クイズタイムショック 解答中のBGM

クイズタイムショック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 01:25 UTC 版)

解答中のBGM

クイズ解答中のBGMはどの時代のものもアナログ時計が時間を刻む様子をイメージして作られており、時代によってアレンジが異なっている。

  • 田宮版・山口版は山下毅雄作曲。山口が司会となってから、マイナーチェンジされた。
    • (田宮もしくは山口がクイズナンバーボタンを押して)「タ〜イムショック!!」とコールした後、「スタート!」のジングルが流れる。カウントがスタートすると、ストップウォッチのコチコチ音と打楽器を小刻みに叩く音(山口時代は、さらにスネアドラムブラシで擦るドラミングが加えられる)が30秒まで徐々に音量を上げながら続く。30秒を過ぎると3拍子のメロディが始まり半音ずつキーが上がっていく(山口時代はメロディのテンポが早くなる)。45秒前後からはさらに緊迫感のある不調和音をあおる旋律に変わる。55秒で最初の打楽器のみの音に戻り、「ジャーン」という派手なファンファーレで1分間が終わる(ただし後述の、椅子が回るペナルティのときは、このファンファーレは出だしこそ同じであるが萎れた感じのものになっていた)。なお、田宮版でもセットの時期によって若干異なっていた。また、チャンピオン戦では、チャンピオンの挑戦が終了した直後、別の不協和音が流れた。2019年9月25日放送分の「敗者復活戦」では、田宮時代後期のBGMを使用していた。
    • 正解時になるチャイムの音は、田宮時代は『ピンポン』と二音が鳴っていたが、山口時代は『ポーン』と一音のみになる。
  • 生島時代のBGMは前田憲男作曲。生島の「クイズ!!タ〜イムショック!!」コールの後、すぐにカウントがスタートする(「スタート」ジングルは無し)。最初は「チクタクチクタク」の秒針をイメージしたタンバリン風の音が鳴りづける。30秒を過ぎると、緊迫感のある不調和音が鳴り続き(音量と音階が無段階に上がる)、「ジャジャジャン!」というジングル(最初期のみ無し)とともに1分間が終わる。
    • 正解の場合はチャイム・不正解の場合は短いブザー音が鳴る。基本的に不正解時に音が鳴るのは生島時代のみ。ただし例外として、鹿賀・中山&新山時代の12アンサーズやタイマンタイマーなどでは不正解時にブザー音が鳴る。
  • 鹿賀・中山&新山(のち中山&大下)でのBGMは安久雄滋作曲。「(ザ・)タ〜イムショック!!」コールの後、「スタート!」のジングルと鐘が鳴ってスタート。0秒から30秒まではシンセサイザーのベース音とリズム音、30秒から47.5秒まで3拍子のメロディが流れ、47.5秒から58秒までは、0.5秒間隔に不協和音が流れ、少しずつ音階が上がっていった(このような類の音楽はかなりの緊迫感を引き出すと言われている)。そして最後の1秒は秒針の音楽になり、59.9秒(最後のランプが消える直前)に大きな音が流れ1分間が終わる。鹿賀時代初期は、この最後の大きな音の上に重ねるように「ビー」という機械音が鳴った。また、問題の種類によっては、全体的に若干のずれが生じることもあった。携帯電話サイトでダウンロード可能。
    • 「ザ・タイムショック」の2分間一斉タイムショック及び2人同時エンドレスタイムショックでは、これのアレンジが使われた。前者のタイプに関してはのちに、小中学Q得意教科2分バトルでも使われた。そちらは0秒から34秒までは、シンセサイザーのベース音とリズム音が流れ、34秒から78秒までは、4拍子のメロディが流れ、78秒から90秒までは、少しずつ音階が上がっていった。90秒から105秒までは、上述の3拍子のメロディのアレンジが流れ、105秒から119.9秒までは上述の0.5秒間隔に不協和音&少しずつ音階が上がっていく部分のアレンジが流れた。そして120秒に大きな音が流れて2分間が終わる。

