ヒコロヒー(26、松竹芸能所属) ★デビュー・2012年
週末がお休みのくらぼんさんに代わり、今回はくのいちが担当します。ピリッとしたコントやフリップボードを使い、独自の象形文字ネタを得意とする近大学芸術学科卒の女ピン芸人、ヒコロヒー。
--この世界に入ったきっかけは
「大学2年のとき、落語研究会の先輩に誘われて出演した学園祭で、落語ベースのコントをやったことがきっかけです。ゲストだった松竹芸能所属のお笑いコンビ、なすなかにしさんのマネジャーから声を掛けていただきました。1年目は松竹芸能タレントスクールに行ったり、行かなかったりで、普通に就職しようと考えていましたが、スクールに通いながら徐々に(お笑いをやろうと)決めました」
--芸名の由来は
「かくかくした字にしたくて『ヒコロヒー』にしました。意味は特にありませんが、2人の韓国人から別々に『ハングル語に起こすと殺す、という意味がある。あなたはスパイでしょ』と言われたことがあります(笑)」
--最初は大阪松竹所属で
「2014年に東京へ出てきました。当時はお笑いが生活の全てで、映画を見なきゃ、本を読まなきゃ、テレビを見なきゃ、ネタを作らなくちゃ、と全てやらなきゃって、自分で勝手にプレッシャーをかけていたのかもしれません。上京して半年くらいたったとき、あるライブで、われに返ったのが終演4時間後。しかも、会場の近くの公園の岩に座っていたんです。これは、いけない、と。今はやりたいことだけやっています」
--具体的に変えたことは
「ネタは週1回、書き下しています。『今日はやるぞ!!』と、思って喫茶店へ行きます。しゃべるのが下手なので、構成作家の先生にうまく伝わるように絵コンテを作ったりしますね」
--アルバイトは
「上京したときは売れなきゃという気持ちが強く、ネタ作りなどでいっぱいいっぱいで、バイトはしていませんでした。お金が底をついて、最初にやったのはスナックのホステス。2週間でやめて、その次にクラブホステス。時給は4000円でした。話すのが嫌だったので、お客さんの話が聞こえないフリをして、お酒を作って、勝手にカラオケに歌を入れて歌わせて、自分がしゃべらなくてもいいようにしていましたね。ホステスは自分には合わないと思い、今は週に1、2回ですが、ネジの検品のアルバイトをしています」
--趣味にマージャンと競馬、とあります
「田舎(愛媛県)で遊ぶ場所もなかったので、高校生のときからマージャンをやっていました。だから、1年目から出たい、出たいと言っていたマージャンのバラティー番組『THEわれめDEポン』に今年3月に出演できたときはうれしくて。なのに、いざ始まったら、一緒に出た事務所の先輩芸人の篠宮(暁)さんと、なすなかにしの那須(晃行)さんが、2人でありえない凡ミスをして、試合が止まって…。デビューから5年目で出られたのに、ですよ。しっかりしてよ、先輩って、言ってた私がビリでした(笑)」
--競馬は
「上京後の話ですが、知人からの借金を返さないといけないな、と思っていたときに、あり金の1万円ちょいを3連単に賭けたら約200万円になって、返すことができました」
--強運ですね。本業はいかがでしょうか
「『R-1』『お笑いグランプリ』も1回戦敗退でした。松本人志さんがチェアマンをするフジテレビの大喜利バラエティー番組『IPPONグランプリ』の予選で、ラスト5人に2回、残りました。ペーパーテストがあったりしましたが、女で年齢も芸歴も若くて、ソコソコやれたのが良かったのかな、と思っています。落研だったから? それは影響ないと思います」
--今後の目標は
「大喜利などでテレビに出ることができましたが、まだネタでテレビ出演していないので、何とか出たいですね。人としての目標は黒柳徹子さん。職業や肩書より個性を大事にしているところが好き。髪形もいけてるし。機会があれば、お会いしたいです」
11月12日に東京・新宿角座で単独ライブが控える。