デジタルオーディオプレーヤー 歴史

デジタルオーディオプレーヤー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/15 15:38 UTC 版)

歴史

初期の携帯音楽プレーヤー1979年に登場したウォークマンに代表されるアナログカセットテープ タイプのものだった。これによって部屋の中だけで聴いていた音楽が、外の世界へと開放された。CD登場後は携帯CDプレーヤーが隆盛したものの、用途は再生のみに限られていた。CDは2000年頃までは自作できる環境が整っておらず、ユーザーの好みの曲だけを集めたオリジナル編集CDの作成が困難であったため、レンタルCDをテープに録音し、音楽CD自体を所有しないユーザーからはカセットテーププレーヤーの方が珍重され、カセットから携帯CDプレーヤーへの置き換えには至らなかった。その後、8cmCDが出たものの、容量の少なさやプレーヤーの小型化技術が発達していなかったことがネックになっていた。

このため、携帯機器にふさわしいよりコンパクトで、簡易なメカニズムで書き込みや書き換えができるシステムの登場が待たれていた[誰?]。1980年代後半に高度な高能率符号化による圧縮技術の開発が進み、1992年にはソニーがMD(ミニディスク)を、パナソニックフィリップスデジタルコンパクトカセットを出している。MDは急速に普及し、この時点での携帯音楽メディアのスタンダードになると思われた[誰?]。しかし1993年に動画のパッケージメディアおよび伝送のためにMPEG1が規格化され、その音声部分の符号化方式としてつくられたMPEG Audio(Layer1~3)の登場が期待されるようにもなっていた[誰?]

同じ頃、不揮発性メモリの本命となったフラッシュメモリが実用化され普及が始まっていた。当初はMPEGオーディオコーデックと組み合わせ、放送機器など業務用のオーディオ記録再生装置に使用されていたが、1995年ころから「シリコンオーディオ」「ソリッドオーディオ」などの名称で携帯型の試作品が発表された。LSIの高密度化によって、コンシューマ製品に導入されるのは目前に迫っていた。

そんな中、日本では韓国サムスン系のセハン情報システムズ社が1998年2月に世界で初めて発売した「mpman」の輸入販売がMP3プレーヤーの嚆矢となる。日本メーカーなどが著作権の問題などでインターネットでの音楽配信を躊躇い、CDからMDに録音するというスタイルを延命させようとする中での発売だった。当時、内蔵メモリー64 MBモデルの価格が53,000円で、特許ライセンスの関係でMP3エンコーダーは付属しておらず、自前で用意する必要があった。この機器は多くの好事家の興味を引き、雑誌などで盛んに紹介されたものの、高価格と入手難、マイナーメーカーの製品であること、なによりも当時すでに問題になっていた違法コピーのイメージから来る胡散臭さとあいまって、広く知られるまでには至らなかった。

同年5月には、SolidAudioという携帯プレーヤーをNTT神戸製鋼所が共同で開発中であると発表された。このSolidAudioはTwinVQというNTTが開発した独自の圧縮フォーマットを採用しており、著作権の管理機構と専用の販売ルートを持つ、今日のITunes Music Storeに似たコンセプトの機器だった。しかしTwinVQにのみ対応するSolidAudioは、その利便性の悪さ等が原因となり、あまり普及せずに終わっている。こうした状況を受け、その後、日立マクセル富士フイルムAXIA等から次々とTwinVQ以外のMP3やWMAといった、広く使われている圧縮形式にも対応する後期SolidAudio(AXIA ZeroCORE等)が発売され、現在のMP3プレーヤーの先駆けとなった。

そして、後述の裁判の影響で発売が伸び、1998年のボーナス商戦にかろうじて間に合ったダイヤモンドマルチメディア社のRio PMP300が発売される事となる。容量は内蔵32MBに加え、スマートメディアで増設が可能だった。当時オープン価格で発売されたが、各店舗の実質的な販売価格は2万7800円だった。

この時期はWindows 98およびMMX Pentiumの普及拡大期と重なる。しかしエンコードには未だ再生時間の数倍の時間がかかっていた。当時の市場ではUSBは標準装備され普及していたものの、まだ技術的に十分成熟しておらず一般的なインターフェイスではなかったため、この時期のプレーヤーの内蔵メモリーへのデータ転送にはパラレルポートを用いるものが一般的だった。

