ウガンダ ウガンダの概要

ウガンダ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/13 14:57 UTC 版)

ウガンダ共和国
Republic of Uganda(英語)
Jamhuri ya Uganda(スワヒリ語)
ウガンダの国旗 Coat of arms of the Republic of Uganda.svg
国旗 国章
国の標語:For God and My Country
(英語: 神と我が国のために)
国歌Oh Uganda, Land of Beauty
ウガンダの位置
公用語 英語(第一)
スワヒリ語(第二)[1]
首都 カンパラ
最大の都市 カンパラ
政府
大統領 ヨウェリ・カグタ・ムセベニ
首相 ルハカナ・ルグンダ英語版
面積
総計 236,040km280位
水面積率 15.4%
人口
総計(2014年 34,856,813人(38位
人口密度 147人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 24兆6,475億[2]ウガンダ・シリング
GDP (MER)
合計(2008年 145億[2]ドル(109位
GDP (PPP)
合計(2008年 369億[2]ドル(80位
1人あたり 1,151[2]ドル
独立
 - 日付
イギリスより
1962年10月9日
通貨 ウガンダ・シリング (UGS)
時間帯 UTC +3(DST:なし)
ISO 3166-1 UG / UGA
ccTLD .ug
国際電話番号 256 1
註1: ケニアとタンザニアから掛ける場合は、006

ナイル川(白ナイル)の始まるヴィクトリア湖に接している。旧イギリス植民地。

国名

スワヒリ語での正式名称は、Jamhuri ya Uganda(ジャムフリ・ヤ・ウガンダ)、英語での正式名称は、Republic of Uganda(リパブリック・オヴ・ウガンダ或はユガンダ)。通称、Uganda

日本語の表記は、ウガンダ共和国。通称、ウガンダ漢字表記宇岸陀

「ウガンダ」の名はブガンダ王国のスワヒリ語名称にちなむ。

歴史

en:Bantu expansion

16世紀初頭、ブニョロブガンダアンコーレルワンダブルンディなどの大湖地方の諸王国が成立。17世紀中頃、ナルバーレ(ヴィクトリア湖)北西岸のブニョロ王国最盛期。19世紀中頃、ブガンダ王国ザンジバルとの交易で繁栄。

植民地時代

その後、カトリックプロテスタントムスリムの間で勢力争いがあり、その背景には、イギリスドイツ、フランスの権益争いがあった。1890年7月1日ヘルゴランド=ザンジバル条約締結によって、1894年イギリス領ウガンダ植民地英語版とされた。イギリスの植民地政策によるウガンダ鉄道敷設に英領インド人が投入されたことにより、インド系の移民がその後も増えていった[3]

独立

第二次世界大戦後、独立の気運が高まり、1962年10月9日英連邦王国の一員として独立した。翌1963年10月8日にイギリス総督に代わってブガンダのムテサ2世が大統領に就任し共和制へ移行。

オボテ政権(第1次)

1966年、首相のウガンダ人民会議ミルトン・オボテが大統領のムテサ2世を排除して終身大統領に就任し、社会主義路線を掲げた。

アミン政権

1971年1月に軍司令官イディ・アミンクーデターで政権を掌握、独裁政治を敷いた。相次ぐ恐怖政治で30万人以上に及ぶ国民が虐殺される。1978年タンザニアに侵攻したが、逆にタンザニア軍に首都のカンパラまで攻め込まれた(ウガンダ・タンザニア戦争)。

オボテ政権(第2次)

1979年、反体制派のウガンダ民族解放軍英語版 (UNLA) に攻撃されてアミンは失脚してサウジアラビア亡命し、大統領にはオボテが復帰した。

ムセベニ政権

LRAによる反乱の影響を受けた地域(2002年以降)

1981年にはウガンダ内戦英語版1981年 - 1986年)が始まり、その後も1985年1986年とクーデタが相次ぎ、ムセベニが権力を獲得しゲリラ闘争を行っていた国民抵抗軍が正規軍と置き換わった。

1987年アリス・アウマケニアに亡命し、ジョゼフ・コニー率いる神の抵抗軍 (LRA) に残存勢力が合流して強力な反政府勢力が登場した。

en:Lord's Resistance Army insurgency (1987–1994)

en:Lord's Resistance Army insurgency (1994–2002)

第二次コンゴ戦争1998年 - 2003年)。

en:Lord's Resistance Army insurgency (2002–2005)

2006年8月12日、ウガンダ政府と反政府武装組織「神の抵抗軍」 (LRA) との和平交渉は(en:2006–2008 Juba talks)、双方の戦闘行為停止に関する合意が出来ないまま14日まで休会されることになった。戦闘と敵対的宣伝の停止で合意している。26日、3週間以内にスーダン南部に設けられる2か所のキャンプに集結することで合意した。

2007年8月3日アルバート湖ホイマ県タロー石油)で石油探査中ヘリテージ・オイル社がコンゴと交戦し、両国が国境に軍隊を派遣。ヘリテージ・オイルは民間軍事会社エグゼクティブ・アウトカムズで共同経営者だったトニー・バッキンガム英語版の設立した紛争地帯専門の石油会社である。 2007年11月29日、ウガンダでエボラ出血熱が発生し、51人が感染し、16人が死亡した。新種のエボラウィルスである。

2008年12月14日から2009年3月15日まで、ウガンダと南スーダン自治政府、コンゴ民主共和国軍による神の抵抗軍に対するガランバ攻勢英語版が行われた。

2010年7月11日、ウガンダの首都カンパラソマリアの反政府軍勢力アル=シャバーブ(犯行声明を出した)による同時自爆テロが起き、W杯観戦中の73人が死亡した。政府は、16日、現在ソマリアにアフリカ連合 (AU) ソマリア派遣団 (AMISOM) ウガンダ部隊2500人に2000人増派する方針を明らかにした。これに対し従来から派兵を批判してきた野党は、「軍事冒険主義が恐ろしい結末を招いた」と批判を強めている。




  1. ^ THE CONSTITUTION (AMENDMENT)ACT, 2005(ウガンダ2005年憲法)
  2. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  3. ^ 東アフリカにおける南アジア系移民関谷雄一、青山学院女子短期大学総合文化研究所年報 (17), 141-165, 2010-03
  4. ^ 斎藤文彦「地方行政と開発」/ 吉田昌夫・白石壮一郎編著『ウガンダを知るための53章』 明石書店 2012年 93-94ページ
  5. ^ 吉田昌夫・白石壮一郎編著『ウガンダを知るための53章』 明石書店 2012年 18ページ
  6. ^ プランテーション方式で生産されるのではなく、土着の農民が生産し、その生産物を買い付け業者が買い、輸出するという方式である。吉田昌夫「小農輸出経済の形成」/ 吉田昌夫・白石壮一郎編著『ウガンダを知るための53章』 明石書店 2012年 99ページ
  7. ^ 外務省 ウガンダ基礎データ
  8. ^ 外務省 ウガンダ基礎データ
  9. ^ 富と権力求め子どもをいけにえに、ウガンダで横行する呪術殺人 APF日本語版 2015年06月19日 13:50
  10. ^ 選挙と呪術、タンザニアでおびえ暮らすアルビノの人々 APF日本語版 2015年05月01日 17:02
  11. ^ 吉田昌夫・白石壮一郎編著『ウガンダを知るための53章』 明石書店 2012年 15ページ
  12. ^ ウガンダで女性のミニスカ着用禁止法可決 nikkansprots.com 2013年12月21日15時46分


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