オランダ黄金時代の絵画 歴史画

オランダ黄金時代の絵画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/16 07:50 UTC 版)

歴史画

ダナエーヤーコブ・ファン・ロー (1655-1660年頃) Kremer Collection レンブラントにも同名の絵画がある

歴史画の定義には過去の歴史的事件を描いた絵画だけではなく、聖書、神話、文学を主題としたもの、寓意画も含まれる。近年の歴史的事件を扱った絵画は歴史画のカテゴリではなく、海洋、風景、都市景観と肖像画の組み合わせた写実画として分類される[10]。当時のオランダでは歴史、聖書の劇的な場面を描いた大きな絵画は諸外国に比べるとほとんど描かれなかった。各地の教会からの注文がなかったことや、大きな絵画を収容可能な裕福な貴族階級の邸宅が少なかったことに因る。さらに主要な都市での宗教改革と、八十年戦争によるスペイン・ハプスブルク家に対する反感が芸術の方向性を写実主義に向かわせ、壮大に飾り立てられた大きな絵画に対する忌避感となって現れた[11]。版画分野では歴史を扱った作品は比較的よく制作されていたが、絵画分野では歴史画は「少数派」となっていった[12]

他のジャンルに比べると、オランダの歴史画家はイタリアの影響を受け続けていた。イタリア名画の版画や模写が広く流通しており、それらを通じてイタリアの作風が定着していた。オランダ絵画における光の表現技術は、イタリアバロックの巨匠カラヴァッジョのようなイタリア人画家の影響を受け、それを発展させて向上した。イタリアで修業したものもいたが、隣国フランドルに比べると少なくて、当時ローマにあったオランダ人とフランドル人の「互助会(Bentvueghels 蘭語で"羽の鳥"の意)」会員名簿を見ても明らかである。レンブラント、フェルメール、ハルス、ステーン、ヤーコプ・ファン・ロイスダールら、当時を代表する巨匠が訪伊していないことは注目に値する[6]

アブラハム・ブルーマールトヨアヒム・ウテワールら多くの北方マニエリスム(Northern Mannerism)派の芸術家が、前世紀まで継続したスタイルで1630年代は活動していた[13]。ローマ在住のドイツ人画家アダム・エルスハイマーの作品の多くは歴史画の小品だったが、カラヴァッジョと同等の影響をレンブラントの師ピーテル・ラストマンヤンヤーコブピナス兄弟に与えた。他国のバロック様式の歴史画と比べるとオランダの写実主義や物語の直接性を重視する点が共通しており、レンブラントの初期の絵画がこのスタイルであったことから「前レンブラント派」と呼ばれることもある[14]

『キリストの荊冠』ディルク・ファン・バビューレン (1623年) ユトレヒトの修道院のために描かれたユトレヒト・カラヴァッジョ派の作品で、一般市場向けに描かれたものではない

ユトレヒト近辺に在住し、カラヴァッジョの影響を強く受けた画家たちをさす「ユトレヒト・カラヴァッジョ派(Utrechtse caravaggisten)」は、歴史画と大型の風俗画の両方をイタリアの影響を受けたスタイルで制作し、しばしば非常に強い「明暗法(キアロスクーロ)」を多用した。ネーデルラント連邦共和国の成立まではオランダ第一の都市だったユトレヒトは、他の都市とは異なり17世紀半ばまでカトリック教徒が40%程度を占めていた。地方領主など上流階級には更に多くのカトリック教徒がいた[15]。主要な画家はヘンドリック・テル・ブルッヘンヘラルト・ファン・ホントホルストディルク・ファン・バビューレンらで、1630年ごろまでこの流派の活動は続いた。ファン・ホントホルストは1650年代まで、より古典的なスタイルでイングランド、ネーデルラント連邦共和国、デンマークの宮廷画家として成功し続けた[16]

レンブラントは、肖像画家として経済的成功を収める前に歴史画家としてスタートしており、歴史画家としての大望を決して諦めなかった。彼の銅版画の多くは物語的な宗教場面だったが、最後の歴史画『クラウディウス・キウィリスの謀議』(1661年)をアムステルダム市議会から受注した際の逸話は彼の形式に対する拘りと鑑賞者の理解を得る事の両立は困難だったとする[17]。レンブラントの作風を継ぐ弟子の中には歴史画で成功した者もおり、ホーファールト・フリンクが第一人者だった。ヘラルト・デ・ライレッセも、フランス古典主義の影響を強く受け、芸術家としても理論家としてもオランダを代表する提唱者となった(1665年にレンブラントはヘラルト・デ・ライレッセの肖像画を描いている) [18]

裸体画は事実上歴史画家にしか描くことを許されなかったが、多くの肖像画家はレンブラントがしたように時折見せる裸体画(ほとんどいつも女性)に古典的な題名を付けていた。奔放な暗示性にもかかわらず、風俗画家が娼婦や「イタリア」の農婦を描くとき、大らかな胸の谷間や太腿の過度な露出は滅多になかった。


注釈

  1. ^ 1702年がオランダ黄金時代の終焉だとする説がある:Slive はオランダ黄金時代を1600年 - 1675年と1675年 - 1800年に分けて著述している[1]
  2. ^ 日本で「オランダ絵画」と呼称される絵画は、この時代に描かれたものをさすことが一般的である。
  3. ^ 現存しているのはそのうちの1%程度で、価値ある絵画は10%程度だった(Lloyd, 15)
  4. ^ MacLaren によると、ヤン・ステーンは宿屋を経営し、アルベルト・カイプは裕福な家庭から妻を迎えたため経済的な心配はなかった。一方カレル・デュジャルディンは画家として生計を立てるのを諦めたとされる
  5. ^ ソフィアの父Elias Trip(VOC取締役)の2人目の妻である母Alithea Adriaensdochter、妹マリア・トリップ(1619-1683)[21]をレンブラントが肖像画に描いている[22]
  6. ^ クラースは光の反射の表現にすぐれていたことで有名だった。
  7. ^ 娼婦を買うためのコインであり、この絵画が売春宿の情景であることを意味している。

