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遠井吾郎との打撃練習を続けて迎えた中日戦だった。掛布が立ち直るきっかけとなった一打は意外にも、内野安打だったという。「(二塁手の)高木守道さんのところに、ボテボテのね」。その試合で複数安打を放つと、「ようやく呪縛が解けた感じがした」。
掛布は、早出練習で遠井から一度も技術的な指導を受けなかったことが
のちに遠井が3割を打っていたことを知る。マスコミやファンの批判に耐えながら、復調の時をじっと待ってくれたことに、「自分で考えることの大切さを教わった」と感謝する。
不調から抜け出した掛布は、3度目の球宴で躍動する。1978年7月25日、後楽園球場での第3戦に全セ・リーグの3番として出場し、初アーチをマーク。勢いそのままに、球宴史上初となる3打席連続本塁打の離れ業をやってのけた。
5年目の成績は打率3割1分8厘で、102打点と32本塁打は自己最多を更新した。そんな中、全国を駆け巡ったニュースに掛布は言葉を失った。(敬称略、随時掲載)