アメリカでは、Eiger Labs F10という容量32 MBの製品が1998年夏ごろ登場しているが、普及には至っていない。同年9月にDiamond Multimedia社は、買収した韓国DIGITALCAST社(mpmanの共同開発企業)の製品を元にしたRio PMP300を発表したが、アメリカレコード協会 (RIAA) から違法コピーを助長するとして販売差し止め請求が裁判所に提訴された。結果的にこの請求は米連邦地裁によって却下され、RIOはクリスマス商戦に間に合うように発売され (199US$)、大きな成功を収める。PMP300にはCDからのリッピングとエンコードを行うJukebox MP3というソフトウェアが付属していた。

1999年になると、USBへの対応を強化した「Microsoft Windows 98 Second Edition」が発売された。これに合わせるかのように、DiamondはRioをバージョンアップさせた"Rio500"を発売。Rio500は、11 Mbpsで転送可能なUSBをサポートして、1曲の転送時間を5秒前後にまで押さえ込み、メモリーも内蔵64 MB(スマートメディアで拡張可能)を搭載した。当時流行していたスケルトン調のデザインや、Windows/Mac問わず利用できる点、実際のオーディオ機器に近づいたシンプルなインターフェース、ジョグダイアルによる快適な操作性などから高く評価され、ヒット商品となった。未完成な点は多かったものの、コンシュマー向け製品としての問題が解決され、初めての実用的なMP3プレーヤーだったと言えよう。Rio500ではMP3プレーヤーの歴史上初めて"DIGITAL AUDIO PLAYER"の文字が液晶下に刻まれている。

またRio500はAudibleという語学コンテンツ向けフォーマットにも対応しており、音楽だけではないMP3プレーヤーの可能性を開拓。楽曲配信サービスRioport.comにも対応しており、現在のiTunes Music Storeのようなサービスが受けられたものの、当時の通信インフラ(56 kbpsアナログモデムが主流)や普及率などの問題があり、展開が早すぎたため失敗した。

この様に、初期の機器がMP3フォーマットの音楽再生用機器として発売された歴史的経緯から、MP3プレーヤーという名称が今日まで使用されている。しかし、その後に独自技術で参入する企業が多かったこともあって、現在の携帯圧縮音楽再生機器は複数の圧縮フォーマットが再生可能となっており、MP3プレーヤーという言葉は実態に即しておらず、必ずしも正しくない。より正確を期すならデジタルオーディオプレーヤーが相応であろう。

容量増大への模索

2000年代に入り国内パソコンメーカーが発売するパソコンの多くにCD-RWドライブが標準で搭載されるようになりCD-Rレコーダーが普及すると、これにMP3ファイルを焼きつけてプレーヤーで再生する製品が発売される様になった。当時のフラッシュメモリのMP3プレーヤー製品は、内蔵メモリーの容量として64MB~128MBの物が多く、また外部インターフェースを持つ製品では、当時の低容量かつ高価なメモリーカードを買い足す事で増量が可能という製品が多かった。したがって安価なCD-Rメディアで640MB~700MBという容量は概ね十時間超の音楽を録音できる計算となり、フラッシュメモリ製品に対して十分なアドバンテージを持っていた。メディアのサイズによってプレーヤーの大きさが決められてしまうため、フラッシュメモリ製品のような小型化や省電力化はできないが、大容量と携帯CDプレーヤーとしても使用できる点をアピールして、I・Oデータ、ケンウッド、アイワ、Rioなど、各社から製品が発売され、のちにパナソニックやソニーなどポータブルオーディオの大所からも発売された。

MP3プレーヤーのストレージにハードディスクドライブ(HDD)を用いる試みは、早くも1999年には製品化にこぎつけられている。Remote Solutions社のThe Personal Jukebox (PJB-100)は、ノートPC用の2.5インチHDDを搭載したMP3プレーヤーで、容量は4.8GBだった。2000年5月には韓国のHanGo Electronics社から4.8GBのHDDを搭載したPersonal JukeBoxが発売され、同年10月にはCreative Labs社から6GBのHDDを搭載したNOMAD Jukeboxが発売された。NOMAD Jukeboxは携帯CDプレーヤー大で、それらをもっと厚くしたような外観をしていた。

