関東大震災直後の朝鮮人虐殺 忘れない 負の歴史 “船橋で追悼式”“八千代で慰霊祭”

2021年9月7日 07時15分

朝鮮人犠牲者への追悼の辞を述べる呉委員長=船橋市営馬込霊園で

 関東大震災(一九二三年九月一日)直後に相次いだ朝鮮人虐殺事件の犠牲者を弔う追悼式が船橋市で、慰霊祭が八千代市で、いずれも五日に営まれた。大震災の発生日に合わせて毎年行われているものの、新型コロナウイルスの影響で昨年から参加者を少なくしたり簡素化して開催。二年後には百周年となり、参列者は「負の歴史を決して忘れてはいけない。何が起こったかを後世に伝えていく」と語った。(保母哲)
 大震災による混乱の中、流言飛語により県内でも船橋市や八千代市のほか、習志野市、市川市など各地で住民や自警団、軍隊が朝鮮人を殺傷。合わせて三百数十人が殺害されたとされる。
 追悼式は船橋市営馬込霊園であり、約百十人が参列。主催したのは、在日本朝鮮人総連合会県西部支部などでつくる実行委員会。霊園内には「関東大震災犠牲同胞慰霊碑」が建立されている。
 献花や焼香、朝鮮半島に古くから伝わる弦楽器・ソヘグムの演奏などで犠牲者を弔った。同支部の呉学成(オハクソン)委員長は「多くの同胞が殺されてから間もなく百年となり、同胞社会の主役は二世から三世、四世となったが、われわれはあの惨劇を決して風化させない」と話した。

焼香などで犠牲者をしのんだ慰霊祭=八千代市の観音寺で

 慰霊祭が営まれたのは、八千代市高津の観音寺。地元などの有志でつくる「千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会」と高津区特別委員会、同寺が共催した。
 市内では、同実行委などにより虐殺された朝鮮人の遺骨六体が一九九八年に見つかったため、翌九九年には同寺境内に「関東大震災朝鮮人犠牲者慰霊の碑」が建立されている。
 参列した約三十人は、読経や献花で犠牲者をしのんだ。同実行委の吉川清代表は「九十八年前に何が起きたかを、多くの人に知ってほしい」と語った。
 同実行委事務局のメンバーで、この日、八千代と船橋の式典に出席した宮川英一・立教大立教学院史資料センター助教は「慰霊祭などを続けることで、差別の歴史があったことを広く伝えるとともに、若者にもつなげていくことが大切だ」と説いた。

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