ギルガメシュ叙事詩
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文学性
世界最古の教養小説として名高く、友情の大切さや、ギルガメシュとエンキドゥの成長、自然と人間の対立など、寓話としての色合いも強い。
構成
叙事詩は12の書版で成り立つが、ギルガメシュに焦点を当てると大きな5つのまとまりに振り分けることができる[48]。
- (前半)エンキドゥとの出会い
- (前半)杉の森への遠征(西方):人は死すべきものと認識したうえでの行い:共同の旅・成功
- (繋ぎ)イシュタルの誘惑・聖牛退治
- (後半)エンキドゥとの死別
- (後半)不老不死の追求(東方):人の死すべき在り方を否定するための行い:孤独な旅・失敗
前半はエンキドゥとの出会いとフンババ征伐、繋ぎにイシュタルの誘惑、後半にエンキドゥとの別れと不死の探求という5つである。ギルガメシュの前半における英雄的信条がエンキドゥの死によって脆くも放棄されたように、ギルガメシュの起こす行動のきっかけ・内容・結果がエンキドゥとの友情を軸にして見事に対応するとともに対称的である。にもかかわらず物語全体が違和感なく首尾一貫しているのは、イシュタルの誘惑と聖牛退治という前半と後半を橋渡しする重要かつ自然な事象が、繋ぎとして配置されたからであろう。
また、場面展開の前にはギルガメシュかエンキドゥのどちらかが夢を見ており、その夢による予告機能は、物語の緊張感を促すことに貢献している。行単位で認められる対句法、語呂合わせ、周壁持つウルク・天なるシャマシュのような枕詞など、説話文学的な表現技法も認められる[49]。冒頭で触れたように、物語の1つ1つは元来シュメール語で成立したが、古バビロニア版が翻訳されるまで2人の友情関係は描かれていなかった。こうした改変の一種もまた、叙事詩を構成する上で貴重な役割を果たしたと言える。
主題
フンババ征伐に見る「勇気ある者の冒険譚[50]」であったり、『ギルガメシュとアッガ』から「英雄的行動の描出[51]」のように1つの説話からメインテーマを見出すこともできるが、全体を見通し様々な観点から叙事詩を俯瞰すると、以下のようなものを主題として見出すことが出来る[52]。
- 不死の追究
- 人生観を示しているという見方。「人は死から免れることは出来ない」と認識すること、すなわち人類の精神史における神話時代からの脱却と理性の目覚めを意味している、というもの[53]。
- 友情
- エンキドゥがギルガメシュの元から去ることで友情の限界を描きたかったわけではなく、友情の意義そのものを問いているという見方。2人の友情が永遠ではなくとも、異なる2つの魂の出会いという最古の友情物語であった、というもの[54]。
- シャマシュ信仰
- シャマシュ信仰に見る個人神崇拝の概念が、叙事詩に取り入れられたとする見方。ただし後代になるほど、シャマシュの個人神的性格は叙事詩内で希薄になっていった[55]。
- 主人公の精神遍歴
- フンババ征伐時の勇敢な英雄的信条、神格化の拒絶、死への恐怖、不死の追及と、ギルガメシュの精神は物語の進行とともに変化するが、最終的に何を感じ、思い、学び、その最期を迎えたのか、叙事詩は答えない[56]。読者に残す教訓は、上述のように「人は死すべき存在である」という生死観の在り方なのかもしれないが、ギルガメシュの不死希求が結果的に失敗に終わったからといって、その旅が無意味なものであったとは言えず、逆に新しい人生観を得たことによる日常への回帰でもなかった。「あらゆる苦難の道を歩んだ」主人公自身の軌跡こそ『ギルガメシュ叙事詩』が伝える事実であり、ギルガメシュという1人の英雄を築き上げた、というもの[56]。
なお、主題と言ってもそれらは初めから客観的に備わっているものではなく、あくまで叙事詩を読み解く可能性を探るためのものである。
注釈
- ^ ルガルバンダのような祖先神としての意味合いが強い守護神とは別に、個人を守護する「個人神」。古代メソポタミアでは、男児には誕生と同時に個人神があてがわれた。 月本(1996)pp.194,197,注p.18)
- ^ 王の務めである神殿の建設などによい資材は欠かせなかったが、古代の南部メソポタミアでは森が枯渇していた。
- ^ 当時のシュメール・アッカド地方の言葉で「護符」に当たる単語はなく、「アミュレット」と呼ばれていた。アミュレットは幸運をもたらしたり厄を払うとされる、守護力を持ったいわゆる"魔除け"のことである。自然素材や加工品などを用い、置物にしたり身に付けたりするが、アミュレットとは別に権力者であることを示す色石や貴金属なども護身に繋がると信じられ、身を飾ることは身を守ることと同義であった。 月本(2011)pp.16,104
- ^ 目的地は西方となっているが、一説には東方に位置するザグロス山脈にあたる地域でもあるとされている。 岡田・小林(2008)p.239
- ^ または13の風。 月本(1996) p.59
- ^ イシュタルの悪癖が明らかにされる貴重なシーンだが、このときギルガメシュが発した雑言の数々は、ほとんどが推定的な訳となっている。 矢島(1998)p.244
- ^ 讃えられるのはギルガメシュのみであり、それを本人が望んだ、という解釈もあり、そういったことから「友と平等に扱われなかった」としてエンキドゥが嘆く例もあるが(月本 p.p80,86 / pp.332-336)、2人が共に讃えられエンキドゥがギルガメシュに嫉妬するような描写も特に見当たらない書版も多い。
