ハナ肇とクレージーキャッツ メンバー

ハナ肇とクレージーキャッツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/02/06 20:23 UTC 版)

メンバー

ハナ肇

詳細は本人の項目を参照
東京府北豊島郡長崎町(現:東京都豊島区)生まれ。本名、野々山定夫(ののやま・さだお)。山手通り沿い要町交差点付近の実家(水道屋)で育った。工学院大学土木科中退。芸名は、姓=興奮すると鼻の穴が大きく開くクセから、名=ハナが敬愛したジャズ・ピアニスト和田肇(俳優和田浩治の実父、歌手淡谷のり子の前夫)に由来する。最初はギタリストを志していたが、途中でドラマーに転向し、1946年に「内藤タンゴ・アンサンブル」、1947年に「伊沢一郎カルテット」、1948年に「南里文雄とホットペッパーズ」、1949年に「萩原哲晶とデューク・オクテット」、1952年に「アフロ・クパーノ・ジュニア」などのバンド遍歴を経る。そして、犬塚弘、萩原哲晶らと、クレージーキャッツの前身となる「キューバン・キャッツ」を1955年に結成。その後、1956年に「ハナ肇とクレージーキャッツ」にバンド名を改め、バンドマスターとなる。『巨泉・前武のゲバゲバ90分!!』でのヒッピー姿で叫ぶ「アッと驚く為五郎」と言うギャグや『新春かくし芸大会』での銅像役はよく知られている。俳優ナレーターとしての評価も高かったが、音楽への情熱は捨てがたく、1985年に谷啓や「キューバン・キャッツ」時代のメンバーであった稲垣次郎らなどと「ハナ肇とオーバー・ザ・レインボー」を結成し、ジャズクラブでの演奏活動も行っていた。1993年肝臓ガンのため死去。

植木等

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三重県多気郡宮川村大字栗谷(現:多気郡大台町)、浄土真宗・常念寺住職の三男として生まれる。本名同じ。1950年東洋大学文学部卒業。いくつかのバンドを経て、1957年3月に渡辺晋とハナ肇によってシティ・スリッカーズからクレージーキャッツに引き抜かれた。1962年に公開された映画『ニッポン無責任時代』以降は、「無責任男」が植木のキャッチフレーズとなり、以降数多くの映画に主演する。ボーカルとして数々のコミックソングがヒットし、テレビでも「お呼びでない?」など、後世に残るギャグで爆発的な人気を得る。1970年代以降は俳優としての活動の場が多くなったが、演技に対する評価は高く、多くの賞を獲得している。1990年には自身のヒット曲メドレー「スーダラ伝説」で人気が再燃し、23年ぶりに第41回NHK紅白歌合戦にも出場(この年の歌手別最高視聴率を獲得)した。翌年の1991年には、自身初となる全国ソロコンサートツアーも行っている。晩年は前立腺癌肺気腫と闘病しながら活動を継続していたが、2007年、肺気腫による呼吸不全で死去。

谷啓

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東京府荏原郡東調布町(現:東京都大田区田園調布)生まれ。広島横浜で育つ。本名、渡部泰雄(わたべ・やすお)。芸名の由来は、アメリカの名コメディアン、ダニー・ケイに敬意を表し、その名前をもじったもの。中央大学経済学部中退。大学在学中からトロンボーン奏者として名を馳せ、1952年に原信夫とシャープスアンドフラッツ、1953年にシティ・スリッカーズ、1956年2月からクレージーキャッツへ参加している。「ガチョン」(現在は「ガチョーン」)や「ビローン」、「あんた誰?」、「谷ダァー」といったギャグが流行を博したが、「譜面にギャグを書き込む」スタイルで数多くの音楽ギャグを作り、その才能を活かして『シャボン玉ホリデー』では自身が番組構成を行った回(1966年1月9日放送、「タニー・ケイだよピーナッツ」)もある。トロンボーン奏者としても、「スイングジャーナル」紙の人気投票では、1959年から1965年まで連続してトロンボーン部門のベスト5に入っていたほどの実力者である。ナレーターや俳優としても活躍し、映画『釣りバカ日誌』シリーズの佐々木課長役は当たり役である。クレイジーのメンバーとしてはメディアへの露出が多く、若年層にも知名度が高かった。また、「谷啓とスーパー・マーケット」というバンドを率いており、不定期ながらも音楽活動を行っていた。その後も『美の壺』(NHK教育テレビジョン)の主人などで飄々としたところを見せていたが、晩年は認知症状が顕著になっていたと言う。2010年9月11日、私邸の階段からの転落による脳挫傷のため急死。

