ハングル
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ハングル・チョソングル | |
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類型: | 表音文字, 素性文字, アルファベット |
言語: | 朝鮮語, 済州語, チアチア語, 台湾語 (台湾語ハングル) |
発明者: | 世宗 |
時期: | 1443年 - 現在 |
親の文字体系: |
調音器官模倣
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Unicode範囲: |
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ISO 15924 コード: | Hang, 286 |
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ハングル | |
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各種表記 | |
ハングル: | 한글 |
発音: | ハングル |
RR式: | Han(-)geul |
MR式: | Han'gŭl |
英語表記: | Hangul (Hangeul) |
チョソングル | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 조선글 |
発音: | チョソングル |
RR式: | Joseon(-)geul |
MR式: | Chosŏn'gŭl |
英語表記: | Chosŏn'gŭl |
1443年に李氏朝鮮第4代国王の世宗が、訓民正音(朝: 훈민정음、略称: 正音)の名で公布した。意味は「偉大なる(ハン)・文字(グル)」である[1]が、「ハン」を「大韓帝国」の「
呼称
現代の大韓民国ではハングル、朝鮮民主主義人民共和国では朝鮮文字の意でチョソングル(조선글)またはチョソングルチャ(조선글자)もしくは我々の文字の意でウリグル(우리 글)と呼ぶ[3]。
ハングル制定時の正式名称は訓民正音であったが、当初から卑語(朝鮮語)の文字という意味で「
諺文という卑下した名前を嫌って[6]「ハングル」の語が使われるようになったのは、1900年代である[7]。周時経は1913年に、朝鮮語の研究会の名前を「ハングルモ」としている[8]。朝鮮語のローマ字表記の1つであるM-R式を考案したマッキューンとライシャワーは、1939年当時に朝鮮語学会が「ハングル」、朝鮮語学研究会が「チョンウム(正音)」の語を使っていると述べている[9](なお、この論文ではハングルのハンを「一」と解釈して、Unified System と翻訳している)。近代開化期には、現在韓国一般的に用いられているハングル(한글)、現在北朝鮮で一般的なチョソングル(조선글)の他、国文(국문)、国語(국어)、ハンマル(한말)、ハンナラマル(한나라말)、ペダルマルクル(배달말글)、朝鮮言文(조선언문)、ハンナラクル(한나라글)、朝鮮語(조선어)、朝鮮語文(조선어문)などと呼ばれていた[5]。
ラテン語表記では「Hangul」と表記されることが多いが、近年は2000年式に準拠した「Hangeul」という表記も使われている。英語圏では「Korean Alphabet」と呼ぶこともある。
中国では「諺文(簡体字: 谚文; 拼音: ; 注音: ㄧㄢˋㄨㄣˊ)」もしくは「韓文」「朝鮮文字」と呼ぶ。
上述のように朝鮮で訓民正音を古くは諺文(언문〈オンムン〉)とも呼んでいて、日本では諺文(本来の音読みでは「げんぶん」だが、朝鮮語由来の訛りで「おんもん」)と呼んだが、現代の日本ではハングルと呼ぶ[10][11]。また朝鮮文字とも呼ぶ[12][13][14]。「ハングル文字」の呼び方も存在するが本来は重言となる。
歴史
ハングルの創製・反対派との対立
朝鮮半島では、15世紀半ばまで、自民族の言語である朝鮮語を表記する固有の文字を持たず、知識層は漢字を使用していた。口訣(こうけつ・くけつ)・吏読(りとう)など漢字を借りた表記法により断片的・暗示的に示されてきた。
李氏朝鮮第4代王の世宗は、朝鮮固有の文字の創製を積極的に推し進めた。しかし、その事業は当初から事大主義の保守派に反発を受けた。世宗が設立した諮問機関の集賢殿副提学だった崔萬理は1444年に上疏文で、「昔から中国の諸地は風土が異なっても方言に基づいて文字を作った例はない。ただモンゴル(パスパ文字)・西夏(西夏文字)・女真(女真文字)・日本(仮名)・チベット(チベット文字)のみが文字を持つが、これらはみな夷狄(野蛮人・未開人)のなすことであり、言うに足るものではない」「漢字(中国文字)こそ唯一の文字であり、民族固有の文字など有り得ない」と反対した。しかし、世宗はこのような反対を「これは文字ではない(中国文化に対する反逆ではない)、訓民正音(漢字の素養がないものに発音を教える記号)に過ぎない」と押し切り[15]、鄭麟趾など集賢殿内の新進の学者に命じて1446年に訓民正音の名でハングルを頒布した。「民を訓(おし)える正しい音」の意である[16]。
