カナダ 概要

カナダ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/09 14:04 UTC 版)

概要

現在のカナダには、ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸の植民地化以前に、アメリカ先住民諸族が居住していた(「ファースト・ネーション」「イヌイット」参照)。近代国家の萌芽は、英仏両国による植民地化で始まった(英領アメリカおよびヌーヴェル・フランス)。フレンチ・インディアン戦争で敗れたフランスは北米植民地をほぼ手放し、カナダは1763年からイギリス帝国に包括された。

1867年の連邦化をきっかけに独立が進み、1931年にウエストミンスター憲章で承認され、1982年憲法制定をもって政体が安定した[5]。現在、政体は連邦制をとり、連邦政府の運営は首相を中心に行われている。

現在のカナダは、一連の過程においてアメリカ合衆国と政治、経済両面での関係が深まっている。

象徴

カナダ議会平和の塔英語版に設置されているビーバーの像[6]
に彫られている4つの花は、それぞれの民族を表しており、右下からフルール・ド・リスフランス人アザミスコットランド人シャムロック:アイルランド人リーキウェールズ人 の順になっている。

カナダにおける国家の象徴は、国の地理、寒い気候、国民の生活およびヨーロッパの伝統的観念と先住民の象徴のカナダ化を強調したものとなっている[7]。また、自然、開拓者、猟師、商人などの観念は、初期の象徴主義の発展において重要な役割を果たしている[8]

国名

1982年憲法が制定される前には複数の名称が存在したが、現在は公用語英語フランス語の双方で「Canada」のみが公式名と定められている[9]

日本国政府による公式名は「カナダ[4]日本における漢字表記は「加奈陀」(当て字)であり、「」と略される。中国語における表記は「加拿大」。国名は、1535年フランス王国の探検家ジャック・カルティエセントローレンス川流域に達した際に聞いたイロコイ族の「村」または「集落」を意味する語「カナタ(kanata)」を地名と誤認したというのが一般的定説とされている[10]連邦制を強調するため、「カナダ連邦」「カナダ連邦政府」などの呼称が使われることもある。

1867年に連邦制をとる一つの地域が確立されるにあたり、君主制を強調するため国号はカナダ王国Kingdom of Canada)とすることも検討されていた[11][12]が、本国イギリス植民地省が反対し、1867年の英領北アメリカ法ではカナダ自治領(Dominion of Canada)と言う国号が使用され、1931年のウェストミンスター憲章制定(独立国家とあまり相違のない高度な自治権が確立された)後も1951年まで「自治領」(Dominion)という言葉が使われる慣習が残っていた[13][14]。1982年憲法では国名を「カナダ」として表記している。

カナダで使用される諸言語による国名

歴史

ファースト・ネーション(先住民)やイヌイットの言い伝えでは、先住民たちは時の始まりからこの地に住んでいたとある。一方、考古学的研究では北部ユーコン準州に26500年前、南部オンタリオ州には9500年前に人類がいたことが示されている[15][16]

19世紀まで毛皮貿易はカナダで最も重要な産業だった。毛皮貿易路の支配をめぐってフランスとイロコイ族の戦争が起こっている。19世紀の初めには材木業が毛皮貿易よりも重要になった。

ヨーロッパ人の到来は西暦1000年ヴァイキングランス・オ・メドーに居住したのが初めてであるが、この植民地は短期間で放棄されている。

1497年にイタリア人のジョヴァンニ・カボト(ジョン・カボット)がイングランドのために大西洋側を探検し[17]1534年にはフランスのジャック・カルティエがこれに続いた[18]

1603年に到着したフランスの探検家サミュエル・ド・シャンプランは、1605年に初めてのヨーロッパ人定住地をポート・ロワイヤル(現:ノバスコシア州アナポリスロイヤル)に築き、1608年にはケベックを建てた。これらはのちに、それぞれアカディアと、カナダの首都となった。

