テレビ新潟放送網
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株式会社テレビ新潟放送網(テレビにいがたほうそうもう、Television Niigata Network Co., Ltd.)は、新潟県全域を放送対象地域としたテレビジョン放送事業を行っている特定地上基幹放送事業者である。
注釈
- ^ ケーブルテレビ放送局を含めると、香川テレビ放送網もこれに該当する。
- ^ 当時日本テレビの巨人戦中継は、NST新潟総合テレビ(当時は新潟総合テレビ)で放送されていたが、放送枠の都合で不定期放送となっていた。
- ^ 開局準備中だったこの時期、五六豪雪にも見舞われた。
- ^ ちなみにNSTは、テレビ新潟開局後はフジテレビ系列とテレビ朝日系列のクロスネットとなり、その後、1983年10月1日のNT21→UX開局に伴い、フジテレビのフルネット局となり、現在に至る。
- ^ キャッチフレーズは「手と手とTeNY」であるが、曲のタイトルには「手と」がもう1つ入る。作詞:伊藤アキラ、作曲:小林亜星。
- ^ このCI導入には、1990年代半ば、Windows 95の登場によるインターネットの大幅普及もあり、同局のWEBサイトを開設することになったが、ウェブサイトのURIの取得の際、既に「www.tnn.co.jp」は他の会社が使用しており取得できず、仕方なく「www2(?).tnn.co.jp」を取得したが、それに関するアクセス・トラブルもあったことなども考慮し、新たな略称を設けたうえでウェブサイトを開設したかったという一因もある。なお、前記のアドレスは現在は使われていない。
- ^ この時点ではすでに、TeNYから日本テレビへのハイビジョン上り中継回線は完備されていた。
- ^ この時点においての報道取材のハイビジョン化の割合は、県内民放ではUXに続いて多く、県内民放で最も早くハイビジョン取材を行ったNSTよりも多くなった。また、これを機に、ハイビジョン上り回線等を使い、TeNYからのNNNの全国向けニュース素材のハイビジョンでの配信も開始した。
- ^ テレビ新潟放送網 代表取締役社長。
- ^ 丸新グループ 代表取締役。
- ^ 厳密には大学卒業前
- ^ 初めの試験電波は、映像はカラーバーのみ。音声は2重音声で、主音声は1kHz、副音声は200Hzの正弦波によるもので、3分に1回、局名IDのアナウンスが主・副の各音声別に流れるものであった。
- ^ 直前の『NNN朝のニュース』(開局後初のネット番組)でもテレビ新潟開局の話題で弥彦山から生中継を行ったが、こちらは駒形正明アナウンサー(当時)が担当。
- ^ CM送出用1インチVTRによる映像、音声をバックに天気情報が字幕で出る番組形態で実施。6:45の「NNN朝のニュース」内、20:45の「NNNニューススポット」の後、21:54の「NNN海外スポット」後の各ローカル天気予報枠、深夜の放送終了前のローカル天気予報の原則1日4回。それ以前は、「NNNニューススポット」・「NNN海外スポット」(それぞれ二ヶ国語)の後の天気予報が、元がステレオ音声にも関わらず、メイン音声が左チャンネル、サブ音声が右チャンネルの二ヶ国語放送のまま放送されていたが、この状況をある視聴者から指摘を受けたことに対する改善策。
- ^ この時の中継は、沢田研二の「渚のラブレター」(歌だけでなく、作曲も沢田本人)の生演奏だった。バックバンドはこの曲のために作られた「渚のラブレターバンド」で、そのメンバーの中には、後のTBS「三宅裕司のいかすバンド天国」(新潟では当時この番組は未放送で、後の2007年(平成19年)12月に制作された総集編のみBSNテレビから放送)の審査員で一躍有名になった吉田建もベーシストとして参加していた。
- ^ その後同予選大会の放送は、翌年からはしばらくの間はモノラル放送だった。
- ^ 刈羽郡小国町(かつての千谷沢村〈ちやざわむら〉、現・長岡市。地元では転訛して「チャーザー村」という)。
- ^ 「笑点」のみステレオ放送。
- ^ 「弥生のサウンド飛行船」は半年で終了したが、「ビート・オン・ポップ」は石丸電気の提供で、約10年位続いた。
- ^ この日は、新潟県を含む全国のNHKの地方局13局と、全国の地方民放40局が同時に予備免許を取得した。インプレス社AV Watch 2005年6月9日付記事
- ^ 2006年(平成18年)10月1日に地上波デジタル本放送を始めた放送局の中で、最もサイマル試験放送の開始が早かった。
- ^ この模様は、同年10月8日・15日の2週にわたり放送された(SD(標準画質)・ステレオ音声での収録、放送)。
- ^ 同局の報道用ハイビジョンFPU中継システムを使った佐渡市のトキ保護センターからのハイビジョン生中継とハイビジョン取材VTRによる構成。
- ^ 同局では、同番組開始時から、新潟駅からの中継用にFPUをJR社屋屋上に固定して設けている。
- ^ 『news every.』(16:50 - 18:15、18:47 - 18:55)を内包。
- ^ 日本テレビと同時刻ではあるが、遅れネット。
- ^ 第1期はBSNで放送。
- ^ テレビアニメ版はBSNで放送。
- ^ 日本テレビ系全30局で放送。
- ^ 第1期は未放送。
- ^ ただし、1978年3月まではBSNで放送。
出典
- ^ a b c d e f 株式会社テレビ新潟放送網 第43期決算公告
