ユニホームとの別れは突然、訪れた。1996年、30歳の夏。5月に2軍落ちした俺は川崎にある巨人の練習場へ向かうため、車に乗り込んだ。エンジンをかけようとした瞬間、呼吸が苦しくなった。
練習に行けるような状態ではない。「すみません、実は過呼吸になり、車を運転できません」と2軍のマネジャーに連絡を入れて練習を休んだ。それ以来、ユニホームを着ることはなかった。
最初に体調の異変を感じたのは2週間ほど前、神宮球場であった花火大会だった。青山にあった友人の事務所の屋上で見物していると、周囲の建物がグラグラ揺れ始めた。めまいとは違う。地震かとも思ったが、だれも騒いでいない。「飲み過ぎたかな」と、やり過ごした。
その1週間後、食事に出掛けたホテルで倒れた。突然、呼吸が苦しくなり、パニックに陥った。意識を失い、気がついたときには大学病院に運び込まれていた。
病名は『パニック障害』。自律神経をやられ、過呼吸症候群になったと診断された。不安になると呼吸が苦しくなり、天井がグルグル回る。発作が治まるまで、5、6時間も家の周りを歩き、精神安定剤の世話にもなった。
世間は、巨人の「メークドラマ」(首位・広島との最大11・5ゲーム差を逆転してリーグ優勝)で盛り上がっていたけど、とてもそれどころではなかった。ナイター中継さえ、体が辛くて見ていられないのだ。体力には自信があったので「気が弱いから、気合が足りないから、こんな病気になるんだ」と自分自身を責めた。ほとんどノイローゼで、自殺衝動もあった。