歴代テーマ曲担当

  • 山下毅雄(田宮・山口時代)曲の中の「ショック!!」と締めの「タ~イムショック!!」の声は山下本人のものである。なお、田宮時代と山口時代ではアレンジとテンポが異なる(山口版は田宮版に比べてテンポが早くなっている)。
  • 前田憲男(生島時代)
  • 安久雄滋(鹿賀・中山&新山時代〈タイムショック21〉)

  1. ^ ただし生島時代は常に、鹿賀・中山&新山時代以降は『12アンサーズ』など一部の特殊形式の際に不正解のブザーが鳴る。
  2. ^ 当時の番組ホームページ
  3. ^ タイムショック21/8月13日の詳細
  4. ^ a b c 読売新聞・朝刊1969年5月23日付27面「クイズ作り・あの手この手」より
  5. ^ a b 装飾上のものであるため、特に役割は無く常時発光している。
  6. ^ 主にペナルティ発動時の解答者の様子を映し出すためのもの。
  7. ^ 第2回(2017年9月)放送分で判明。
  8. ^ a b 「テレビ放送50年 テレビアートのすべて」(2002年、KKベストセラーズ刊)より。
  9. ^ この時用いられた7セグ数字は全て"8"ではなく"1088000"と最低限の金額表示ができるような形となっていた(十万の位が0なのは、賞金に10万円、15万円の"1"か100万円の"0"しかないため)。
  10. ^ 「6」の表示は小文字の"b"のような表示。
  11. ^ 山口時代は番組本編の前枠(前口上から最初の解答者紹介前)でも表示されていた。
  12. ^ ただし、これらのシステムを使用しない回は撤去されている。
  13. ^ a b 「この10年」(1978年11月発行、北海道テレビ放送刊)より
  14. ^ a b 「テレビ・メイト」(1975年6月号、NETテレビ広報部発行、20.21ページ)
  15. ^ 使われている書体はナール
  16. ^ 山口司会時代後半ではボタンを押す場面が時々放送された
  17. ^ ボタンの形状は卓上ビデオゲームの操作盤のような形で、残っている問題ボタンが点灯、終了した問題番号は消灯する仕組みであった
  18. ^ 山口が番号ボタンを押すと文字が消灯、同時にラインが両端から順番に緑から赤に変化し、山口の「タイム・ショック!」コールに合わせ消灯していた文字が再び赤く点灯する
  19. ^ この回では大島渚が全問正解を成し遂げている。
  20. ^ 本編ではCGで番号の一覧と問題内容を表示。
  21. ^ 「チャレンジの軌跡 : new air, on air」(2010年、テレビ朝日社史編纂委員会編)より
  22. ^ 『アサヒグラフ』(1969年2月28日号)
  23. ^ 山口時代の『落語家特集』回では、出囃子が演奏された。
  24. ^ 最終回を除く。また田宮は正解が3問以内の場合に椅子が回ることを伝えた後、解答者に「よろしいですね?」と必ず確認を取っていた(山口も初期の頃に同様の対応を取っていた)。
  25. ^ 『21』開始当初、この鐘の音は加わっていなかった。追加以後は鐘の音が大きい関係上、聞き取りづらい節がある。
  26. ^ ただし、回転機構の不具合により従来のような水平方向の回転のみになった事がある。
  27. ^ 妊娠中の女性など身体に影響がある場合は椅子の回転は行わない。
  28. ^ フジテレビ志村けんのだいじょうぶだぁ』の「人間ルーレット」と同形式。
  29. ^ ただし、該当解答者の敗退を以って全体の優勝者が決定した場合、演出の都合上ペナルティは行わない。
  30. ^ 山口時代最末期はパーフェクト達成者も対象
  31. ^ 最初にチャンピオン、その次にチャレンジャーの順に行う
  32. ^ 両者同じ正解数の場合先週までのチャンピオンが勝利した扱い
  33. ^ 上述の通り公正取引委員会によりオープン懸賞で獲得できる賞金・賞品の金額総額上限が100万円に定められたことによる。
  34. ^ 山口時代最末期ではパーフェクト達成者もトップチャレンジャーとなる為、チャンピオン戦ではパーフェクトを目指しチャンピオンのみが挑戦する形となる(ただ仮にチャンピオンが全問正解して防衛扱い、ないしはトップチャレンジャーがチャンピオン勝ち抜き戦においてチャンピオンを全問正解で下して新チャンピオンになったとしても、5週目を待たずしてそこでそのチャンピオンも打ち切りとなる)。
