生物・化学兵器への公衆衛生対策WHOガイダンス 第2版』2008年11月13日閲覧。
  14. ^ 太田文雄、2007年「情報と防災 これからの安全保障環境と省庁間協力」『消防科学と情報』(消防科学総合センター)89号、ISSN 0911-6451、2008年11月22日閲覧。
  15. ^ Berg, Paul、Baltimore, David、Boyer, Herbert W.、Cohen, Stanley N.、Davis, Ronald W.、Hogness, David S.、Nathans, Daniel、Roblin, Richard、Watson, James D.、Weissman, Sherman、Zinder, Norton D.、1974年7月26日「Potential Biohazards of Recombinant DNA Molecules」『Science』185巻4148号303ページ、doi:10.1126/science.185.4148.303、2011年1月5日閲覧。
  16. ^ 内田『第1回 モラトリアムからOECDまで』バイオインダストリー協会、2010年12月31日閲覧。
  17. ^ 橳島次郎「憲法の学問の自由と原子力・生命科学研究」『日本原子力学会誌』第52巻第8号、2010年6月18日、445頁、NAID 10026552682 
  18. ^ 厚生労働省、発行日不明『感染症法に基づく特定病原体等の管理規制について』2010年12月31日閲覧。
  19. ^ 感染症法6条19~
  20. ^ 感染症法施行令15条
  21. ^ 文部科学省、2010年1月15日『研究開発等に係る遺伝子組換え生物等の第二種使用等に当たって執るべき拡散防止措置等を定める省令の規定に基づき認定宿主ベクター系等を定める件』平成16年文部科学省告示第7号、2011年1月4日閲覧。
  22. ^ 家畜伝染病原体の和名は、次の文献を参考にした。動物衛生研究所、2008年3月17日『家畜の監視伝染病』2011年1月3日閲覧。
  23. ^ 感染症法第六条、法施行令、2011年1月3日閲覧。
  24. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as 培養物に限る
  25. ^ S. dysenteriae type 1に限る
  26. ^ 世界保健機関、2004年
  27. ^ 国立感染症研究所(2010年)
  28. ^ a b 厚生労働大臣、2007年5月31日『感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律施行規則第31条の31第2項第9号等の規定に基づく厚生労働大臣が定める標識』平成19年厚生労働省告示第203号、2011年1月4日閲覧
  29. ^ a b 世界保健機関2008年7・14ページ
  30. ^ 積水化成品工業、2007年5月31日「<プレスリリース>国内初、感染性物質の国連規格輸送容器の発売について」『積水化成品工業株式会社新着情報』2011年1月4日閲覧。
  31. ^ a b 厚生労働大臣、2007年6月1日『特定病原体等の運搬に係る容器等に関する基準』平成19年厚生労働省告示第209号
  32. ^ 船舶による危険物の運送基準等を定める告示(昭和五十四年九月二十七日運輸省告示第五百四十九号)で国連番号を指定して危険物船舶運送及び貯蔵規則の「病毒をうつしやすい物質」に指定している。
  33. ^ 航空機による爆発物等の輸送基準等を定める告示(昭和五十八年十一月十五日運輸省告示第五百七十二号)で国連番号を指定して航空法施行規則の「病毒を移しやすい物質」に指定している。
  34. ^ 厚生労働省、2010年『特定病原体等の安全運搬マニュアル』[1], [2]、2011年10月16日参照。
  35. ^ 結核予防会結核研究所抗酸菌レファレンス部結核菌情報科、2011年3月3日「結核菌運搬方法」[3]、2011年10月16日参照。
  36. ^ 結核予防会結核研究所抗酸菌レファレンス部結核菌情報科、2011年3月3日「非結核性抗酸菌運搬方法」[4]、2011年10月16日参照。
  37. ^ 結核予防会結核研究所抗酸菌レファレンス部結核菌情報科、n. d.「検査依頼者が国連規格容器を準備する場合」[5]、2011年10月16日参照。
  38. ^ 文部科学省、環境省、2004年1月29日『研究開発等に係る遺伝子組換え生物等の第二種使用等に当たって執るべき拡散防止措置等を定める省令』(平成十六年文部科学省・環境省令第一号)第五条一項
  39. ^ 世界保健機関、国立感染症研究所、2006年9月『バイオリスクマネジメント 実験施設バイオセキュリティガイダンス』2011年1月4日閲覧。


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