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芭蕉忍者説が松本清張・樋口清之著『東京の旅』(光文社、1966年)が発祥で、その後、文芸評論家の尾崎秀樹が熱心に主張したことをすでに述べた。尾崎のような市井の忍者研究者以外に芭蕉忍者説の流布に貢献したのは、この説に基づいた創作である。その最初は斎藤栄著『奥の細道殺人事件』(光文社、70年)であろう。
斎藤栄(33年~)は推理小説家で、最盛期には年に20作以上書いたが、1971年までは公務員との二足の
その内容は、芭蕉研究者の大学講師・三浦八郎が公害で息子を亡くし、原因となった工場長の田辺が非を認めなかったため、三浦の妻が憤死する。その後、田辺は変死体で発見され、三浦は殺害を告白した遺書を残して自殺するが、犯人のはずの三浦にはアリバイがあり、真犯人を求めて刑事ふたりが捜査する現代ミステリーだ。
『東京の旅』と同じく光文社からの出版で、編集者からアイデアの提供があったのかもしれない。三浦は大塚にある東陽大の講師で東北大出身という設定である。現実の芭蕉研究者で忍者説を唱える人はいないが、モデルがあるのか、同業者として気になるところ。場所と名前からすれば、大塚のとなりの白山にある東洋大はまず疑ってみたい。
村松友次(21~2009年)は、このとき東洋大学短期大学の教員であった。村松は芭蕉忍者説を検討し、曽良隠密説とでもいうべき見解を導き出したが、村松が芭蕉忍者説の検討を開始したのは75年である。『奥の細道殺人事件』刊行時には、芭蕉忍者説に関係する学者とは思われていなかった。
村松は東洋大の出身で東北大ではないが、東北大は三浦が東北に詳しいという理由づけで選ばれたと思われ、東北大出かは重要でなさそうだ。芭蕉研究者三浦にモデルがあるのか。村松に似たのは偶然か。斎藤栄が存命なので、本人に聞けば事実が判明するだろうが、とりあえず偶然だと考えておく。(敬称略、この項続く)
吉丸雄哉・人文学部准教授
日本近世文学。東京大院修了。国際忍者学会の運営委員(編集)を務める。