なお、この点に関して異説がない訳でもない。ソウル大学校国文学科教授の朴鎮浩によると、世宗が一人で作った可能性が高い。『朝鮮王朝実録』の世宗25年(1442年)12月の条に、「ハングルを創製した」と短く記載されている。ハングルという言葉の文献初出であるが、もし集賢殿の学者たちの協力のもとハングルを創製したのならばその過程も詳しく記載されているはずである。朴鎮浩は、反対派の臣下がいることを懸念して世宗単独でハングルを創製し、その後ハングルで書かれた書籍の編纂などに集賢殿の学者を動員したと考えている[17]。
燕山君による禁止政策以降
1504年、燕山君の暴政を誹謗するハングルの張り紙が各地で発見され、燕山君はハングルの教育や学習を禁止し、ハングルの書籍を焼却、ハングルを使用する者を弾圧した[19]。世宗時代に設置されていた正音庁は中宗年間の1507年に閉鎖されたが、ハングルの使用自体は禁止されることなく、一部高官には書記手段として用いる者もいた。1490年に軍官の羅臣傑(1461年 - 1524年)が妻の孟氏に送ったハングル書簡は現存最古のハングル書簡であり[20]、1998年に慶尚北道安東で発掘された李応台(1556年 - 1586年)の墓で亡くなった夫の死を悼む妻からのハングル書簡が発見された。『ウォンの父へ・・・丙戌(1586年)6月』と始まる長文の手紙である。また17世紀に宋奎濂が自分の下男のキチュック(己丑の意)に書いた書簡などが残っている。一方、ハングルは支配層でも使われたケースもあり、王室をはじめ王・王妃の勅令や臣民への伝言、王・王妃と公主のハングル書簡・王族同士のやりとりしたハングルの手紙も残っている[21]。また、宮廷や両班階級におけるハングルの使用もあり、国王の記したハングル書簡としては宣祖の『御筆諺簡』(1603年)筆写文献が現存している。李珥、権好文、金尚容ら両班の文化人の一部が時調(詩歌)を詠む際にハングルが利用された。文定王后・仁穆王后などの諺文勅令や明聖王后が都落ちする儒学者の宋時烈を引き止めるハングル書簡、1839年に憲宗の祖母・純元王后によるキリスト教禁止令である『斥邪綸音』をハングルで書いて公布した。
ハングルでの出版
ハングルはまず、発案者である世宗のもと国家的な出版事業において活用された。ハングルの創製直後1447年には王朝を讃える頌歌『竜飛御天歌』、釈迦の功績を讃えるため世宗自ら書いた詩歌集の『月印千江之曲』[16]、世宗の命により首陽大君が編纂した釈迦の一代記である『釈譜詳節』[16]が相次いで刊行され、次いで1448年には韻書『東国正韻』を刊行した。その後も国家によるハングル文献の刊行は続き、諺解書(中国書籍の翻訳書)を中心にその分野は仏典・儒教関連書・実用書など多岐にわたる。刊行された書籍は各地で覆刻され版を重ねることが少なくなかった。世祖の書簡『上院寺御牒』(1464年)もハングルである。
- 仏典:李朝初期には刊経都監が設置(1461年)され仏典翻訳が盛んに行われた。その後、国家によって仏教が弾圧されはじめたにもかかわらず、『楞厳経諺解』(1461年)、『法華経諺解』(1463年)、『金剛経諺解』(1464年)、『般若心経諺解』(1464年)、『円覚経諺解』(1465年)など、15世紀中頃に多くの仏典が刊行された。
- 儒教関連書:李氏朝鮮が儒教を国教としたことにより、儒教関連書は李朝を通して盛んに刊行された。四書五経などの翻訳本として『翻訳小学』(1517年)、『大学諺解』(1590年)、『易経諺解』(1606年)、『詩経諺解』(1613年)などがあり後世に重刊本も刊行された。また『三綱行実図諺解』(1481年)は儒教の民衆教化書として各種の版本が李朝後期まで何度も重刊されている。
- 実用書:『救急方諺解』(1466年)、『救急簡易方』(1489年)、『牛馬羊猪染疫治療方』(1541年)、『分門瘟疫易解方』(1542年)などの医書・家畜防疫書がたびたび刊行されている。また、通訳官養成所である司訳院からは日本語学習書『伊路波』(1492年)、中国語学習書『翻訳老乞大』(16世紀)、満州語学習書『清語老乞大』(1704年)、モンゴル語学習書『蒙語老乞大』(1741年)などハングルで音を示した外国語学習書が刊行された。
- 文学作品:ハングル創製初期以降にも『杜詩諺解』(1481年)などの翻訳漢詩集が刊行されている。ハングル使用が国家レベルで禁止された中宗以降にも、金絿(1488年 - 1534年)の「花田別曲」、李賢輔の「漁夫歌」、李滉の「陶山十二曲」の詩歌、許筠の小説『洪吉童伝』、また日記文学『癸丑日記』『春香伝』『沈清伝』などパンソリを起源とする小説がハングルによる書籍として刊行された。
韓国併合以前のハングル
石幡貞「朝鮮帰好余録」(1878年)には「朝鮮国文字有二様。曰真文即漢字也。曰諺文是為国字。…以其易学、民皆便之。而政府公文措之不用。(朝鮮には2種の文字がある。真文というのが漢字であり、諺文(※ハングルのこと)というのが国の字とされる。…学びやすいので、民衆は皆これ(※諺文)に慣れている。しかし政府は公文書ではこれを用いない。)」とある[22]。