- ^ 普通、シュメールにおける地上の7大神は天神アヌ・風神エンリル・水神エアを筆頭に、月神シン・太陽神シャマシュ・金星神イシュタル・大地母神ニンフルサグを指すが、本件で集まったと確認できるのはアヌ・エンリル・エア・シャマシュの4名のみ。
- ^ 蜜(蜂蜜)はその特性から、古代文明の重要な儀礼で頻繁に使用されたことが知られている。
- ^ これは、大層な埋葬儀礼を施すことで死者が迷わず冥界へ赴けるように、の意。 月本(1996)p.101
- ^ アッカド語の「医術文書」に皮膚変色を患った者が快復した際の儀礼として、これと似たような叙述がある。曰く「患者は包帯を焼却し、太陽神シャマシュに蜜とバターの入った菓子らを供え、シャマシュの前に立ち、そして感謝する」。 月本(2011)p.35
- ^ マシュ(またはマーシュ)はアッカド語で双生児の意。ここではシャマシュが出入りする日の出の山のこと。 矢島(1998)p.192,月本(1996)p.328。
- ^ 2つの山の間は太陽(冥界を巡り日の出と共に現れるシャマシュ)が昇ってくる場所、つまり、マシュ山の麓が冥界に達していることを示している。 月本(1996)p.107
- ^ 樫の一種(月本 1996 p.295)
- ^ この、楽器(太鼓と撥)或いは遊具(フープ・ローリング)とされる(アッシリア学者ベンノ・ランズベルガーによる仮説)、エルラグ(プック)とエキドマ(メックー)は、ギルガメシュが作ったとも言われる。 岡田・小林(2008)p.244(器具名は月本1996 p.295による)
- ^ ギルガメシュは「(ウルクの守護神であり軍神でもある)イシュタルを信頼し、キシュに立ち向かう」ことを決心した。 杉(1978)p.40
- ^ ギルガメシュはかつて庇護を求めてアッガの元へ亡命し、アッガはそれを受け入れたという。 杉(1978)p.42
- ^ 歌の部分は矢島文夫の訳詩(筑摩世界文学大系Ⅰ 古代オリエント集)に、語りの部分は山室静の著書(児童世界文学全集 世界神話物語集)に基づいた作品。
- ^ 1982年に「出発の巻」が、1983年に「帰郷の巻」が、それぞれ関西学院グリークラブにより初演されたが、当時はそれぞれ「前編」「後編」と題されていた。
- ^ 1992年に、合唱/関西学院グリークラブ 指揮/北村協一 ナレーション/青島広志にて、東芝EMIよりCDが発売されている。
出典
- ^ a b c d 矢島(1998)p.10
- ^ 月本(1996)p.3
- ^ “ギルガメシュ叙事詩研究の第一人者に本当のギルガメシュ像について聞いてみた”. Pokke (2019年). 2020年4月12日閲覧。
- ^ Hay, Noelle. "Evolution of a sidekick," SFFWorld.com (2002).
- ^ George (2003). The Babylonian Gilgamesh Epic. Oxford University Press
- ^ a b 月本(1996)p.283
- ^ 矢島(1998)p.145
- ^ 矢島(1998)pp.138-144
- ^ 月本昭男 (1996). ギルガメシュ叙事詩. 岩波書店
- ^ a b c d e f g 岡田・小林(2008)p.224
- ^ A. George, The Babylonian Gilgamesh Epic, 2003
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- ^ 矢島(1998)p.117
- ^ 矢島(1998)p.128
- ^ A. George (2014). “Back to the Ceder Forest”. Journal of Cuneiform Studies 66: 69–90.
- ^ 渡辺和子 (2016). “『ギルガメシュ叙事詩』の新文書―フンババの森と人間”. 『死生学年報2016』: 167-180.
- ^ 矢島(1998)p.238
- ^ 矢島(1998)pp.194-195
- ^ 矢島(1998) pp.156,189
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- ^ 松村(2015)p.233
- ^ 三笠宮(2000)p.248
- ^ 松村(2015)p.217
- ^ 月本(1996)p.35
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- ^ 前田(2003)pp.138-144
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- ^ 矢島(1998)p.199
- ^ 金子(1990)p.39
- ^ 前田(2003)p.141
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- ^ 矢島(1998)p.198
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- ^ 月本(1996)p.332
- ^ a b 月本(1996)pp.338-339
- ^ 月本(2011)p.63
- ^ 岡田・小林(2008)p.iii
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