これらの製品はMP3プレーヤーとしてメガバイトからの脱却を達成した画期的な製品である。ただし、大きく重いうえ、動作中はHDDからの震動が身体に伝わってくる重厚な製品で、基本的には持ち運びが可能な据え置きMP3プレーヤーというべき製品だった。

これらのアプローチはフラッシュメモリプレーヤーを駆逐するまでにはいたらず、各製品はそれぞれ並存することになる。なお、フラッシュメモリプレーヤーの中にはメモリーカードを用いて容量増大が可能なモデルも存在した。

また、こうした容量拡大策の弊害として、一部でプレイヤー本体を解体して内蔵の記憶媒体を取り出す行為が見受けられた。特に2004年に発売されたNOMAD MuVo2では、当時6~7万円以上していた4GBのマイクロドライブを搭載しながら実売価格が2万円台後半であり、デジタルカメラ等への流用目的で本機を解体してマイクロドライブを取り出し、残った外装部分をオークション等で転売するケースが見られた。

日本国外メーカーの乱立

1999年以降、パソコンの入出力デバイスとしてUSBが普及、また、CD-Rドライブが普及し、USB接続タイプのメモリープレーヤー、MP3対応のポータブルCDプレーヤーが多数発売されていった。それらのほとんどは韓国に開発拠点を置き、中国で生産されたものだった。そのころにはMP3デコーダーを搭載した汎用電子チップが安価で出回るようになり、メモリータイプは構造が単純で開発しやすいなどの理由で、ポータブルCDプレーヤーは既に構造が成熟しており構成部品が入手しやすかったなどの理由で、規模の小さなメーカーが規模の小さな市場にひしめき合う状況となった。それらのメーカーの製品は、音質や(とくに日本語環境での)使い勝手に難があるものが少なくなかった。また、製品のサポート体制も不透明だった。市場が発展途上かつ前述の胡散臭いイメージが残っている状況で、メーカーが淘汰されてはまた現れる状況がしばらく続いた。

そんな中、米国のRio、シンガポールのCreative、韓国のMpioiRiveriAUDIOといったメーカー・ブランドが日本でもある程度認知され、ブランドイメージを確立するにいたった。これらのメーカーは、MP3以外のフォーマット(WMA、Vorbisなど)の対応にも積極的で、製品サポート体制も自社、代理店およびWeb上で積極的に行なった。

日本メーカーの動向

一方の日本国内の家電メーカーは、レコード会社を併設している所が多く、著作権的に問題があるとしてMP3プレーヤーには消極的だった。また当時はPCやインターネットの普及率の低さもあって、音楽の複製はアナログカセットやMDに行うスタイルが主流でありまたそれらを外へ持ち出すためのプレーヤーも安価となっている最中だったため家電販売店側もMP3プレーヤーの販売には消極的だった。その結果、製品の多くがPCに関連したメーカーかPC部品の輸入代理店からの発売となり、一般の家電販売店よりはむしろPC関連機器の販売店でMP3プレーヤーが売られている事が多かった。このためにMP3プレーヤーは、家電量販店ではマイナーな電気製品として、売場の隅で一部有名メーカーの製品のみがひっそりと売られる状態が続くこととなった。

ケンウッドは、後述のDCP-MP727の失敗により、この市場から遠ざかることとなる。後の再参入でも、他の日本メーカーよりも出遅れることとなる。

ソニーのATRAC3方式による参入

1999年12月にソニーは「メモリースティックウォークマン NW-MS7」を日本で発売し、デジタルオーディオプレイヤー市場に本格参入した。記録媒体として同時発売した「マジックゲートメモリースティック」を用いて、記録フォーマットはMDLPに採用されていたATRAC3方式を採用し、漢字表示対応のEL液晶を備えたボディは100円ライターの二回り大きくした程のサイズで、ウォークマン発売開始20周年の節目を飾るモデルの一つとなった。

NW-MS7の開発に際し、ソニーは著作権保護にSDMIに準拠する二つの暗号化技術(OpenMG/MagicGate)を採用したことでクリアした。例えばエクスプローラでファイルコピーをしたり、インターネット上へアップロードした場合は複製ファイルの再生は不可能となる。

また、ソニーグループSMEJが同月中にOpenMGとATRAC3を採用した音楽配信サイトBitmusicの事業開始にこぎ着けた。

2000年1月には、シリコンオーディオプレイヤーの「VAIO music clip MC-P10」を発売した。この機種は64MBの内蔵メモリのみ搭載し、大きさは軸が太めのボールペンと同等となり、NW-MS7よりも大幅に小型化した。