出典

  1. ^ Slive, 296, 294, 32
  2. ^ Fuchs, 104
  3. ^ Franits, 217 and ff. on 1672 and its effects.
  4. ^ Prak, 241
  5. ^ Lloyd, 97
  6. ^ a b Fuchs, 43
  7. ^ Franits' book is largely organized by city and by period; Slive by subject categories
  8. ^ Fuchs, 76
  9. ^ See Slive, 296-7 and elsewhere
  10. ^ Fuchs,107
  11. ^ Fuchs, 62, R.H. Wilenski, Dutch Painting, "Prologue" pp. 27-43, 1945, Faber, London
  12. ^ Fuchs, 62-3
  13. ^ Slive, 13-14
  14. ^ Fuchs, 62-69
  15. ^ Franits, 65. Catholic 17th century Dutch artists included Abraham Bloemaert and Gerard van Honthorst from Utrecht, and Jan Steen, Paulus Bor, Jacob van Velsen, plus Johannes Vermeer who probably converted at his marriage. Jacob Jordaens was among Flemish Protestant artists.
  16. ^ Slive, 22-4
  17. ^ Fuchs, 69-77
  18. ^ Fuchs, 77-78
  19. ^ Ekkart, 130 and 114.
  20. ^ "Sold in july 2008 by Sotheby's for 8,8 milj. euro".
  21. ^ 歴史家Isabella Henriette van Eeghenのレンブラント研究がBalthasar Coymansの妻の肖像画であるとした(1956年)。
  22. ^ トリプ家系図
  23. ^ Ekkart, 17 n.1 (on p. 228).
  24. ^ Shawe-Taylor, 22-23, 32-33 on portraits, quotation from 33
  25. ^ Ekkart, 118
  26. ^ Ekkart (Marike de Winkel essay), 68-69
  27. ^ Ekkart (Marike de Winkel essay), 66-68
  28. ^ Ekkart (Marike de Winkel essay), 69-71
  29. ^ Ekkart (Marike de Winkel essay), 72-73
  30. ^ BS朝日 - 世界の名画 ~美の迷宮への旅~”. archives.bs-asahi.co.jp. 2024年1月14日閲覧。
  31. ^ Fuchs, 42 and Slive, 123
  32. ^ Franits, 1, mentioning costume in works by the Utrecht Caravagggisti, and architectural settings, as especially prone to abandon accurate depiction.
  33. ^ Franits, 4-6 summarizes the debate, for which Svetlana Alpers' The Art of Describing (1983) is an important work (though see Slive's terse comment on p. 344). See also Franits, 20-21 on paintings being understood differently by contemporary individuals, and his p.24
  34. ^ On Diderot's Art Criticism. Mira Friedman.p. 36
  35. ^ Fuchs, 39-42, analyses two comparable scenes by Steen and Dou, and p. 46.
  36. ^ Franits, 24-27
  37. ^ Franits, 34-43. Presumably these are intended to imply houses abandoned by Catholic gentry who had fled south in the Eighty Years War. His self-portrait shows him, equally implausibly, working in just such a setting.
  38. ^ Fuchs, 80
  39. ^ Franits, 164-6.
  40. ^ MacLaren, 227
  41. ^ Franits, 152-6. Schama, 455-460 discusses the general preoccupation with maidservants, "the most dangerous women of all" (p. 455). See also Franits, 118-119 and 166 on servants.
  42. ^ Slive, 189 – the study is by H.-U. Beck (1991)
  43. ^ Slive, 190 (quote), 195-202
  44. ^ Derived from works by Allart van Everdingen who, unlike Ruysdael, had visited Norway, in 1644. Slive, 203
  45. ^ a b Slive, 225
  46. ^ Rembrandt owned seven Seghers; after a recent fire only 11 are now thought to survive – how many of Rembrandt's remain is unclear.
  47. ^ Slive, 268-273
  48. ^ Slive, 273-6
  49. ^ Slive, 213-216
  50. ^ Slive, 279-281. Fuchs, 109
  51. ^ Fuchs, 113-6
  52. ^ and only a few others, see Slive, 128, 320-321 and index, and Schama, 414. The outstanding woman artist of the age was Judith Leyster. Other female artists are described here
  53. ^ Fuchs, 111-112. Slive, 279-281, also covering unseasonal and recurring blooms.
  54. ^ Slive, 212
  55. ^ See Reitlinger, 11-15, 23-4, and passim, and listings for individual artists
  56. ^ See Reitlinger, 483-4, and passim
  57. ^ Slive, 319
  58. ^ Slive, 191-2
  59. ^ Slive, 144 (Vermeer), 41-2 (Hals), 173 (Steen)
  60. ^ Slive, 158-160 (coin quote), and Fuchs, 147-8, who uses the title Brothel Scene. Franits, 146-7, citing Alison Kettering, says there is "deliberate vagueness" as to the subject, and still uses the title Paternal Admonition.
  61. ^ Reitlinger, I, 11-15. Quote p.13





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「オランダ黄金時代の絵画」の関連用語

オランダ黄金時代の絵画のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



オランダ黄金時代の絵画のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのオランダ黄金時代の絵画 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS