ダイアナ・ロス ダイアナ・ロスの概要

ダイアナ・ロス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/17 15:35 UTC 版)

ダイアナ・ロス
1976年
基本情報
出生名 Diane Earle
生誕 (1944-03-26) 1944年3月26日(79歳)
出身地 アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト
ジャンル R&Bソウルポップディスコ
職業 歌手音楽プロデューサー女優
活動期間 1959年 - 現在
レーベル Lu Pine Records、モータウンRCAレコード
共同作業者 スプリームスマーヴィン・ゲイジャクソン5マイケル・ジャクソンライオネル・リッチーシックフリオ・イグレシアステンプテーションズ

略歴

1959年 - 1969年、スプリームス

ミシガン州デトロイト出身。ハイスクール時代の1959年に、女性4人組のコーラス・グループ、プライメッツを結成。プライメッツは、1961年モータウンと契約、3人組となってザ・スプリームスとしてデビューした。

ダイアナは、ザ・スプリームスのリードシンガーとして「恋はあせらず[注 1]、「愛はどこへ行ったの」、「ストップ・イン・ザ・ネイム・オブ・ラヴ」、「キープ・ミー・ハンギン・オン」、「ベイビー・ラブ、ラブ・チャイルド」[注 2]など、数々のヒット曲を放ち、スターの仲間入りを果たした[1]。ヒット曲の多くは、モータウンの看板作曲家チームのホーランド=ドジャー=ホーランドの作品である。元々、ダイアナ一人が目立っていたザ・スプリームスだったが、1967年にはメンバーチェンジを機に、ダイアナ・ロス&ザ・スプリームスと正式にグループ名が変わった。68年から69年にかけて、ますますリードシンガーのダイアナ一人に注目が集まるようになったが、メアリー・ウィルソンとシンディ・バードソングはバックで歌い続けた[2]

1970年以降/ソロ時代

ザ・スプリームスの人気が一段落した1970年に、ダイアナはグループを脱退。ソロ歌手として活動を始める。ソロ転向後も、同年リリースの「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」(1970)[注 3]を皮切りに、「タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング」(1973)、「マホガニーのテーマ(Theme from Mahogany (Do You Know Where You're Going To))」(1976)、「ラブ・ハング・オーバー」、「アップサイド・ダウン」、「アイム・カミング・アウト」などの大ヒットを放ち、ソロ歌手としての地位を確立した。また70年代後半のディスコ全盛時代には、ゲイのDJやゲイのディスコ客らによって、ドナ・サマー、グロリア・ゲイナーらと並んで「ディスコ・クイーン」の地位にまつりあげられた。

1971年ビリー・ホリデイの伝記映画『ビリー・ホリデイ物語/奇妙な果実』に主演として起用され映画女優デビューした。この配役に関して批判もあったが、1972年10月に映画が公開されると、彼女の演技は好評だった。ロスの演技によりゴールデングローブ賞およびアカデミー賞の主演女優賞にノミネートされ、ゴールデングローブ賞新人賞を獲得した。サウンドトラックもヒットし、Billboard 200で2週連続第1位を獲得し、発売後8日間で30万枚を出荷し当時の記録を破った。200万枚近くを売り上げ、ロスのアルバムのベストセラーの1つとなった。

1975年に公開された、ロスの2本目の映画『マホガニー物語』でも主演を務め、ロス自身が衣裳デザインを担当した。ファッション・デザイナーを志望する女性がトラブルに巻き込まれながらランウェイ・モデルとなり業界最高峰となる話であった。監督は当初トニー・リチャードソンであったが製作途中で降板し、ベリー・ゴーディが引き継いだ。ゴーディとロスは撮影の最中衝突し、ロスは撮影終了前にプロダクションから離脱したためゴーディは秘書のエドナ・アンダーソンをボディ・ダブルに起用した。興行収入の上では成功したが批評家からの評価は低く、『タイム』誌はゴーディを「アメリカで最も才能のある者の1人であるダイアナ・ロスの無駄遣い」と非難した[3]。1976年、『ビルボード』誌のランキングでロスが歌う主題歌が第1位を獲得した。