続いて同年秋には携帯電話に音楽再生機能を持たせた、エーユー(旧:IDODDIセルラーグループ連合、現:KDDI)・沖縄セルラー電話連合(各auブランド)向けC404S DIVANTTドコモ向けDocomo by SONY SO502iWMを相次いで発売している。これらの機種はスティックリモコンとMGメモリースティックスロットを搭載し、付属のOpenMG JukeBoxから音楽データをチェックイン/アウトする機能を備えた所から、「メモリースティックウォークマン」を一体化した感が強かった。また、光ミニジャックを備えてダイレクトエンコーディングにも対応した。しかし、それなりの評価を得た一方で、厚みのある本体で音楽再生は電池の持ちが余り良くなく、有る程度複雑な操作を憶えなければいけない事で当時は万人受けしなかった点から、2004年頃に携帯電話業界が音楽再生機能に注力するようになるまで同様の後継機が出ることは無かった。SO502iWMは2001年末頃まで市販されていた。

2001年にはデジタルオーディオプレイヤーのブランドを「ネットワークウォークマン」に統一し、さらにPCにリッピングしたATRAC3ファイルの転送媒体をメモリではなくミニディスクにしたNet MD規格・2004年にHi-MD規格を発表した。

なお、NW-MS7発売当初から2004年上半期頃までは、付属ソフトの「OpenMG Juke Box(1999年~2001年)」「Sonic Stage」によって、リッピング・WAV/MP3のATRAC3へのコーデック・EMDサイトで購入したATRAC3方式のファイルを、記録媒体の「マジックゲートメモリースティック」・「シリコンメモリー」「Net MD」へチェックイン操作(任意のマジックゲート対応の1媒体へのみコピーが可能)で音楽ファイルを転送し、その転送先で不要になった音楽ファイルはチェックイン操作をした同じPCのソフト上でチェックアウト操作をする事でコピーしたデータが削除され再びソフト上でチェックインが可能となる方式だった。この強固な著作権保護技術によって、当初は著作権の私的範囲内でもOpen MGで暗号化されたATRAC3ファイルのバックアップが一切不可能など制約が多かった。これは、後にアップグレードによって改善・弾力化された。

MP3以外のフォーマットへの対応

デジタルオーディオプレーヤーの再生フォーマットは、当初はMP3のみであり、後にTwinVQATRAC3AAC といったフォーマットも登場した。しかし前述のとおり、著作権保護を重視するあまり、使い勝手の悪いものとなってしまい普及するにはいたらなかった。そのようなMP3の一人勝ちの状況にあって、対抗しうるフォーマットとして Microsoft が開発した Windows Media Audio (WMA) が登場した。MP3と比べても圧縮率・音質に遜色なく、Windows Media Player (WMP) にエンコーダーが標準搭載されているため、普及が期待できた。そして、ポータブルプレーヤー市場でもWMAに対応したものの登場が望まれた。

WMAフォーマット対応の製品としては、2000年8月発売のダイアモンド・マルチメディア・システムズの「Rio 600」が最初のものとなった。内蔵メモリと増設バックパック併用タイプだが、バックパックの容量は限られ(発売されたのは32/64MB)、筐体はまだまだ大きかった。本格的な普及は、後述のケンウッドとアイリバーのCDプレーヤータイプの登場を期に一気に加速することとなる。メモリータイプに関しては、2001年4月発売のMPIO「AD-DMGシリーズ」や同年11月発売のPanasonic「SV-SD80」の登場で小型化・高機能化が一段と進められることとなる。

AACフォーマットについてもPanasonicが細々と対応製品を販売し続けていたが、後述のiPodの発売と大人気によって普及に弾みがつき、今ではMP3に次いで利用されているフォーマットと言える。

ケンウッド vs. アイリバー

ケンウッド DPC-MP727

2001年初頭にケンウッドが世界初のWMAフォーマット対応のCDプレーヤータイプのデジタルオーディオプレーヤー「DCP-MP727」の発売の発表を行なった。しかし、実際の発売は4月となり、結局は3月末にアイリバーの「iMP-100」(日本ではソニックブルーの「RioVolt SP-100」として発売)に先を越され、ケンウッドは出だしからつまずくこととなった。

