ザ・ピーナッツ ザ・ピーナッツの概要

ザ・ピーナッツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/08/14 13:21 UTC 版)

ザ・ピーナッツ
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基本情報
別名 ピーナッツ
出身地 日本の旗 日本愛知県知多郡常滑町(現・常滑市
ジャンル 和製ポップス歌謡(最初期には一部民謡も歌唱)
活動期間 1959年2月11日 - 1975年4月5日
レーベル キングレコード
事務所 渡辺プロダクション
旧メンバー
伊藤エミハーモニー
伊藤ユミメロディー

人物

伊藤エミ(本名、澤田[2] 日出代(さわだ ひでよ)(旧姓、伊藤)1941年4月1日 - 2012年6月15日)、妹 伊藤ユミ(本名、伊藤 月子(いとう つきこ)1941年4月1日 - )。愛知県知多郡常滑町(現・常滑市)生まれ。ただしすぐに転居し、子供-学生時代は同県名古屋市で過ごす。

所属事務所はデビューより引退まで16年間一貫して渡辺プロダクションに、所属レコード会社は各社の争奪戦となり、ビクターレコード[3]と契約寸前まで達したが逆転され1959年4月2日キングレコード契約した。

発売したシングル、LPの累計売上は1000万枚以上に達する[4]

略歴

愛知県名古屋市立西陵商業高等学校(現・名古屋市立西陵高等学校)を2年生の時に中途退学後、主に名古屋市内などで「伊藤シスターズ」名義で歌っていたが、1958年に同市内のレストランにて渡辺プロダクション社長渡邊晋にスカウトされ[5]上京。同社長宅に下宿しつつ宮川泰に師事し、歌唱レッスンを受ける[6]

1959年2月11日、「第2回 日劇コーラスパレード」で歌手デビュー、4月、「可愛い花」でレコードデビュー。1959年6月17日から1970年3月31日までフジテレビ系の歌謡番組『ザ・ヒットパレード』のレギュラーに抜擢される。

その後1961年6月4日から1972年10月1日まで日本テレビ系の人気バラエティー番組『シャボン玉ホリデー』でメイン司会を務めた。

日本国外でも活躍し、『エド・サリヴァン・ショー』(アメリカ)や『カテリーナ・バレンテ・ショー』(当時の西ドイツ。現・ドイツ)、『ダニー・ケイ・ショー』(アメリカ)にも出演したことがある。

また女優活動も少ないながらも行っており、映画などにも数作出演。中でもモスラでの「小美人」役は現在もなお人気が根強くある。

和製ポップス[7]海外公演などによって世界に広めた功績は大きく、特に当時の東西両ドイツやイタリアでは、日本の歌手と言えば即座に「ザ・ピーナッツ」と連想されるほどの活躍振りも高く評価された。

1975年2月18日に当時東京都千代田区有楽町三信ビルヂングにあった渡辺プロダクション社屋[8]にて記者会見を開き、現役を引退することを表明(1972年頃より引退を検討していた)した。

同年3月31日には番組開始時より数多く出演をした「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ系)にて引退記念特集「さよならピーナッツ」[9]が組まれ、続く4月5日にはNHKホールにおいて、高橋圭三司会で「さよなら公演」を興行。[10]

この時、渡辺プロの主要タレントがほぼ総出で見届けていた。なお、このさよなら公演は3月から4月に掛けて大阪京都名古屋でも行われていた。なお同公演を最後に芸能界を引退した。[11]以後は現在に至るまで一切公の場には姿を現していない[12]

姉の伊藤エミは1975年6月4日に同じ所属事務所であった元・ザ・タイガース沢田研二結婚し、ハナ肇宅の隣に居を構えていた。その後1男を出産するが、1987年1月離婚した。

その後2005年12月23日より2006年1月15日まで東京都千代田区にある丸ビル「渡辺プロダクション創立50周年企画 「抱えきれない夢」 日本のエンターテインメントの50年」が開催され、会場内の「ザ・ピーナッツコーナー」の展示品に、上記のさよなら公演で使用されたマイクが伊藤エミ・ユミの提供により展示されていた。

2012年6月15日、姉:伊藤エミが死去[13]

名付け親

グループ名は元・日本テレビの敏腕プロデューサー井原高忠がグループ名、2人の芸名ともに名付けた。井原はのちにとんねるずの芸名も名付けている。また、個人の芸名を付けたのは渡邊晋である[14]




[ヘルプ]
  1. ^ 中日新聞1975年3月30日朝刊の名古屋でのさよなら公演の記事によると小学生時代に名古屋市中区西大須に転居したとある。
  2. ^ スポニチ (2012年6月28日). “伊藤エミさん死去 沢田研二と離婚 慰謝料は18億円超も沢田姓で通す”. 2012年6月28日閲覧。
  3. ^ 当時は独立した会社ではなく日本ビクターの一部門であった。
  4. ^ きょう発プラス! TBS系番組『きょう発プラス!』 2006年4月17日放送より
  5. ^ 最初は名ドラマーとして知られたジミー竹内が渡邊に紹介したという。
  6. ^ 社長宅には当時、事務所の先輩である浜村淳なども下宿していた。
  7. ^ 現代風に言えば「J-POP」と称される事もある。但し、若干意味合いが異なると定義されている。
  8. ^ 2009年現在は渋谷区内に移転している。
  9. ^ これが同番組での「サヨナラ」企画第1号とされている。ザ・ピーナッツは夜のヒットスタジオには通算40回出演している
  10. ^ この当時は歌手の引退コンサートはまだ一般的ではなかった。また歌手として史上初めてのさよならコンサートとも言われている。
  11. ^ その後同年4月13日の「さようならザ・ピーナッツ」、また同年5月25日に「最後の最後のザ・ピーナッツ」が日本テレビで放送されたが「さよなら公演」等のVTRを主としたものであり、ザ・ピーナッツは直接出演はしていない。
  12. ^ 例外として1975年6月4日の比叡山延暦寺に於ける結婚式では一部メディアで報道されていた(1987年1月の離婚時は不明)。
  13. ^ “「ザ・ピーナッツ」伊藤エミさんが死去”. スポーツ報知. (2012年6月27日). オリジナル2012年6月27日時点によるアーカイブ。. http://archive.today/9Z7oh 2014年5月1日閲覧。 
  14. ^ 「ザ・ピーナッツ シングルス〜モスラの歌〜」(40周年記念CD)解説書
  15. ^ 後に日産自動車に吸収合併され現在会社は存在しないが、現在も日産販売店系列の名称に「日産プリンス」という形で名称が残っている。
  16. ^ ザ・ピーナッツ未発表曲10曲がCD化 サンケイスポーツ 2008年9月20日閲覧


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