- ^ 基幹放送事業者の議決権保有状況等 地上系放送事業者 - 総務省電波利用ホームページ
- ^ TeNYテレビ新潟の記事一覧
- ^ “夕方ワイド新潟一番(公式)”. 夕方ワイド新潟一番公式Twitter (2017年4月1日). 2017年4月2日閲覧。
- ^ “夕方ワイド新潟一番(公式)”. 夕方ワイド新潟一番公式Twitter (2017年4月2日). 2017年4月2日閲覧。
- ^ “TeNYテレビ新潟”. X(旧Twitter). 2024年4月6日閲覧。
- ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2021』コーケン出版、2021年12月10日、330頁。
- ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2016』コーケン出版、2016年11月25日、313頁。
- ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑'92』コーケン出版、1992年11月、267頁。
- ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2003』コーケン出版、2003年11月、288頁。
- ^ a b (株)テレビ新潟放送網『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』(株)テレビ新潟放送網、1991年11月、16,64頁。
- ^ (株)テレビ新潟放送網『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』(株)テレビ新潟放送網、1991年11月、17,64頁。
- ^ a b (株)テレビ新潟放送網『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』(株)テレビ新潟放送網、1991年11月、27,65頁。
- ^ (株)テレビ新潟放送網『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』(株)テレビ新潟放送網、1991年11月、27頁。
- ^ (株)テレビ新潟放送網『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』(株)テレビ新潟放送網、1991年11月、28,29,65頁。
- ^ (株)テレビ新潟放送網『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』(株)テレビ新潟放送網、1991年11月、30,31,65頁。
- ^ (株)テレビ新潟放送網『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』(株)テレビ新潟放送網、1991年11月、32,33,65頁。
- ^ (株)テレビ新潟放送網『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』(株)テレビ新潟放送網、1991年11月、33頁。
- ^ 新潟日報 1981年4月1日朝刊 P.9 全面広告(新潟日報マイクロフィルムにて閲覧)
- ^ a b (株)テレビ新潟放送網『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』(株)テレビ新潟放送網、1991年11月、32頁。
- ^ a b (株)テレビ新潟放送網『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』(株)テレビ新潟放送網、1991年11月、68頁。
- ^ (株)テレビ新潟放送網『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』(株)テレビ新潟放送網、1991年11月、71頁。
- ^ (株)テレビ新潟放送網『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』(株)テレビ新潟放送網、1991年11月、83頁。
- ^ (株)テレビ新潟放送網『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』(株)テレビ新潟放送網、1991年11月、90頁。
- ^ a b (株)テレビ新潟放送網『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』(株)テレビ新潟放送網、1991年11月、100頁。
- ^ テレビ新潟放送網・編、104ページ
- ^ 総務省信越総合通信局報道資料 平成18年9月20日付
- ^ “新着情報 - Topics”. 株式会社営放プロデュース. 2022年5月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月13日閲覧。
- ^ “吉田 遼平 エスオープロモーション(SOP・SOプロ)のアナウンサー・DJ・タレント紹介”. www.so-pro.co.jp. 2023年7月10日閲覧。
- ^ “テレビ新潟で制作費着服 30代男性社員を懲戒解雇”. 47NEWS. 2024年3月28日閲覧。
固有名詞の分類
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