ツール・ド・コルス ツール・ド・コルスの概要

ツール・ド・コルス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/20 05:03 UTC 版)

2016年

概要

1973年から世界ラリー選手権 (WRC) の一戦として開催。1996年を除いて、2008年まではWRCカレンダー内での開催としていたが、ローテーション制のため、2009年はシリーズカレンダーから外された。2010年よりフランスにおけるWRC開催地は本土のアルザス地方に変更され、2011年と2012年はインターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ (IRC) 、2013年と2014年はヨーロッパラリー選手権 (ERC) の一戦として開催された。2015年から再びWRCに復活した。

1980年までは秋期に開催され、1981年から1999年までは5月に開催されていたが、2000年以降は9月(2000年、2001年)、3月(2002年)、10月(2003年、2004年、2005年)、4月(2006年)、10月(2007年、2008年)と、年間スケジュールに翻弄された開催時期となっている。

かつては島を1周するラリーだったため「ツール(旅行)」という名が付く。1990年代より島南西部のアジャクシオ周辺にSSを設定してきたが、IRCでは島を縦断するように移動しながら戦うスタイルになった[1][2]。WRC復帰後も3日間のSS数を10本程度に減らし、30-50km級のロングステージを設けている。島東北部のバスティアや中央部のコルテ、南東部のポルト=ヴェッキオといった街も行程の要所となる。

「直線区間が100(200)メートルあったらそれはコルスではない」「1万のコーナーを持つラリー」とまで言われる[3]ほどツイスティーなターマックステージで、山岳地帯の切り立った断崖絶壁を縫うように走る。全体的に道幅が狭く舗装路面は荒れており、標高が高い場所では天候が急変することもしばしば。経験値や正確かつ辛抱強いドライビングが必要とされ、地元のフランス人ドライバーやターマックスペシャリストが強さを発揮してきた。

競技中での事故

1985年にはランチアのアッティリオ・ベッテガ、1986年には同じくランチアのヘンリ・トイヴォネンが競技中に事故死し、グループBのモンスターマシンの廃止につながった。コルテ-タベルナの事故現場の近くには、トイヴォネンとコ・ドライバーのセルジオ・クレストへ向けた小さな慰霊碑が建てられており、今なお多くのラリー関係者およびラリーファンが訪れている[4]。1997年には三菱のトミ・マキネンがコース上にいた牛に激突し、はずみで谷へ50mほど転落したが無事に生還した[5]

カーナンバー"4"

ツール・ド・コルスで死亡した1985年のアッティリオ・ベッテガ、1986年のヘンリ・トイヴォネン共、カーナンバーが4であった為、以後カーナンバー4は1995年まで欠番となる。1995年からは、カーナンバーがシーズンを通し固定制になる故の復活だが、1995年にカーナンバー4を付けてコルシカを走ったのはコリン・マクレーである。この時マクレーは生還しているが、2007年にヘリコプターの墜落で非業の死を遂げている。

