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 「既存顧客に新社名が浸透してきた」。2022年5月6日に開いた決算会見において、BIPROGY(ビプロジー)の斉藤昇代表取締役兼専務執行役員CMO(最高マーケティング責任者)はこう語った。

 2022年3月期を締めたところで売上収益3176億円、グループ社員8068人と日本IT産業の一角を成す同社が日本ユニシスからBIPROGYに社名を変えたのは、つい1カ月前の4月1日のこと。日本ユニシスを名乗っていた期間は1988年4月から実に34年間に及んだ。それに対し、新社名の周知期間は2021年5月7日からの1年足らずなので、記者の周りのIT関係者には「知らなかった」という人もいまだにいる。

本社ビル前に置かれた新社名のロゴ
本社ビル前に置かれた新社名のロゴ
(撮影:日経クロステック)
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 日本の大手ITベンダーで、M&A(合併・買収)や事業売却を伴わず、ここまで旧社名を断ち切って新社名に変えるケースは類を見ない。大手ではかつて伊藤忠テクノサイエンスとCRCソリューションズが経営統合し、伊藤忠テクノソリューションズとなったが、略称のCTCは伊藤忠テクノサイエンスと同じだ。

 TISとインテックは経営統合で持ち株会社ITホールディングスを設立し、それぞれが傘下の事業会社となったが、後に持ち株会社がTISを吸収合併して社名をTISに変えている。SCSKは合併母体となった2社、住商情報システム(SCS)とCSKの旧社名を掛け合わせたものと言える。日本ユニシスという旧社名は日本ユニバックとバロースが合併したことでできた社名であり、連続性はある。

 BtoB(企業向け)をなりわいとするITベンダーなのだから新社名を広く早く浸透させる必要はないという面は確かにある。ただそうは言っても、BIPROGYは初見ではなかなか自信いっぱいに読めず、日本ユニシスとの連続性も見えない。なぜなら「BIPROGY」とは全くの造語で、光が屈折・反射した時に見える7色(Blue、Indigo、Purple、Red、Orange、Green、Yellow)の頭文字を使ったものだからだ。

 BIPROGYに新社名を決め、1年で変更するプロジェクトは大変だったのではないだろうか。実際の浸透具合も気になる。裏側を聞いてきた。

「社名にもどかしさを感じていた」

 まず社名変更の理由などについては社名変更発表直後に、平岡昭良社長CEO(最高経営責任者)・CHO(最高健康責任者)が直々に日経クロステックのインタビューで話してくれている。かいつまんで言うと、「2016年4月の社長就任前から日本ユニシスという社名にもどかしさを感じていた」という。

平岡昭良社長CEO(最高経営責任者)・CHO(最高健康責任者)
平岡昭良社長CEO(最高経営責任者)・CHO(最高健康責任者)
(写真:陶山 勉、2021年5月撮影)
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 「海外では(Nihonがつかない)Unisysというアルファベットで表記したりロゴマークを題したりできない」ことなどが理由だ。そのため「社会課題の解決に向けたサービスをグローバルに展開することで世界や地球に貢献したいという思いから、今のタイミングでボーダーレスに使えるブランド名が欲しいと考えた」としている。

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 実際に社名変更プロジェクトが動き出したのはいつなのか。自身も同プロジェクトに参画していた滝沢素子広報部長によれば2019年だという。2018年5月9日に2018年度から3カ年の中期経営計画「Foresight in sight 2020」を発表し、次のビジョンを考える社内会議の中で「社会的価値を創出する会社になるように社員の意識を変えたい、海外売上高はまだまだだが今後本当の意味でボーダーレスに活動したいとなると、社名変更になるだろうという話が出ていた」(滝沢部長)。

 ただ「社名変更は東証開示マターなので秘匿プロジェクトだった」(同)。ボードメンバー、法務部、広報部などから選ばれた必要最低限のメンバーで検討を重ねた。実質的に取り仕切ったのは斉藤専務だったという。

 「2000年代に米Unisys(ユニシス)との資本関係が途切れ、そこからずっと『いつかは日本ユニシスじゃなくなるのかな』と雑談していた。そういった意味で覚悟はあったが、いよいよ来たか、今なのかと感じた」。滝沢部長はチームに合流したときの思いをこう振り返る。