1977年、モータウンはライマン・フランク・ボームの『オズの魔法使い』を全員アフリカ系アメリカ人出演者によりブロードウェイで上演していた『ザ・ウィズ』の映画化権を獲得した。当初映画には舞台出演者が多く出演することになっていた。しかしドロシー役は舞台版ではステファニー・ミルズが演じていたが、ロスが映画プロデューサーのロブ・コーエンに自分を配役するよう掛け合ったためにドロシー役はロスが配役された。このためドロシーは学生から学校の先生に脚本が変更された。カカシ役も舞台で演じた役者ではなく元モータウンのマイケル・ジャクソンが配役された。映画『ウィズ』は2,400万ドルで製作されたが、1978年10月公開以降興行収入は2,105万ドルであった[4][5][6]。公開前にCBSにテレビ放映権を1千万ドルで売却していたが、モータウンとユニバーサルは1,040万ドルの損失となった[5][6]。当時ミュージカル映画で最も高額な製作費であった[7]。この映画の失敗により、ロスの大作映画での短いキャリアは終了し、1970年代初頭から中期にかけてのブラックスプロイテーション時代に人気のあった全員黒人出演者による映画製作はハリウッドから遠のいていった[8][9][10]。『ウィズ』はロスにとってモータウンで最後の映画となった。

1973年初頭、ホリデイの「Good Morning Heartache」のロス版はあまりヒットしなかったが、1975年後期、「Theme from Mahogany (Do You Know Where You're Going To)」はロスにとって3枚目の第1位となった。3年後、ロスとマイケル・ジャクソンの「Ease on Down the Road」はまずまずのヒットとなった。彼らの2枚目のデュエットで『ウィズ』のアンサンブルの一部であった『Brand New Day』は海外でもヒットした。1980年後期、映画『It's My Turn』のテーマ曲がトップ10にランクインした。1981年、元コモドアーズシンガーソングライターであるライオネル・リッチーと映画『エンドレス・ラブ』のテーマ曲をコラボレートした。テーマ曲「エンドレス・ラブ」はアカデミー賞主題歌賞にノミネートされ、モータウン・レコード最後のヒット曲となり、年間第1位の曲となった。1988年、ロスは『リトルフット』のテーマ曲をレコーディングした。

1993年、テレビ映画『Out of Darkness』に出演し、女優業を再開した。この演技は称賛され、ゴールデングローブ賞3回目のノミネートとなった。1999年、ブランディと共にテレビ映画『Double Platinum』に主演し、その直後にアルバム『Every Day Is a New Day』がリリースされた。

1980年の「アップサイド・ダウン」では、ナイル・ロジャースのプロデュースによるディスコ・サウンドとセクシーなイメージ戦略で新境地を開いた。翌1981年には、ライオネル・リッチーとのデュエット曲「エンドレス・ラブ」が全米1位を記録。

1984年に不慮の死を遂げたマーヴィン・ゲイ1973年にデュエット作をリリース)に捧げた「ミッシング・ユー」の後は、アメリカではヒットに恵まれていないが、日本では1990年に「イフ・ウィ・ホールド・オン・トゥゲザー」がテレビドラマ『想い出にかわるまで』の主題歌に採用され、ヒットとなった。

USAフォー・アフリカにてウィ・アー・ザ・ワールドを歌う

1985年にはUSAフォー・アフリカに参加し、ウィ・アー・ザ・ワールドのブリッジ部分でリード・ボーカルを採った。1990年代以降は、公私に渡るトラブルもあり第一線からは退いているが、記念イベントなどで時折顔を見せている。マイケル・ジャクソンの事件やトラブルの時は弁護し、マイケルのドキュメンタリーにも出演している。

2000年以降

2008年12月、オスロで開かれたノーベル平和賞コンサートにて

2000年には、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンで行われた「ディーヴァズ・ライヴ“ダイアナ・ロス・トリビュート”」に、マライア・キャリードナ・サマーらと共に出演し、2005年にはアイルランドのアイドルグループ、ウェストライフがダイアナとのデュエット曲をリリース、久々の現場復帰を果たした。

また、幼い頃から親交が深いマイケル・ジャクソンの、遺言書にマイケルの子供達の後見人であるマイケルの母キャサリン亡き後の後見人に指名されているが、マイケルの追悼式や埋葬式には出席しておらず、これを受けるかに関しても公に発言していない。

子女の芸能界入りおよび婚姻(娘のトレイシー・エリス・ロスは女優となり[11]、息子のエヴァン・ロス英語版は歌手となって女優のアシュリー・シンプソンと結婚)により、現在のロス一家が徐々に芸能家族となっている。

2016年、大統領自由勲章を受章[12]

ナンバーワン・ヒッツ

ダイアナはスプリームス時代に12曲、ソロとして6曲、計18曲のBillboard Hot 100 1位のヒットを放っている。これはザ・ビートルズの20曲に次ぐ史上2位の記録である。

