アール・ヌーヴォー
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家具調度
アール・ヌーヴォーの家具の概念は職人仕事を再生させた。アール・ヌーヴォーは制作者個々人によるスタイルであり、それは職人の仕事を中心に据え機械仕事からは距離を置くものであった。室内装飾の領域での大きな革新は統一性の探求にあった。とはいえ、アール・ヌーヴォーも伝統的な様式と無縁というわけではなく、とりわけゴシック、ロココ、バロックなどの影響を残していた。ゴシックから理論的なモデルを、ロココなどから非対称性の応用を、バロックからはフォルムの造形的な概念を引き継いでいる。日本の彩色芸術もまた、その立体感の極めて平面的な扱いによって、ギリシャ式オーダーの対称性への隷属からアール・ヌーヴォーが解放されるのに貢献した(ジャポニスム)。
木は奇妙な形となり、金属は自然の流れの交錯を模倣して曲りくねった形となった。実際に、アール・ヌーヴォーは自然の観察に大いに基づいており、それは装飾のみならず、見方によっては構造的な部分にまで及んでいた。命を持つ、官能的な波打つ線が構造部分にまで行き渡り支配していた。椅子やテーブルは素材の中で特徴的なしなやかさに形作られていた。それが可能なあらゆる箇所で、直線は禁じられ、構造上の分かれ目は連続した曲線と動線のために隠されていた。アール・ヌーヴォーの最も優れた作品は、その際立った線のリズムにより、18世紀の高級家具にも似た調和を見せていた。
フランスでは、アール・ヌーヴォーは2つの派に分かれていた。一方はサミュエル・ビングとその店を中心としたパリ、もう一方はエミール・ガレ(1846-1904)に率いられたナンシーのそれである。ロココとアール・ヌーヴォーの類縁性が最も説得力を持つのはナンシーの方であった。それほど魅惑的ではないが、当時最も名を知られていた芸術家の1人であったルイ・マジョレル(1859-1926)が間違いなくナンシーのアール・ヌーヴォーの2番目の先導者であった。ガレは植物から象徴的な文学の銘に至るまでの幅広いモチーフの象嵌細工を得意とした。この巨匠の作品に典型的に見られるのが構造的な要素が幹や枝から末では花となって終わる変容である。ナンシー派とは対照的に、パリのアール・ヌーヴォーはより軽快で洗練された簡素なものであった。自然から着想されたモチーフはより大まかに様式化され、場合によっては半抽象化までされており、副次的なものとなっているように見える。
- ^ [1] 2024年2月13日閲覧
- ^ 上田篤、田端修『路地研究 もうひとつの都市の広場』鹿島出版会、2013年、182頁。ISBN 978-4-306-09423-9。
- ^ 谷克二『ブリュッセル歴史散歩 中世から続くヨーロッパの十字路』日経BP企画、2009年、219頁。ISBN 978-4-86130-422-4。
- ^ 『世界の美しい階段』エクスナレッジ、2015年、134頁。ISBN 978-4-7678-2042-2。
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