ヌーヴェル・フランスの植民地の中ではカナダ人(Canadiens:フランス系カナダ人)はセント・ローレンス川流域に、アカディア人は現在の沿岸諸州に集中的に居住している。フランス人の毛皮商人とカトリック教会宣教師たちは五大湖ハドソン湾ミシシッピー川流域からルイジアナを探検した。イングランドは1610年ニューファンドランド島に漁業基地を設け、南部(現在のアメリカ合衆国領)に13植民地を築いた。

1670年、ハドソン湾会社が設立された。毛皮の倉庫証券は通貨としても使われた。1689年1763年に一連の北米植民地戦争が起こり、その結果、ユトレヒト条約1713年)でノバスコシア英国の支配下となる。七年戦争フレンチ・インディアン戦争)のパリ条約で、カナダとヌーベルフランスの大部分がフランスからイギリスへ割譲された。

1763年宣言ケベックをヌーベルフランスから分離し、ケープ・ブレトン島ノバスコシアに加えた。これはまた、フランス系カナダ人の言語と信仰の自由を制限した。1769年にセント・ジョンズ島(現:プリンス・エドワード・アイランド州)が独立した植民地となった。ケベックでの紛争を避けるため、1774年ケベック法が制定され、ケベックの領域が五大湖からオハイオ川まで拡大され、ケベックにおいてはフランス語とカトリック信仰、フランス法が許された。これは13植民地の多くの住民を怒らせることになり、アメリカ合衆国の独立への動因となった[19]アメリカ独立戦争の講和条約である1783年のパリ条約によってアメリカの独立は承認され、五大湖南部がアメリカへ割譲された。戦後におよそ5万人の王党派がアメリカからカナダへ逃れている[20]。一部の王党派のために沿岸諸州のニューブランズウィックがノバスコシアから分割された。ケベックの英語話者王党派のために1791年法が制定され、フランス語圏のローワー・カナダと英語圏のアッパー・カナダがそれぞれ独自の議会を持った。この分断策は1837年にローワーとアッパーの両方で反乱が起きて無意味となった。

『連邦の父たち』(ロバート・ハリス画)。シャーロットタウン会議ケベック会議の場面を混合して描いている。カナダの連邦化(コンフェデレーション)は鉄道債務を連邦政府に肩代わりさせた(詳細)。

アッパーおよびローワー・カナダは米英戦争(1812年戦争)の主戦場となった。カナダ防衛は英国系北アメリカ人に一体感をもたらした。穀物法制定(1815年)と人身保護法廃止(1816年)により、英国とアイルランドからの大規模な移民が始まった。

1837年に責任政府を求める反乱が起こった。時のカナダ総督である初代ダラム伯爵ジョン・ラムトン本国政府に対して、叛乱に対するダラム報告を行った。その報告では責任政府とフランス系カナダ人の英国文化への同化政策が勧告された[21]。また同時に、「カナダ植民地の統治を行う者たちが国王の名代たる総督ではなく、植民地人の代表たる(カナダ)議会に責任を負う権利を(カナダ責任政府は)持つようにするべきだ」と提言した[22]。同報告はあわせて、「隣国のアメリカ合衆国が州同士の関係性として連邦制を持ち込んだことは理にかなっていた」という先駆的な示唆も行っている[22]

この報告に基づいて1840年憲法により、アッパーおよびローワー・カナダはカナダ連合に合併した。議会においては、フランス系および英国系カナダ人はともにフランス系カナダ人の権利の復活のために努力した。1849年、英領北アメリカ植民地全土に責任政府が設置された[23][24]

1846年に英国と米国によるオレゴン条約が結ばれ、オレゴン境界紛争が終結した。これによってカナダは北緯49度線に沿って西へ境界を広げ、バンクーバー・アイランド植民地1849年)とブリティッシュコロンビア植民地1858年)への道を拓いた。カナダの北西にはロシア領アメリカがあったが、アメリカ合衆国によるアラスカ購入(1867年)で南北ともにアメリカが隣国となった。