  35. ^ 当時のNET→テレ朝系の視聴者参加クイズ番組『クイズ・チェック!NOW』『ピラミッドクイズ』でもタイムショックと類似した勝ち抜き戦のシステムがあり、チャンピオンが5人勝ち抜くか、チャンピオン・チャレンジャー(当該週のトップ賞受賞者)を問わず全問正解を達成した場合は同様に賞金100万円を獲得して、そのチャンピオンは打ち切りとなるルールが存在した。
  36. ^ 800回記念回より
  37. ^ そのため出場者は風呂敷や大きなバッグを持参するように言われたという
  38. ^ 芸能人大会では5-8チームによる2ポイント先取の対決
  39. ^ 第2期初回のみ積立金持ち帰りか『ビジュアルタイムショック』からのやり直しかを選択
  40. ^ この第3期を最後にビジュアルタイムショックは廃止となるが、問題映像が『クイズ!バーチャQ』に流用された。
  41. ^ 問題番号は1-6、後に1-10で全てレギュラー問題
  42. ^ チャンピオンが複数の場合、その分ペーパーテストの通過者が減る仕組み
  43. ^ チャンピオンが複数の場合は勝ち抜き数の少ない順
  44. ^ 最終回に限り満たなかった場合即、トルネードスピンとなった
  45. ^ 全員が全問正解で最高25万円
  46. ^ トーナメント1回戦では『映像レギュラー問題』『12アンサーズ』が、2回戦では『漢字書き取り』が選ばれた
  47. ^ 挑戦の都合上6人ずつに分けて行い、編集で同時としている
  48. ^ 第2回までは各グループトップ3人でさらにレギュラー問題を1セット行い、正解数が最も多い1人が復活
  49. ^ 第6回のDグループは全員が同点となり、じゃんけんで選択順を決めた
  50. ^ 第2回のDグループは、5人全員が正解数が5問以下でトルネードスピンになったが、5問正解が2人いた為、プレーオフで決着を付けた
  51. ^ 同点がいる場合は年齢が高い人から上位に付けられる
  52. ^ ただし残っているジャンルに関しては適時司会者が説明するほか、司会者席には何番がどのジャンルかを示すモニターが存在した
  53. ^ 3つのジャンルが全て『12チョイス』(後述)、『3ラインクイズ』(後述)で構成された問題セットが第1回・第2回共に1つずつ含まれてる
  54. ^ トーナメントSPと絶対クイズ王誕生SPでは、2巡目のみ漢字問題で、1 - 6の問題セットの中から1つ選択する
  55. ^ 第11回の決勝3巡目(クリアライン10問)で宇治原史規、畠山健、やくみつるの3人が全員9問でトルネードとなり、これがタイムショック史上初の出来事となった
  56. ^ 出題ジャンルが切り替わる際は制限時間のカウントが一旦ストップし、出題者が次のジャンル名を読み上げた後に問読みとカウントが再開する。
  57. ^ 一般正解率を基に設定。
  58. ^ 3問正解で100万円、以後1問ごとに200万→400万→1000万円と続く
  59. ^ 2006年3月放送「バトルロイヤル10」
  60. ^ 2006年9月放送「バトルロイヤル11」平成元年問題
  61. ^ 田宮・山口時代の肩書きは「コンピューター」。
  62. ^ 『タイムショック』50周年 令和最初の放送にSnow Man阿部ら出演”. ORICON NEWS. 2019年9月25日閲覧。
  63. ^ 早い段階だと、4人目や5人目が挑戦すら出来ずに打ち切りとなる。
  64. ^ 解答時の環境が通常と同時タイムショックでは異なるため区別。
  65. ^ a b 週刊TVガイド 1984年6月22日号 p.28 - 31「設問95000 6000人が挑んだ緊・迫・の・1・分・間 800回を迎える『クイズタイムショック』」
  66. ^ なおこの回では当時12歳だった津軽三味線奏者・上妻宏光も出場。彼がお客様として出演した「徹子の部屋」(2002年11月13日放送分)にてその回の映像が放送された。
