「日の丸ジェット」の夢破れ…これまで政府が投じた資金は? 事業撤退の影響は? 三菱重工はどうなる?

2023年2月9日 12時00分

スペースジェット開発断念を発表した記者会見を終え、席を立つ三菱重工の泉沢清次社長=7日、東京都千代田区

 三菱重工業が国産初のジェット旅客機「スペースジェット(SJ、旧MRJ)」の事業から撤退する。計1兆円の開発費を投じ、納期を6度延期した末、結局ギブアップ。官民一体の「日の丸ジェット」構想は頓挫した。政府や自治体の支援は捨て金か。裾野の広い新たな成長産業という触れ込みはどこに行ったのか。夢破れた三菱重工には、別な方面での追い風も吹いているようだが、日本経済の厳しい現実を突きつけられ、後味が悪い。(大杉はるか、岸本拓也)

◆繰り返した納入の延期 開発費は1兆円に

 「開発規模の見積もりが正直言って甘かった」。三菱重工の泉沢清次社長は7日の会見で、SJ事業からの撤退を表明した。
 経済産業省が2003年、小型航空機の研究開発プロジェクトを立ち上げたことを受け、三菱重工は08年に「三菱リージョナルジェット(MRJ)」の名称で事業化を決定。子会社の三菱航空機を設立した。戦後初の国産旅客機であるプロペラ機「YS11」は1973年に生産を終了しており、「日の丸ジェット」への期待感は高かった。航空機は部品の数が多いため、幅広い業者に恩恵が及び、低迷する日本経済の活性化策と考えられたからだ。
 三菱側は当初、MRJのような小型短距離用旅客機(70〜90席)の国際的需要が、20年間で5000機以上あると予測。半数のシェア獲得を目指した。ただ相次ぐ不具合によって、納入の延期を繰り返した。19年に商品名を「小型機でもスペースにゆとりのある機体」という意味で「スペースジェット(SJ)」としたが、2020年には事業を凍結。開発費は1兆円にまで膨れ上がっていた。

愛知県豊山町の上空を飛行するスペースジェットの試験機=2020年3月

 事業化のハードルとなったのが型式証明だった。型式証明は機体の設計が安全性基準を満たすか、国が審査・確認する制度だ。日本に限らず販売先の国から型式証明を得る必要がある。
 東京大の鈴木真二名誉教授(航空工学)は「型式証明の要件は非常に厳しくなっており、経験のない日本企業が新規参入するのは難しかった」と説明。型式証明の取得が遅れる中、主要市場である米国での事業性がコロナ禍で見込めなくなったことが、決定打だったという。
 「日本は開発が途切れていたのだから、もっと小さい飛行機から試せば良かったが、航空会社の要望もあって、一足飛びに90席クラスの旅客機に挑戦した」と指摘。「今後は単独より、米ボーイング社などとの共同開発を進める必要がある。日本の役割を広げる形で産業を育てることが大切」と語った。

◆「日の丸にこだわったことが裏目に」

 「二つの見込み違いがあった」と話すのは、航空経営研究所研究員で桜美林大学客員教授の橋本安男氏だ。「一つは型式証明。三菱重工も、審査する国土交通省も決定的にノウハウが不足していた。もう一つは需要見込みの甘さ。需要見通しは5000機だったが、実態は半分にも満たず、1兆円の開発費の元をとれない」
 橋本氏は、三菱側の自己過信にも言及する。「当初、ボーイング社とコンサルタント契約した際に、同社B737製コックピットの使用を提案されたが、受け入れなかった。一緒に開発していれば、型式証明もうまくいっただろう。誇り高き三菱と日の丸にこだわったことが裏目に出た」
 多額の開発費や15年の努力は水泡に帰すのか。「水素燃料や電動の脱炭素航空機の共同開発に米国企業などと取り組み、将来に生かすことが大事では」
 三菱重工はSJ約270機を日本航空やANAを含む4社から受注している。開発中止で違約金発生の可能性があるが、三菱重工広報は「個別の契約による」と明らかにしなかった。