ニューファンドランドには大西洋横断電信ケーブルが敷設され、西方でゴールドラッシュが起きたことなどからカナダの人口が増えていった。一方で、フランス系カナダ人がニューイングランドへ流れ出た。

フェニアン襲撃に対応しながら憲政会議を重ね(写真参照)、1867年7月1日1867年憲法法が採択された。オンタリオケベックノヴァスコシアニューブランズウィックが統合され、「カナダの名の下のひとつの自治領」である連邦が作られた[25] 。カナダはルパート・ランドと北西地域を合わせたノースウエスト準州を統治することが前提とされた。この地では不満を抱いたメティ(フランス系と先住民の混血)によるレッド・リヴァーの反乱が起こり、1870年7月にマニトバ州が作られた。ブリティッシュコロンビア植民地とバンクーバーアイランド植民地(1866年に合併)は1871年に、プリンスエドワードアイランド植民地は1873年に、連邦へそれぞれ加入した。

カナダ連邦以降の州と準州の拡大を示した動画地図

保守党ジョン・A・マクドナルド首相 は、萌芽期のカナダ産業を守るための関税政策を制定した。西部を開拓するため、政府はカナダ太平洋鉄道を含む3本の大陸横断鉄道を助成した。自治領土地法により開拓者のために大平原が解放され、この地域の治安維持のために北西騎馬警察が設立された。1898年、ノースウェスト準州でのクロンダイク・ゴールドラッシュの後、政府はユーコン準州を設置した。自由党ウィルフリッド・ローリエ政権下ではヨーロッパ大陸からの移民が大平原に定住し、アルバータサスカチュワン1905年に州に昇格している。

1914年第一次世界大戦が勃発。英国の対独宣戦布告に伴い、カナダも自動的に参戦することになり、志願兵からなるカナダ海外派遣軍西部戦線へ送り込んだ。彼らはのちにカナダ軍団の一部となり、パッシェンデールの戦いなどで重要な役割を果たしている。1917年には、保守党のロバート・ボーデン首相がフランス語圏ケベックの住民たちの反対にもかかわらず徴兵制を導入し、徴兵危機が起こっている。

第一次世界大戦は英仏やカナダなど連合国の勝利で終わり、1919年にカナダは英国とは別個に国際連盟へ加盟した。この時期はヴィクター・キャヴェンディッシュが総督であった。

1940年、ニューウエストミンスター市内を行進するブリティッシュコロンビア連隊に近づく少年(『待ってよ、パパ』)

1931年ウエストミンスター憲章によりカナダの独立が承認された。その後、1930年代の大恐慌にカナダ国民は大いに苦しめられた。

1939年第二次世界大戦が始まり、カナダは再び英国側で参戦。欧州では西部戦線バトル・オブ・ブリテンイタリア戦線などに派兵した。太平洋戦争が起きると米国とともにアリューシャン方面の戦い日本軍への攻勢に加わり、日系カナダ人を抑留した。

1945年の終戦後にカナダは国際連合の原加盟国となり、ソビエト連邦との冷戦では米英などとともに北大西洋条約機構(NATO)を構成して西側諸国の一翼を担った。

1960年、カナダ権利章典が制定された。これは州の同意が得られなかったため連邦権限の範囲で運用された。1965年に現在のサトウカエデの葉国旗が採用・掲揚された。1969年には2か国語公用語が実施された。1971年には多文化主義が宣言されている。ケベックでは近代からナショナリスト運動 (Quebec nationalism) が続いており、1960年代の経済改革(静かなる革命)につながった[26]1970年に運動がエスカレートしてケベック解放戦線オクトーバー・クライシスを引き起こした。このころから1982年のカナダ憲法制定にかけて、首相のピエール・トルドーが連邦の一体化を強力に推進した。

2021年カナダ総選挙前、カナダ自由党は下院の第1党であったが、過半数の議席を有しなかった。2021年カナダ総選挙の結果、カナダ自由党のその地位は変わらなかった[27]


注釈

  1. ^ アイスホッケーは冬季の国技。夏季の国技はラクロスである

出典

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