思わず、ガッツポーズが飛び出た。「ミス・パーフェクト」の異名を持つ宮原らしく美しく舞った。2010年バンクーバー五輪銀メダルの浅田真央(2006〜09年)以来の4連覇。初めて五輪の出場権を獲得した。
「今までで一番うれしい優勝。五輪に行きたい気持ちでいった。自分のスケート人生の中で、大きな一歩になった」
表現力などを示す5項目の演技点では10点満点ですべて9点台をマークした。SPは坂本に首位の座を譲ったが、2位から逆転。国際スケート連盟非公認ながら自己ベストを更新する合計220・39点の圧勝劇だった。涙が頬を伝わった。
「今までのスケート人生の中で、中身の詰まった重要な1年でした」
1月に左股関節疲労骨折が判明。1カ月間、氷上にあがれない時期もあった。8月には右股関節の骨挫傷を負い、復帰プランに狂いが生じた。10月には浜田美栄コーチ(58)から、「五輪は(北京大会が次回開催される)5年後でもいい」と平昌大会断念を持ちかけられた。それでも宮原は「諦めていなかった。自分の気持ちが折れることはなかった」。11月の復帰戦から調子を上げ、五輪出場が懸かった大一番で復活をとげた。