犬塚弘

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東京府荏原郡(現:東京都大田区大森)の生まれ。本名、犬塚弘(いぬづか・ひろむ)。1949年文化学院社会学部卒業。日本ワットソン統計会計機械(現日本アイ・ビー・エム)に入社したが、1951年に退職。実兄が組んだハワイアン・バンド(グリーン・グラス・キャップ・ボーイズ)に入り、ベースを担当したのが演奏活動を開始するきっかけとなる。その後、1952年に「萩原哲晶とデューク・セプテット」に参加し、1955年に「キューバン・キャッツ」の創立メンバーとして参加。なお、グループ初期にうけた「クレージーののど自慢」というコントは、犬塚と谷啓の作である。クレージーの一員としては「ワンちゃん」の愛称で親しまれ、1964年12月公開のハナ肇主演映画『馬鹿が戦車でやって来る』での演技により、植木等、ハナ肇、谷啓に次ぐクレージー『第4の男』として評価され、1965年7月に公開された『素敵な今晩わ』では初の主演を獲得している。1970年代からは性格俳優として映画、テレビドラマ、舞台などで脇を固めることも多く、最近でも『春よこい』、『少年メリケンサック』などの映画に出演し、精力的な活動を続けている。

安田伸

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東京府豊多摩郡(現:東京都中野区)生まれ。本名、安田秀峰(やすだ・ひでみ)。1953年東京芸術大学別科器楽科修了。同年「フォー・デパーズ」に参加以降、1954年には石橋エータローらと「ザ・ファイブ」を結成し、1955年には「ハッピー・フーリナンス」に参加。その後、1957年9月に石橋エータローの紹介でクレージーに参加する。ブリッジしながらサックスを吹く芸が有名であった。1966年に体操家の竹腰美代子と結婚。愛妻家で知られ、そこから「ミヨコー!」というギャグが生まれた。『シャボン玉ホリデー』後期のコント「キントト映画」では、なべおさみ扮する監督に、安田扮する助監督が「ヤスダーッ!」と怒鳴られ、なべにメガホンで頭を連打されるギャグも有名となった。俳優として映画や舞台などで活躍したが、晩年はガンとの闘病が続いた。1996年に急性心筋梗塞で死去。

石橋エータロー

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東京府東京市芝区新橋(現:東京都港区)の生まれ。本名、石橋英市(いしばし・えいいち)。父親は、作曲家尺八奏者の福田蘭童。祖父は洋画家の青木繁。1949年東洋音楽大学声楽科卒業。安田伸らとバンド活動後、1956年に世良譲の紹介でクレージーに参加する。1960年結核で一時離脱。代わりに、ピアノ奏者として桜井センリが加わる。その後、クレージーに復帰するも、1971年に引退。料理研究家に転身、渋谷で「三漁洞」という小料理屋を経営していた。かつて声楽を専攻していたこともあり、メンバーの中では植木と並ぶ美声である。1994年に胃ガンのため死去。

桜井センリ

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1926年(公称は1930年)ロンドンの生まれ。本名、桜井千里(さくらい・せんり)。早稲田大学政治経済学部中退。植木等らとバンドのピアノ奏者として活躍。石橋エータローの結核療養による活動休止を受けてクレージーに参加。早くからピアノの実力と共に編曲者としての才を発揮、様々なバンドで活動した。クレージー加入前、通常のバンドマンが月給4万円のところ、桜井は18万円を支給される高給取りだった。そのため、石橋の代役選びが難航する中、ハナは植木と谷に「元・シティ・スリッカーズのよしみで桜井はどうか」と尋ねたところ、植木らは即座に「桜井千里は絶対無理!」と答えたという。それでも懇願するハナに根負けし、植木は殆ど諦めながらも念のため自宅へ交渉に行ったところ、「実はああいうことを一度やってみたかったんですよ。よろしくお願いします」と快諾を受け、拍子抜けしたという。石橋エータロー復帰後もメンバーとして活躍。ピアノの連弾はクレージーのステージの名物となった。金鳥の殺虫剤「キンチョール」のCMに出演した際、「ルーチョンキ」のギャグを披露。コントでは石橋に替わり「女性役」などを起用にこなし、CMで披露した「センリばあさん」役は当時一世を風靡した。2012年11月、自宅で倒れているのを発見されたが、既に死亡していた。「孤独死」とされる。

旧メンバー

[要出典]

  • 萩原哲晶(1925年 - 1984年、クラリネット)脱退後は、作曲家に転身。クレージーキャッツのヒット曲をてがける。萩原と入れ替わる形で、谷啓が参加。
  • 柴田昌彦初代[要検証 ]テナーサックス
  • 稲垣次郎(1933年 - 、二代目[要検証 ]テナーサックス
  • 石田正弘(三代目テナーサックス
  • 橋本光雄(初代ピアノ
  • 河原義和(二代目ピアノ
  • 南晴子ボーカル
  • 筑波礼子ボーカル)ミュージカル女優島田歌穂の母



  1. ^ 旧メンバーの殆どは現在の動向が不明であるため。
  2. ^ NHKアーカイブスの番組表検索によると、NHKテレビには、1956年2月7日の「ボンゴのひびき」に「ハナ・ハジメとキューバンキャッツ」、翌1957年7月5日の「花の星座」に「ハナ・肇とクレージー・キャッツ」として出演している。
  3. ^ “桜井センリさん 孤独死か 「クレージーキャッツ」は1人だけに”. Sponichi Annex. (2012年11月12日). オリジナル2014年2月25日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140225043551/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/11/12/kiji/K20121112004538700.html 2014年2月25日閲覧。 







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