新日本プロレスで「マシン軍団」を率いた往年の極悪マネジャー、将軍KYワカマツが80歳の傘寿を迎えても血気盛んだ。1973年9月に国際プロレスでデビューし、11日の湘南プロレス横浜大会では選手として6人タッグ戦に出場。80歳7か月での出場は、同じ42年生まれの大日本プロレス・グレート小鹿会長(80)を超え国内最年長記録となった。現役を続ける理由は何なのか? さらに北海道・芦別市議会議員としての“クリーンな素顔”とは――。

 ――最近、プロレスではどんな活動を

 ワカマツ 道内で自主興行をしたり、芦別でもやりましたよ。コロナ禍だからこそ元気を取り戻さないと。子供たちが萎縮しているんですよ。大人もですけど。何かをするきっかけをつくらないといけないわけですよ。きっかけをつくることによって、市民も道外から来た人も元気になる。そしてプロレスから観光、教育、農業だとかに目を向けてもらえたらと思います。

 ――活動的だ

 ワカマツ 最近の事件を見るとさまざまな人の考え方があるし、賛否両論あると思うけど、人を殺すのはよくない。戦争もよくないですよ。私もプロレスで無差別に暴れてますけど、それとはまた違うから。「あの年になってもやっているんだ」っていうのと、それを見て「自分もできるんじゃないか」と思ってもらうことですよ。

 ――今のプロレス界をどう思うか

 ワカマツ 私の入門した当時のプロレス界っていうのは力道山先生が亡くなって、アントニオ猪木、ジャイアント馬場の時代だったから、時代の流れの中ではよかったんじゃないかな。今の若い選手はかわいそうですよね。
 ――なぜ、そう感じるのか

 ワカマツ 最近はフリーの選手が多い。道場で切磋琢磨しなかったら、成長がないんですよ。道場がある団体っていうのは、そんなにないじゃないですか。先輩に鍛えられるものだから。このままだと大変なことになっちゃう。プロレスラーっていうのは確固としたものがあったんですよ。今は誰でもリングに上がれるんじゃないですか。確固としたもの? カリスマ性もそうだし、道場で稽古をすること。木刀を持った先輩にしごかれたりとか。

 ――現在80歳。これからも現役を続けるのか

 ワカマツ それは試合を見て、皆さんが判断してください。ただ、体力が続く限りはもちろんプロレスにかかわっていきたいし、議会にも全力投球したい。二刀流ですね。それがこだわりです。

 ――議員としてどんな活動を

 ワカマツ 年に4回、定例会があって予算を決めたりしている。最近はコロナが増えてるから予算を増やさなきゃいけないとか、災害だとか、街の中の市民生活に滞ることがあれば臨時議会が開かれます。

 ――4期連続で務めた後、2015年に落選。なぜ、もう一度議員に

 ワカマツ 自分の街は自分で守らないといけないという意思があるもんですから、それでまた出たということです。芦別っていうのは隣が富良野で観光地。雲海とかが有名なんです。北海道には国道452号っていうのが三笠から富良野に続いていて、その道沿いに三段滝っていうのが芦別で有名なんですよ。ここを整備することによって観光客を増やし、交流人口を増やすことになる。そういうことをやっています。

 ――なるほど

 ワカマツ 今はコロナが大変な状況になっていますよね。あとウクライナの戦争が終息しないことには日本も大変じゃないですか。輸入も滞ってくるし円が急激に下がって、日本経済が今、大変な状況。だからどうするかっていうのは国民もそうですし、私みたいな地方の議員が自分の街は自分で、市民のライフワークを守るのが役目です。

 ☆ショウグンケイワイワカマツ 本名・若松市政。1942年1月1日生まれ。北海道函館市出身。72年に国際プロレスの資材部に入社。73年9月の大位山勝三戦でデビュー。84年9月から新日本プロレスマットに上陸し、ストロング・マシン軍団のマネジャーとして脚光を浴びる。90年から所属となったSWSでは道場主としても活動。2年後に再びフリーとして宇宙パワーズを率いると、94年には道産子プロレス道場元気を立ち上げた。180センチ、90キロ。