どちらの機種も発売早々から人気機種となったが、最終的にはアイリバーの躍進とケンウッドのデジタルオーディオプレーヤー市場の一時撤退という結果となった。

iMP-100 (RioVolt) は、基本的に パソコン周辺機器としてのデジタルオーディオプレーヤー であり、記録媒体としてCD-R/RWを用い、付随機能として音楽CDも再生可能という、大容量のデータの操作管理性や機能を重視していた。また、ユーザ自身でファームウェアのアップグレードが行なえ、機能の追加、操作性の向上やバグの改善ができた。

DCP-MP727は、基本的に 音響機器としての音楽CDプレーヤー であり、付随機能として圧縮音楽フォーマット (MP3, WMA) にも対応した、音楽再生重視のものだった。音質は良かったものの操作性は良くなかった。純粋にポータブルCDプレーヤーとして見ても中途半端な存在だった。

当時のデジタルオーディオプレーヤーの購買層・ユーザ(主としてパソコンマニア)にとっては、音質よりも操作性や機能性を重視する傾向にあった。操作性に難のあったDCP-MP727は次第に敬遠されるようになり、iMP-100 (RioVolt) の一人勝ちの様相となった。

アイリバー社はこの成功がその後の躍進の足がかりとなった。

日本における規格の乱立

前述のように、フォーマットやメモリーカード、著作権保護技術の種類の増加により、日本では規格の乱立が起こった。

日立マクセルや富士フイルムAXIA、東芝デジタルフロンティアハギワラシスコムが採用するSolidAudio、パナソニックやビクター、東芝が採用するSD-Audio、ソニー、シャープが採用するメモリースティックオーディオ(ATRAC AD)、サンヨーやTDKが採用するLiquid Audioなどが存在していたが、わずか数年でソニー以外のメーカーはほぼ全て撤退した。

その後、2002年に、東芝が独自の著作権保護機能を有したデジタルオーディオプレイヤー「gigabeat」を発売。また、ケンウッドも2005年に、東芝の著作権保護機能をベースにしたものを用いたデジタルオーディオプレイヤーを発売するが、どちらもMTP対応プレイヤーへと移行していった。

パナソニックも2005年にSD-Audioプレイヤーに再参入し、国内シェア3位に位置するも、2008年には市場シェアが1%台に落ち込み[2]事実上撤退した。

ソニーは2007年8月30日に「WALKMAN goes OPEN」を掲げ、海外市場向けの商品はATRAC ADからMTP対応のプレイヤーに移行した[3]。一方、日本国内ではその後も採用を続け、日本向けモデルではATRAC ADとMTPの兼用プレイヤーも存在したが、2019年発売モデルからはATRAC ADに対応しなくなった。また、パナソニックもD-snapブランドの終了によりデジタルオーディオプレイヤーからは事実上撤退したが、SD-Audioの規格自体はD-snapブランドの事実上の後継シリーズのワンセグテレビやデジタルメディアプレイヤーで従来機種からの互換性維持のために継続して用いられている。

アップルの挑戦と躍進

iPodApple Computerから2001年10月24日に発売された。新開発の東芝製小型HDDを搭載し、容量は5GB。後に10GB、20GBの製品も発売された。発売当初は高価なことが指摘されたが、容量あたりの価格は業界でも安い方の製品だった。他社のHDD搭載プレーヤーは大きく重く再生時間が短いため、実際には携帯に不向きだったのに対し、iPodはこれらの欠点を克服した最初の製品となった。

またそれまでのMP3プレーヤーの多くは容量の少なさから、所有者の音楽コレクションのうち、厳選された一部を持ち歩くという使われ方が主流だった。一方、当時のiPodでは5GB~20GBという容量により、ほとんどの使用者にとって自分の音楽コレクションの全部又は大部分を持ち歩くことが可能となった。これはつまり使用者が日頃あまり聞かないような音楽ファイルをも持ち歩くことになる。これら膨大な音楽ファイルの再生に一貫性を持たせるためには、M3Uファイルのような再生リストを作成して、使用者の好みに合わせた演奏の順番を決める必要があった。それまで再生リストの作成は手作業だったが、容量の少なさ=ファイル数の少なさに直結していたため、多くの使用者にとってさほど負担になる作業では無く、特に問題とはならなかった。

iPodに格納された大量の音楽ファイルから使用者にとって意味のある再生リストを生成する作業は、手作業では極めて難しい。そのためiPodには、iTunesという音楽ファイルの転送と再生リストの自動生成機能を兼ね備えたソフトウェアが添付されていた。iTunesは、MP3ファイルのID3タグの情報を元にファイルを自動的に分類し、複数種類の再生リストを自動的に作り上げる機能を持っている。この機能のおかげで使用者は自分の要求に適った再生順をたやすく実現することができた。