鈴木信仁「朝鮮紀聞」(1885年)には「貧賤の者は諺文のみを習ひ纔かに通用に便するものなり。貧窶にして筆墨を買ふの資なきものは砂を盆に盛て字を習ひ或は河海の浜に往き平坦の石面に大字を習ふ事あり。」とある[23]。
石井研堂 (民司) 「朝鮮児童画談」(1891年)には「又此国には、諺文とて、仮名九十九字あれども、一般に用ひるもの少なく、書状等にのみ用ひ居れり。」とある[24]。
イザベラ・バード「朝鮮奥地紀行」(1898年)には「私は、川上に居る下層社会の非常に多くの男の人たちが、朝鮮固有の筆記文字〔諺文〕を読める事に気付いた。」とある[25]。
「井上角五郎先生伝」(1943年)には「…それで朝鮮では上流社会は漢字ばかりで綴った漢文を用ひて棒読にし、下流社会は諺文ばかりで文を綴っていたのである。」とある[26]。
漢字・ハングル混淆文
1874年(明治7)、日本と朝鮮の外交文書[27]で、日本の漢字かな交じり文に相当する漢字・ハングル混淆文が用いられている。
大衆出版とハングル
公文書のハングル使用は、甲午改革の一環として1894年11月に公布された勅令1号公文式において、公文に国文(ハングル)を使用することを定めたことに始まった。
朝鮮初の近代新聞(官報)である『漢城旬報』(1883年)の続刊である『漢城周報』(1886年創刊)では、漢字混合文(通称「国漢混用文」)を基本とする一方、内容によっては漢文もしくはハングルのみによる朝鮮文で記述された。
『漢城周報』の特筆点は、ハングルで書かれた最初の新聞であったこととともに、「国漢文」と呼ばれる文体が採用されたことである。このような韓国式の「国漢文混用文」の原型となったのは、兪吉濬の《西遊見聞》(1895)とされている。しかしながら、国漢文は漢文の素養を必要とする文体であったため、一般に広く流布するには至らなかった。
1896年に創刊された『独立新聞』はハングルと英文による新聞であった。これは分かち書きを初めて導入した点でも注目される。ハングル分かち書きに大きく貢献した人物は、スコットランド人のジョーン・ロス(John Ross, 1842~1915)である。
1890年代後期に訪朝したイザベラ・バードは、その当時諺文(En-mun)と呼ばれていたハングルについて、いまだ知識層からは蔑視されてはいるが、1895年1月に漢文諺文混合文が官報に現れて以来、国王による独立宣誓文をはじめ、一部を除く公式文書に正式に採用され、諺文による書物も徐々に増えつつあると描写し[28]、今後、諺文による教科書と教師の育成が待たれるとしている[29]。また、上流階級の女性は諺文が読めるが、女性の識字率は極めて低く、1000人に2人であろうとする一方[30]、漢江沿いで出会った下層階級の男たちの多くは諺文が読めたと述べている[31]。
1905年韓国保護条約(第二次日韓協約)後、伊藤博文は自ら朝鮮半島に渡り、1906年初代韓国統監に就任。理想的に国家を立て直すため、まず「学校教育の充実」を最優先で実施。そのために、日本銀行から500万円を借欺し、そのうち50万円を教育の振興に充てた[32]。それにより、1906年に周時経が『大韓国語文法』を、1908年に『国語文典音学』を出版した。また崔光玉の『大韓文典』と兪吉濬の『大韓文典』(崔光玉の『大韓文典』と同名)、1909年に金熙祥の『初等国語語典』、周時経の『国語文法』などが出版された。
「ハングル」という呼称が文献上に初めて現れるのは大日本帝国による韓国併合以降の1912年のことであり、周時経に始まる[33][注 1]。韓国併合時代の朝鮮総督府は「諺文」(おんもん)と呼び、1912年に普通学校用諺文綴字法[34]を制定し、1921年には周時経の弟子らが朝鮮語研究会を結成し、総督府と協力して1930年には正書法諺文綴字法を制定した[35]。
1920年からは併合下でタクチ本が多数出版され、読書が朝鮮半島で大衆化・近代化する決定的な契機になった。 [36][37]1933年、朝鮮語綴字法統一案が出され、これが韓国でのハングル正書法(1988年)のもととなった。北朝鮮では1954年に朝鮮語綴字法、1987年に朝鮮語規範集が出された。
日本統治時代のハングル
日本統治時代になると両班層のハングル蔑視権力が一掃されたため、ハングルは積極的に教育に用いられるようになる[38]。ハングルは朝鮮半島における平仮名として引き続き用いられたが、太平洋戦争が始まると皇民化政策で朝鮮語のみの教育は廃止され[39]「街中でも家庭でも国語(※日本語のこと)を常用しない学生がいるときは、学校当局と連絡を取って厳重に処罰」といった日本語普及方針がとられた[40]。ハングルについては、太平洋戦争中も引き続き朝鮮半島において官民で漢字混じり文で用いられたが、漸次的に平仮名・片仮名利用で縮小していくようにする方針を決めていた[41][42]。
注釈
出典
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