1973年以降の優勝者

年度 シリーズ ドライバー コ・ドライバー マシン
1973年 WRC ジャン=ピエール・ニコラ Michel Vial アルピーヌ・ルノーA110 1800
1974年 ジャン=クロード・アンドリュー ミシェル・プティ (BICHE) ランチア・ストラトス HF
1975年 ベルナール・ダルニッシュ アラン・マエ ランチア・ストラトス HF
1976年 サンドロ・ムナーリ シルヴィオ・マイガ ランチア・ストラトス HF
1977年 ベルナール・ダルニッシュ アラン・マエ フィアット・131・アバルト
1978年 ベルナール・ダルニッシュ アラン・マエ フィアット・131・アバルト
1979年 ベルナール・ダルニッシュ アラン・マエ ランチア・ストラトス HF
1980年 ジャン=リュック・テリエ Michel Vial ポルシェ・911 SC
1981年 ベルナール・ダルニッシュ アラン・マエ ランチア・ストラトス HF
1982年 ジャン・ラニョッティ ジャン=マルク・アンドリエ ルノー・5 ターボ
1983年 マルク・アレン イルッカ・キビマキ ランチア・ラリー037
1984年 マルク・アレン イルッカ・キビマキ ランチア・ラリー037
1985年 ジャン・ラニョッティ ピエール・ティモニエ ルノー・5 マキシターボ
1986年 ブルーノ・サビー ジャンフランソワ・フォシーユ プジョー・205ターボ16
1987年 ベルナール・ベギン ジャン=ジャック・ルネ BMW・M3
1988年 ディディエ・オリオール ベルナール・オセッリ フォード・シエラ RS コスワース
1989年 ディディエ・オリオール ベルナール・オセッリ ランチア・デルタ インテグラーレ
1990年 ディディエ・オリオール ベルナール・オセッリ ランチア・デルタ HF インテグラーレ 16V
1991年 カルロス・サインツ ルイス・モヤ トヨタ・セリカ GT-FOUR
1992年 ディディエ・オリオール ベルナール・オセッリ ランチア・デルタ HF インテグラーレ エボルツィオーネ
1993年 フランソワ・デルクール ダニエル・グラタループ フォード・エスコート RS コスワース
1994年 ディディエ・オリオール ベルナール・オセッリ トヨタ・セリカ ターボ 4WD
1995年 ディディエ・オリオール デニス・ジロード トヨタ・セリカ GT-FOUR
1996年 W2L フィリップ・ブガルスキー ジャン=ポール・シャローニ ルノー・メガーヌ マキシ
1997年 WRC コリン・マクレー ニッキー・グリスト スバル・インプレッサ WRC
1998年 コリン・マクレー ニッキー・グリスト スバル・インプレッサ WRC
1999年 フィリップ・ブガルスキー ジャン=ポール・シャローニ シトロエン・クサラ キットカー
2000年 ジル・パニッツィ エルヴェ・パニッツィ プジョー・206 WRC
2001年 ヘサス・ピュラス マルク・マルティ シトロエン・クサラ WRC
2002年 ジル・パニッツィ エルヴェ・パニッツィ プジョー・206 WRC
2003年 ペター・ソルベルグ フィル・ミルズ スバル・インプレッサ WRC
2004年 マルコ・マルティン マイケル・パーク フォード・フォーカスWRC
2005年 セバスチャン・ローブ ダニエル・エレナ シトロエン・クサラ WRC
2006年 セバスチャン・ローブ ダニエル・エレナ シトロエン・クサラ WRC
2007年 セバスチャン・ローブ ダニエル・エレナ シトロエン・C4 WRC
2008年 セバスチャン・ローブ ダニエル・エレナ シトロエン・C4 WRC
2009年    パスカル・トロジャニ フランシス・マゾッティ プジョー・307 WRC
2011年 IRC  ティエリー・ヌービル ニコラ・ジルスール プジョー・207 S2000
2012年 ダニ・ソルド カルロス・デル・バリオ ミニ ジョン・クーパー ワークスWRC
2013年 ERC ブライアン・ブフィエ クサビエ・パンセリ プジョー・207 S2000
2014年 ステファン・サラザン Jacques-Julien Renucci フォード・フィエスタRRC
2015年 WRC ヤリ=マティ・ラトバラ ミイカ・アンティラ フォルクスワーゲン・ポロR WRC
2016年 セバスチャン・オジェ ジュリアン・イングラシア フォルクスワーゲン・ポロ R WRC
2017年 ティエリー・ヌービル ニコラ・ジルソウル ヒュンダイ・i20クーペ WRC
2018年 セバスチャン・オジェ ジュリアン・イングラシア フォード・フィエスタ RS WRC
2019年 ティエリー・ヌービル ニコラ・ジルソウル ヒュンダイ・i20クーペ WRC
  • 1996年はFIA2リッターワールドカップ (W2L) として開催。

  1. ^ "IRCツール・ド・コルス、全島を巡るルートに回帰". RALLY PLUS.NET.(2011年4月2日)2013年12月14日閲覧。
  2. ^ "WRX STI R4のアイグナーがプロダクションカップ優勝". SUBARU MOTOSPORT.(2012年)2013年12月14日閲覧。
  3. ^ "奴田原文雄の2011年モータースポーツ漫遊記 ツールドコルス編". ADVAN MOTORSPORT.(2011年6月17日)2013年12月6日閲覧。
  4. ^ RALLY PLUS編集部/ラリープラス [@rallyplus] (2017年4月6日). "【ニャオキのホゲホゲWRC@コルシカ日記】" (ツイート). Twitterより2020年7月26日閲覧
  5. ^ "[第2レグ速報]1997世界ラリー選手権(WRC)第6戦ツール・ド・コルス". 三菱自動車.(1997年)2013年12月14日閲覧。


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