言いかえれば、iTunesの高度な再生リスト自動生成機能は、iPodの容量を最大限生かすために存在するのであり、またiPodの大容量ストレージが音楽ファイルの新しい利用方法を生み出し、それを活用するための最適な手段としてiTunesがあるとも言えるだろう。また、iTunesがインストールされているパソコンに音楽CDをマウントするだけで、曲名、アーチスト名、演奏時間などのデータも自動的に取り込まれ(正確にはインターネットのデータベース経由で)、ユーザがそれらの情報を手入力する手間が不要になったことも大きかった。

当初(2003年10月17日まで)iTunesはMac専用ソフトであり、WindowsユーザはiPodを公式には利用することはできなかった。事実上は可能だったが、Windows搭載パソコンにFireWire端子をPCIカードなどを使い装備し、かつサードパーティー製のソフトを購入またはダウンロードしインストールする必要があった。しかし市場が大きくなるにつれ、iPodもMac向け/Windows向けの2種類が販売された。2004年にはこの2パッケージでの販売はなくなり、Mac/Windows両対応となる。

iPodは好評を持って迎えられ、発売当初は多くの販売店で品切れとなった。その後2004年2月に、アップルはiPodを小型化したiPod miniを発売する。小さく薄くなり、容量も4GBに減ったものの、白一色だったiPodに対しiPod miniは5色から選べる事となった。価格も抑えられており容量単価は相変らず業界の最低ラインだった。iPodの成功は、特に日本ではMDプレーヤーの普及の影で一部趣味者のみが使用していたMP3プレーヤーが、一般ユーザに対する市民権を得て、MP3プレーヤーが携帯オーディオ市場のメインストリーム商品へ躍り出る契機となった。

この後、アップルはiTunes Music Storeで、自身で音楽の流通をも担うようになった。一曲99セント(US価格)という、業界最低クラスの驚くべき低価格設定だった。また、購入者の氏名を暗号化して曲のファイルに書き込むという独自の著作権管理機構を採用しており、iPod以外では再生できないファイル形式ではあるものの、iPodには何台にでもコピー可能、パソコンには5台までコピー可能、CDには何枚でも焼ける事から、対抗する音楽ダウンロード販売サービスから見れば緩すぎるとまで言われた。しかし、既存の音楽業界関係者の大半の予想を裏切って消費者に好評のうちに迎えられた。

スティーブ・ジョブズは、iTunesがWindowsに対応したことを発表するイベント内で「われわれは違法ダウンロードと戦う。訴えるつもりも、無視するつもりもない。競争するつもりだ。」と発言。この言葉は、音楽ダウンロード販売市場でのiTunes Music Storeの優位性を確信したからこその物であろう。以後大量の音楽ファイルがオンラインで販売され始めることになり、それを再生する機器としてのiPodの需要を生み出すという好循環が実現した。

iPod miniの発売後しばらくしてアナリストからはアップルがフラッシュメモリプレーヤーに進出するという観測が流れ始めた。これは結局、iPod shuffleという形で実現する。2005年1月に発売されたiPod shuffleはチューインガム状のUSBストレージクラスに対応したMP3プレーヤーで、容量1GBの製品価格は16,980円と、同容量の他のメーカーの製品より約5,000円も安かった。ここでも容量単価の低さを重視するアップルの基本戦略が発揮された。この製品もまた大好評となり、発売当初は品簿状態となった。iPod shuffleを買えなかった顧客が売場でソニーの同型フラッシュメモリ型ウォークマンなど別のメーカーの製品を買っていく現象もあって、売上を落したメーカーは無かったが、各社ともiPod shuffleの価格設定をアップルの戦略的なものと見なしており、対応策に追われていた。