  67. ^ マツコ&有吉の怒り新党」(2017年2月16日放送分)での「記憶調査委員会」にて一般視聴者から「クイズタイムショックの最終回で大泉滉さんが全問不正解だったような記憶があるんですがどうなんでしょうか?」と言った旨の疑問が寄せられ、それに答える形で大泉滉が挑戦して椅子が回るまでのこの回の映像が放送された。
  68. ^ 挑戦者の中には、かつて田宮時代にパーフェクトを達成した者がいた。
  69. ^ クイズを趣味として楽しむ競技者の間では「タイムレース」と称される形式である
  70. ^ 例えば、北川宣浩は第2回ウルトラクイズの優勝者であり、道蔦岳史も第5回で上位進出している。また、生島時代に第15回優勝者・能勢一幸とともに出場した彼の一橋大学の後輩も第12回で上位進出した男性で、生島時代には第11、12、13回の上位入賞者が多数出場した(内訳は第11回が決勝に進出した1名、第12回が前述の能勢の後輩も含め4名(最上位は第8回でも上位進出した準決勝進出者。また、このうち女性1名が後にタイムショック21にも出場している)、第13回が準決勝に進出した2名でそのうちの一人は現在実業家である秋利美記雄)。この他、タイムショックには出場していないが近年のタイムショックのクイズ作家長戸勇人は第13回の、田中健一は第16回の優勝者である。
  71. ^ KBCはクイズタイムショックをネットしていた。
  72. ^ a b c d e 1985年9月まで同時ネット。10月以降は火曜19:00からの放送。
  73. ^ 放送開始当初はテレビ岩手ではなく同局で金曜17:30からのVTRネット。途中でテレビ岩手に移行。その後ANN系列脱退によりまた同局に再移行でVTRネット。1982年9月まで放送
  74. ^ 放送開始当初は火曜19:00からの時差ネット
  75. ^ 放送開始当初は同時ネット。
  76. ^ 1970年2-3月のテスト放送時も放送。
  77. ^ 土曜22:00からの放送。
  78. ^ 1973年10月5日、1980年8月29日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  79. ^ 金曜19:00からの放送。
  80. ^ 1980年10月5日、1983年9月25日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  81. ^ 日曜18:00からの放送。
  82. ^ 北國新聞 1974年6月6日付、1985年9月19日 - 1985年10月8日付、1986年3月25日付各朝刊テレビ欄より
  83. ^ 北國新聞 1973年11月4日付、1984年10月5日付各朝刊テレビ欄より。
  84. ^ 北國新聞 1985年9月26日 - 1985年10月8日付各朝刊テレビ欄より
  85. ^ 初期は同時ネット。
  86. ^ ネットスポンサーではなく、地元スポンサーに差し替えての放送。その為、1976年3月までは同時刻でのVTRネット、1976年4月以降はNET→テレ朝からのマイクロネット。愛媛放送編成局編成部編「放送番組表にみるテレビ愛媛30年のあゆみ」(2000年3月1日発行)
  87. ^ 『愛媛新聞』1979年4月8日付 テレビ欄参照
  88. ^ 1975年4月から1984年9月までは同時ネット。
  89. ^ 1975年3月ごろは月曜19:00からの時差ネット。
  90. ^ 土曜12:00からの放送。
  91. ^ 1978年8月31日時点で20局、1984年時点で27局、最終回時点で27局(この時点でテロップに表示されるネット局が存在しなかったエリアは岩手・長野・佐賀・熊本・沖縄の5エリア)と表示された
  92. ^ 1989年11月~1990年2月、土曜10:00~10:30、1990年3月のみ土曜16:00~16:30に放送。北國新聞参照。
  93. ^ 2003年4月より「メ〜テレ」の愛称を使用
  94. ^ 超タイムショックは山陰放送で放送されたことがある。
  95. ^ 「週刊平凡」1969年32号、46ページ「なぜ、タレントはクイズ番組に強いのか?」参照。






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