花時計どこへ 市民やきもき 神戸のシンボル 暫定移転 

花時計どこへ 市民やきもき 神戸のシンボル 暫定移転 
花時計どこへ 市民やきもき 神戸のシンボル 暫定移転 
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 日本初の花時計とされ、約60年にわたって神戸市役所(同市中央区)脇で愛されてきた「こうべ花時計」の撤去工事が29日始まる。庁舎の建て替えに伴い約500メートル離れた東遊園地に暫定的に移されるが、最終的な行き先は決まっていない。阪神大震災の復興時に花時計に携わった元市職員の高畑正さん(65)は「市民みんなの思いが詰まった場所。受け継いでほしい」と話すなど、市民や関係者らは見慣れた景色との別れを惜しんでいる。(西山瑞穂)

 こうべ花時計は人工島の造成などに注力し「株式会社神戸市」と呼ばれる行政手法を進めた宮崎辰雄元市長が助役時代、出張先のスイス・ジュネーブで見た花時計をきっかけに計画され、市庁舎が昭和32年に現在地へ移転したのに合わせて完成した。

 約40年後の平成7年1月に阪神大震災が発生。花時計も止まってしまったが、3月末には羽ばたく黄色のチョウのデザインに「よみがえれKOBE!がんばれ神戸っこ!!」とメッセージを添え、再び動き出した。

 高畑さんは花時計の再始動後から2年間、公園緑地部整備係長として植え替えなどを担当。救援用のテントが残る花時計前の広場で、市民らが立ち話をしていた姿を今も覚えている。「被災後の異常な状態の中でも、花を前にすると落ち着いた気持ちになる。被災者同士の心がつながる場所になっていた」と振り返る。

 花時計は設置や機械の更新にかかる費用の多くが市民らの寄付でまかなわれ、名実ともに「市民のシンボル」だが、花を植える部分に勾配があるため水のやり方一つにもコツが必要で、維持にかなりの手間がかかる。高畑さんは「待ち合わせなどで集まる市民が一緒に見守ってきたからこそ、60年間変わらずに美しい姿を続けることができた」と強調する。

 高畑さんは市役所を退職後に総合福祉施設「しあわせの村」(同市北区)に勤務した際にも花時計設置を検討したが、「こうべ花時計を超えるものはできない」と断念したことがある。今回の移転に不安もあるが、「東遊園地は震災のモニュメントがある特別な場所。花時計も一緒に語り継がれてほしい」と話している。

 こうべ花時計 昭和32年に神戸市役所脇に設置された日本初とされる花時計。直径6メートルで、年に9回程度植え替えられる。その都度デザインも変更され、これまでの植え替え回数は500を超える。周辺のモニュメントや植木ごと近くの東遊園地に移転し、今年度中には再始動する予定だが、最終的な設置場所は三宮周辺の再整備計画の中で決まる。

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