◆多額の税金「捨て金」となる恐れ

三菱航空機の本社が入るスペースジェットの最終組立工場=2021年12月、愛知県豊山町

 官民一体で進めた「国産ジェット」の夢が破れたことで、政府や自治体などが投じた多額の税金が「捨て金」となる恐れがある。
 政府は、研究開発支援などで500億円規模の負担をした。政府としての見解を問われた松野博一官房長官は7日、「これまでの取り組みを通じて、人材育成も含め、わが国の航空機開発の技術、能力の向上に寄与した」と成果を強調した。
 三菱航空機の地元・愛知県も開発支援として、県営名古屋空港(同県豊山町)に隣接する土地を同社の工場用に確保するなど、県費27億4000万円を負担した。直接支援以外にも、研究開発の補助といった航空機産業全体への支援は「全部足すと100億円くらい」(大村秀章知事)に達する。
 航空宇宙産業への関心を高めるために17年には同空港内に「あいち航空ミュージアム」を開館。地元挙げてのプロジェクトだっただけに大村知事は7日の記者会見で「大変残念」としつつ、「中部が航空機産業の拠点であることに変わりはない」と述べ、支援の継続を強調した。

◆夢に向かって頑張る気持ちが…

 地元企業への影響はどうか。帝国データバンク名古屋支店によると、航空機関連企業74社が本社を愛知、岐阜、三重の東海3県に置いている。政府はこの3県を含む5県を「アジアNo.1航空宇宙産業クラスター形成特区」に指定し、世界的な航空宇宙産業の集積地になることを目指してきた。
 しかし、コロナ禍による航空機需要の激減で、この74社の21年度の合計売上高は約1820億円と、コロナ禍前の19年度から3割超も減った。今回の三菱重工の発表について、帝国データの担当者は「撤退は分かっていたという受け止めが大半。2年前に開発が凍結されて以降、試作品納入などの仕事もほぼなかった」と話し、撤退の影響は織り込み済みとの見方を示す。
 ただ、今後については「地元経営者の中には、夢の国産ジェットに向けて頑張るという気持ちがあった。旗頭がなくなり、たとえば後継者がいないところは、事業継続をあきらめるかもしれない」と懸念する。
 三重県松阪市には、航空機部品を手掛ける10社でつくる航空機部品生産協同組合(松阪クラスター)があり、SJの部品製造を担う予定だった。県新産業振興課の担当者は「残念」としつつ「SJは生産段階に至っておらず、計画中止による実損はない」と話す。

◆岸田政権の原発推進・防衛費倍増が追い風

 目玉事業をあきらめた三菱重工はさぞ打撃かと思いきや、昨年来の株価は上昇基調にある。後押ししているのが岸田政権の原発推進や防衛費倍増の方針だ。
 両分野とも三菱重工と関係が深い。日本と英国、イタリアによる次期戦闘機の共同開発に三菱重工も中核企業として参加。SJの開発者は防衛部門に異動させているという。
 SJを「損切り」し、次の国策事業にうまく乗り換えたようにもみえるが、残した傷は深い。
 航空アナリスト杉浦一機氏は「三菱側は今後の敗戦処理にお金がかかる上、撤退によって取引先との信頼関係が冷え込む可能性がある。必ずしもハッピーとは限らない」と指摘する。
 国産の完成機の断念は、日本企業が今後も欧米の下請けに甘んじることを意味する。「完成機ビジネスがあって産業としての成長性や健全性が成り立つ。買いたたかれる下請けにうまみはない。再び国産化に向かうことも容易ではない」
 杉浦氏は長期的な影響も気に懸ける。「三菱重工には、ジェット戦闘機に比べれば、民間旅客機は簡単だという過信があったように思う。日本の産業全体の将来を考えても、期待の芽を摘み取ってしまったことのダメージは計り知れない」

◆デスクメモ

 NHK連続テレビ小説「舞いあがれ!」で「菱崎重工」なる会社の重役が登場する。ヒロインの町工場に航空機部品製造を依頼し、成長のチャンスを与える。時期の設定はSJの計画があったころ。物語は時代をどこまで追うだろうか。舞い上がる夢が描きにくくなった現状は残念だ。(北)

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