エリザベス朝 絵画芸術

エリザベス朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/26 06:52 UTC 版)

絵画芸術

イングランドにルネサンスが到来したのは、イタリアを初めとするヨーロッパ大陸諸国に比べると遅かったといわれる。テューダー朝とステュアート朝における絵画芸術は、ヘンリー8世の宮廷画家ハンス・ホルバインからチャールズ1世の宮廷画家ヴァン・ダイクに至るまで、外国から招いた才能ある芸術家の手によるものだった。

このように総括されるとはいえ、国内にも優れた絵画が育ち始めていた。エリザベス1世の時代、国内の画家として最も広く認知されているのが、女王の宮廷画家兼金細工師だったニコラス・ヒリアード(1547年頃 - 1619年)である。また、ジョージ・ガワー英語版(1540年 - 1596年)も作品やその生涯が判明するにつれ、評価と注目を集めるようになってきた[9]

スポーツや娯楽

エリザベス朝には多種多様なスポーツや娯楽があった。

祝宴(Feasts)
大勢の客人を招いた大規模で豪勢な宴。宮廷の娯楽として催されたり、宗教的な祝い事に催されることも多かった。
宴会(Banquets)
特別な客人をもてなすための正式の夕食会。
博覧会
毎年夏に開かれる博覧会は卑猥に乱れることもあった。
演劇
演劇は、初めは町の広場で上演されていたが、食堂や宿屋の中庭を使うようになり、やがて最初の劇場も作られた(ローマのコロセウムと同じような屋根の無い巨大な円形演技場)。その後、プレイハウスと呼ばれる屋内の劇場も導入された。
秘跡演劇
聖書の話を再現する演劇
祝祭
教会の祭礼を祝う祭り
馬上槍試合
騎士同士が馬上槍試合を行う大会
競技やスポーツ
アーチェリーボウリングトランプサイコロハンマー投げ、棒術競技、輪投げスキットルレスリングなどがあった。
動物競技
熊争い、闘牛闘犬闘鶏などがあった。
狩猟
貴族のスポーツで、犬を使うことが多かった。
タカ狩
貴族がタカを使って行うスポーツ。

エリザベス朝の祭り、祝日、祝賀

エリザベス朝の頃は、仕事の無い日曜日でも、教会から帰るまで自由時間が取れなかった。だから人々は祝日を心待ちしていた。当時の祭りのほとんどは教会の聖祭日に関連していた。毎月それぞれの祝日があり、そのいくつかを下記に示す:

  • 公現祭1月6日)の後の最初の月曜日(Plough Monday):この日はクリスマス祭と新年を迎えた後、初めて仕事に戻ることを祝う。
  • 2月2日キャンドルマス。まだかなり寒いが、春の初日として祝われる。この日にはろうそくやたいまつを並べ、クリスマス飾りを燃やす。
  • 2月14日バレンタインデー
  • 3月3日 - 9日:肥沃な火曜日(マルディグラと呼ばれる)。この日には、若い奉公人達が町中を荒れ狂ったように走り回る。これによって四旬節に備えて町中の悪が一掃されると考えられている。肥沃な火曜日の翌日は灰の水曜日と呼ばれる。四旬節の初日で、いくつかの食べ物や飲み物を取ることが禁じられる。
  • 3月24日:聖母マリアの受胎告知の祝日。天使ガブリエル聖母マリアに受胎告知した日と言われる。家賃や給料を支払う年4回の節目の日のひとつ。冬休みに入っていた法廷が、この日に初めて召集される。
  • 4月1日エイプリルフール。いたずらや洒落、悪ふざけの日。道化師の記念日。
  • 5月1日メーデー。夏の初めの日として祝われる。数少ないキリスト教には関係ない記念日の一つで、ベルテンと呼ばれるケルト人の記念日が元となった。メイクイーン(5月の女王)と呼ばれる女性やグリーンマン(緑の男)と呼ばれる男性を選んだり、メイポール(5月の柱)と呼ばれる柱の周りを踊ったりする。
  • 6月21日夏至(キリスト教では洗礼者ヨハネの祝日)。支払いを行う年4回の節目の日の一つ。
  • 8月1日収穫祭。伝統的に8月の最初の日で、この日には教会にパンを献呈する。
  • 9月29日:聖ミカエル祭り。秋の最初の日と天使ミカエルを祝う。支払いを行う年4回の節目の日の一つ。
  • 10月25日:聖クリスピンの日。この祭りの日は、かがり火をたき、お酒を飲んで騒ぎながら、「クリスピン王」を選ぶ。シェイクスピアの戯曲『ヘンリー五世』でこの祭りに言及される。
  • 10月28日:ロード・メイヤー(ロンドン市長)のパレード。現在でもロンドンで行われている行事。
  • 10月31日ハロウィーン。死者の霊の儀式の初日。
  • 11月1日諸聖人の日。翌日が死者の日
  • 11月17日:エリザベス女王の王位継承の記念日。女王の死後も何十年か祝日として残った。
  • 12月24日クリスマスの12日間が、この日の日没と共に始って1月6日の公現祭まで続く。クリスマスは、支払いを行う年4回の節目の最後の日となる。

注釈

  1. ^ 『女王エリザベス』(The Private Lives of Elizabeth and Essex, 1939年)や『シー・ホーク』(The Sea Hawk, 1940年)など

出典

  1. ^ Britannica Online.
  2. ^ Melissa D. Aaron, Global Economics, Newark, DE, University of Delaware Press, 2005; p. 25.統治の後半の数十年間に、戦費の出費(1589年の艦隊とオランダ戦役)によって余剰金は失われた。1603年にエリザベスが亡くなったとき、イングランドは35万ポンドの負債を抱えていた。
  3. ^ Ann Jennalie Cook, The Privileged Playgoers of Shakespeare's London, 1576–1642, Princeton, NJ, Princeton University Press, 1981; pp. 49-96.
  4. ^ Christopher Hibbert, The Virgin Queen: Elizabeth I, Genius of the Golden Age, Reading, MA, Perseus, 1991.
  5. ^ George Macaulay Trevelyan, England Under the Stuarts, London, Methuen, 1949; p. 25.
  6. ^ Charles Mackay, Extraordinary Popular Delusions and the Madness of Crowds, London, Richard Bentley, 1841; reprinted New York, Farrar Straus & Giroux, 1974; pp. 462-564.
  7. ^ Alfred Hart, Shakespeare and the Homilies, Melbourne, 1934; reprinted New York, AMS Press, 1971.
  8. ^ Ann Jennalie Cook, Privileged Playgoers of Shakespeare's London, pp. 81-2..
  9. ^ Ellis Waterhouse, Painting in Britain 1530 to 1790, fourth edition, New York, Viking Penguin, 1978; pp. 34-9.






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