日本の古き良き伝統を引き継ぐ誇り 柔道・大野将平インタビュー(2)

リオ五輪で金メダルを獲得した大野将平選手。「すごいプレッシャーの中でやってきた」と振り返る=2016年8月、ブラジルのカリオカアリーナ
リオ五輪で金メダルを獲得した大野将平選手。「すごいプレッシャーの中でやってきた」と振り返る=2016年8月、ブラジルのカリオカアリーナ

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――2016年リオデジャネイロ五輪後に1年余り休養し、天理大大学院で柔道を研究していました。振り返ってみてどうでしたか

大野 視野が広がりました。修士論文を書いたこともそうですし、柔道教室で子供たちに教えたり、テレビやイベントに出たりして、有意義な時間を過ごせました。今までは柔道での学びをインプットするだけで、整理する時間もなかった。これからは、この経験をいかに柔道に落とし込めるかが大事だと思います。結果を出さないと、「あのとき休まずに柔道をやっておけば勝てた」なんて言われかねない。どう生かすかは自分次第です。

――修士論文のテーマは大外刈り。得意技を研究し新たな発見はありましたか

大野 今まで感覚的にやっていた技を理論的に説明できるようになったことです。自分の柔道は正しくつかんで正しく投げる「オールドスタイル」といわれます。さまざまな文献をあさったり、技術本を読んだりして一番感じたのは、自分の大外刈りは時代に逆行しているというか、日本に古くからある形の技だということ。やってきた柔道を誇りに思いました。

――柔道のスタイルが日本古来のものと一緒だったのですか

大野 まったく一緒ではないですが、現代のルールに対応しつつ、古き良き日本柔道の軸をちゃんと守って柔道がやれていると。中高6年間の(柔道私塾の)講道学舎と天理大という日本の伝統的な柔道を重んじる環境で育った自分が、そういう柔道をしている意味は大きいと思います。日本のトップにいながら、それを試合で表現する意味も大きいと自覚しています。信じてきた道は間違いじゃなかったと、再確認の時間になりました。

――休養中も稽古はしていたのですか

大野 したりしなかったりの時期が多かったです。リオ五輪までの4年間、日本代表としてすごいプレッシャーの中でやって肉体的にも壊れる寸前でした。稽古もしていましたが気持ちが乗ってこないし、気持ちをつくるのも難しかったです。練習するとすぐにけがもしましたね。

――ただ、今年2月に復帰後、すぐにドイツの国際大会で優勝。4月の全日本選抜体重別選手権大会は準決勝で敗れましたが、1年のブランクを感じさせませんでした

大野 修士論文を出し終わったのが1月末で、ドイツの試合までに2、3週間しかありませんでした。けがも抱えて練習不足。負けて当然の中で、どう感覚を戻していくかが課題でした。ドイツで優勝し、選抜は負けましたが、アジア大会代表に選ばれ、代表合宿に呼ばれたことは大きかったですね。トップ選手たちと同じ緊張感、同じ強度で稽古をやるのが、感覚を戻すための最速の道と思っていましたから。アジア大会代表に選んでいただいて、ありがたかったというのが素直な思いです。

大野将平

おおの・しょうへい 平成4年2月3日、山口県生まれ。7歳で本格的に柔道を始め、中学、高校時代は東京の柔道私塾「講道学舎」で基礎を磨いた。天理大を卒業後、2016年リオデジャネイロ五輪で男子73キロ級金メダル獲得。1年余りの休養を経て今年2月に復帰し、8月のジャカルタ・アジア大会で優勝した。13、15年世界選手権王者。得意技は内股と大外刈り。

大野将平インタビュー(3)「圧倒的な力の差」が必要

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