あめつちの詞
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参考文献
- 伴信友『比古婆衣』日本随筆大成刊行会〈『日本随筆大成』第二期巻七〉、1928年。
- 橋本不美男 編『順集』新典社〈『御所本三十六人集』23〉、1970年。 ※影印本
- 小松英雄『いろはうた 日本語史へのいざない』中央公論社〈中公新書558〉、1979年。ISBN 4121005589。(講談社学術文庫、2009年。ISBN 9784062919418)
- 河野多麻校注『宇津保物語(三)』岩波書店〈『日本古典文学大系』12〉、1988年。ISBN 4000600125。
注釈
- ^ 『源順集』にはほかにも「双六の歌」、「碁盤の歌」というものがあり、これはそれぞれ双六盤や碁盤の形に和歌を並べて詠むという、一種のクロスワードパズルのようなものである。その中の「あめつちの歌」というのは「あめつちの詞」を詠み込んだ和歌ということであり、あめつちの詞が当時「あめつちの歌」と呼ばれていたわけではない。
- ^ この末尾の「あ」とは畔(あぜ)のことで、「あぜ」の古い語形。
- ^ 以上本文は御所本『順集』に拠る。
- ^ 源順が編纂した『和名類聚抄』には「硫黄」の項目にその注として、「硫黄」の和名を「由乃阿和」(ゆのあわ)、俗に「ユワウ」と呼ぶと記されており、これにより「ゆわ」とは硫黄の事とされている。硫黄を「ユワウ」というのは、日本語には本来語頭にラ行の音を持つ言葉が存在せず、古代日本において漢語「硫黄」が入ってきたとき、「リウワウ」と発音することができずにこのように変化したもので、現在でもこの語を「いおう」と読むのはその名残である。『いろはうた』(中公新書、1979年)104頁参照。
- ^ 大矢透は「おふせよ」以下を「生育(おふ)せよ 榎の枝を 馴れ居て」と解釈しているが、中田祝夫は「負ふ 背よ 良箆(えの) 愛男(えを) 汝(なれ) 偃(ゐて)」としており、他にも「えの」は「江野」、「ゐて」は「率て」ではないかという意見もあり(馬渕和夫)、この部分に確たる解釈はない。『いろはうた』(中公新書、1979年)106頁参照。
- ^ 御所本『順集』より。
- えもいはで こひのみわたる わがみかな いつとやいそに おふるまつがえ
- えもわかぬ なみだのかはの はてはてや しゐてこひしき やまひつくまえ
- ^ 「洞物語〔国禅ノ巻〕に仲忠の書て孫王に奉れる御手本の書ざまをいへるところに、春の詩夏の詩あめつちとみえたるも、此あめつちの文の事なるべし。〔割註〕但しこの物語本ども、あめつちの下に、その字一つ衍(アマ)れり。或校本になきぞよき、本書をよくよみわきまへて知べし」(伴信友『比古婆衣』巻之四、「安米都知誦文考」)。大矢透も『音図及手習詞歌考』でこの「安米都知誦文考」について触れ、『宇津保物語』の「国譲」の巻から本文を引用し、あめつちの詞が手習いに用いられたとしている。
- ^ 『日本古典文学大系』12の『宇津保物語』の校異によれば、あめつちの詞を指すとされる箇所は伝本によって「あめつちそ」、「あつめつちそ」、「あつめかきて」などとある。また「あめつちそ」とあるのが本来だと見なしても、末尾の「そ」が何なのか定かではない。これを助詞の「ぞ」と見て「あめつちぞ」とする解釈もあるが、原文での言葉の使い方において問題が残る。上記『比古婆衣』の「あめつちの下に、その字一つ衍れり」というのは、「あめつちそ」のあとに続く文章が「そのつぎに…」なので、これは「そのつぎ」の「そ」の字を誤って二度書き写してしまったものであり、「あめつち」とするのが本来だということである。「あめつちほしそ」とあったのが、「ほし」を書き落として「あめつちそ」になったのではないかとする見方もある。『宇津保物語 三』(『日本古典文学大系』12)545 -546頁、『いろはうた』(中公新書、1979年)108 - 109頁参照。
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