その後iPod nanoとムービー再生機能を搭載した第5世代iPodが発売される。鮮やかなカラー液晶を搭載し、nanoに関しては一部を除きHDDタイプと機能的に劣ることなく、最大4GB(当時)のメモリが搭載され、更に小型化されたこともあって爆発的ヒットとなった。これによりiPod miniは発売終了となった。初代nanoについては画面に傷が付きやすいという問題がユーザの間で話題となり、その後保護ケースを同梱するなどの対策がとられた。

2017年のshuffle、nanoの販売終了に続き、2022年のiPod touchの販売終了を最後にiPodの歴史に幕を下ろした[4]

携帯電話との融合

携帯電話機は高機能化により音楽再生機能の搭載が一般的になり、ソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズの音楽再生機能付き携帯電話「ウォークマン携帯」などは2007年1-3月期だけで1890万台(世界)を販売するなど、台数ベースでは単独デジタルオーディオプレーヤーを大きく上回る状態になっている。

その後は高機能化が更に進み、スマートフォンへの発展や動画再生機能、WEB検索やワンセグなど別の附加機能もクローズアップされ、音楽再生機能に特化した音楽携帯というカテゴリ自体は縮小している。新規に発売されるほとんどの携帯電話の機種が音楽ファイルをダウンロード・再生する機能を備えている。アップルは2022年でiPod touchの販売終了により音楽専用端末は終焉を迎え、スマートフォンであるiPhoneが主流となっていく。

その後

2000年代を通してデジタルオーディオプレーヤーは動画再生などの機能を拡張したデジタルメディアプレーヤーと共に利用され続けていたが、2010年代に入って一般的に利用されるようになっていったスマートフォンや2011年より流行を見せているタブレットコンピュータに置き換えられるようにして、YouTube Musicのアップロード機能[5]Google Play Musicのロッカー機能などのクラウドサービス、一般のユーザーが耳を楽しませる役割を他の機器に譲っている。

これらの機器は音楽再生はもちろんデジタルメディアプレーヤーのように動画再生が可能なだけではなく、さまざまなアプリをユーザーの目的に沿って導入することが出来、携帯ゲーム機のように利用したり、電子手帳携帯情報端末)から電子辞書のような機能や電子書籍を閲覧するための電子ブックリーダーとして、またインターネット上のクラウドコンピューティングを利用する端末としてなど、様々な機能が集約されたものとなっている。

しかしその一方で廉価なデジタルオーディオプレーヤーはコモディティ化し依然として販売されているほか、また携帯型ナビゲーションシステムデジタルフォトフレームなど何等かの機器の付加機能として組み込まれていたりしており、他方では熱狂的に優れた音響機器を欲するオーディオマニア向けのハイレゾリューションオーディオに対応した高価なデジタルオーディオプレーヤーも依然として新製品が市場に投入され続けている。近年ではAndroidを搭載したウォークマンなども投入されている。


注釈

  1. ^ 以上の機能は、アナログ分野でのラジカセミニディスク搭載型ラジオ(ラジMD)に相当する。
  2. ^ フリーソフトをいくつか併用すれば可能な場合もある。
  3. ^ 2014年よりFM補完放送が開始されたものの、内蔵チューナーが90.1MHz~94.9MHz帯に対応していることが必要であることや(一部の局を除く)、NHKラジオ第1放送及びNHKラジオ第2放送は一部の地域を除いてFM補完放送が実施されていないなどの問題もある。

出典

  1. ^ 『電撃王 通巻100号 表紙 田中麗奈』メディアワークス、2000年1月1日、156,157,頁。 
  2. ^ 【緊急寄稿】iPodに白旗! パナソニックが携帯音楽プレーヤー事業の終息を検討
  3. ^ IFA 2007【ソニー編】新ウォークマンは「Goes OPEN」-欧州向けに発売。899/599ユーロのBDプレーヤーも
  4. ^ 約20年におよぶ「iPod」の歴史に幕。iPod touchが在庫限りで販売終了”. PC Watch (2022年5月11日). 2022年5月11日閲覧。
  5. ^ YouTube Music、ようやく音楽アップロードが可能に(もうすぐさよならGoogle Play Music)ITmedia 2020年3月10日
  6. ^ 携帯オーディオ、2010年8月の月間トップはソニー、新iPod登場の9月は?
  7. ^ 参考:GfK Japan Certified
  8. ^ CDの売上不況によるCDショップ衰退、減少の行方はどうなるのか”. Landgather (2017年9月8日). 2021年7月1日閲覧。






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