スプリームス時代

ソロ

  • Ain't No Mountain High Enough(1970)
  • Touch Me In the Morning(1973)
  • Theme from Mahogany (Do You Know Where You're Going To)(1975)
  • Love Hangove(1976)
  • Upside Down(1980)
  • Endless Love(1981)

注釈

  1. ^ ジェームス・ジェマーソンのベースラインが有名
  2. ^ 私生児のことである
  3. ^ もともとはマーヴィン・ゲイ&タミー・テレルのアップテンポのヒット曲だった
  4. ^ 元シャラマー。ワトリーがダイアナ、ハワード・ヒューイットがスモーキー・ロビンソン的な役割を担っていた
  5. ^ 90年に「ジス・タイム」がヒットした

出典

  1. ^ “The Supremes”. AllMusic. https://www.allmusic.com/artist/the-supremes-mn0000477875 2021年10月6日閲覧。 
  2. ^ Benjaminson, Peter. The Lost Supreme: The Life of Dreamgirl Florence Ballard. Chicago: Chicago Review Press, November 2007. 75–79. ISBN 1-55652-705-5
  3. ^ Posner, Gerald. Motown : Music, Money, Sex, and Power, pg. 286.
  4. ^ Sharp, Kathleen (2003). Mr. and Mrs. Hollywood: Edie and Lew Wasserman and Their Entertainment Empire. Carroll & Graf Publishers. pp. 357–358. ISBN 0-7867-1220-1 
  5. ^ a b Harpole, Charles (2003). History of the American Cinema. Simon and Schuster. pp. 64, 65, 219, 220, 290. ISBN 0-684-80463-8 
  6. ^ a b Adrahtas, Thomas (2006). A Lifetime to Get Here: Diana Ross: The American Dreamgirl. AuthorHouse. pp. 163–167. ISBN 1-4259-7140-7 
  7. ^ Skow, John (1978年10月30日). “Nowhere Over the Rainbow”. TIME (Time Warner). https://time.com/time/magazine/article/0,9171,912236,00.html 2007年11月6日閲覧。 
  8. ^ Moon, Spencer; George Hill (1997). Reel Black Talk: A Sourcebook of 50 American Filmmakers. Greenwood Press. xii. ISBN 0-313-29830-0 
  9. ^ Benshoff, Harry M.; Sean Griffin (2004). America on Film: Representing Race, Class, Gender, and Sexuality at the Movies. Blackwell Publishing. p. 88. ISBN 0-631-22583-8 
  10. ^ George, Nelson (1985). Where Did Our Love Go? The Rise and Fall of the Motown Sound. St. Martin's Press. p. 193 
  11. ^ “ダイアナ・ロスの娘トレイシー・エリス・ロスが圧巻の歌唱デビュー『ネクスト・ドリーム/ふたりで叶える夢』特別映像解禁”. anemo. (2020年12月15日). https://www.anemo.co.jp/movienews/newmovie/next-dream_05-20201215/ 2023年9月12日閲覧。 
  12. ^ “米大統領自由勲章にデニーロさん”. 共同通信 47NEWS. (2016年11月17日). https://nordot.app/171754995940409350?c=39546741839462401 2016年11月17日閲覧。 
  13. ^ J. Randy Taraborrelli (2009年7月3日). “'Michael was obsessed with Diana Ross, but his mother feared she would corrupt him...'”. Mail Online. https://www.dailymail.co.uk/tvshowbiz/article-1197153/Michael-obsessed-Diana-Ross-mother-feared-corrupt-.html 2013年12月27日閲覧。 
  14. ^ Beyoncé Influences”. Shmoop.com. 2015年7月15日閲覧。
  15. ^ Robert Fontenot (2007年9月10日). “American Idol's Jennifer Hudson as the Supremes' Florence Ballard?”. Oldies.about.com. 2013年12月27日閲覧。
  16. ^ "The Rock and Roll Hall of Fame's 500 Songs That Shaped Rock and Roll (by artist)". Rock and Roll Hall of Fame, 2007. Retrieved on April 27, 2007. アーカイブ 2007年5月14日 - ウェイバックマシン
  17. ^ "The Immortals: The First Fifty". Rolling Stone, Issue 946, March 24, 2004. Retrieved on July 4, 2004.
  18. ^ Guthrie, Marisa (2008年4月4日). “Elvis is Spotted – Rolling in His Grave”. Daily News. https://today.msnbc.msn.com/id/23918924/ns/today-entertainment/t/mariah-carey-surpasses-elvis-no-s/ 2011年8月6日閲覧。 


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