ヤマトタケルの火打石を探せ 南伊勢・度会町で伝承文化訪ねるツアー

 古代の英雄・倭建命(やまとたけるのみこと)が東征の旅に出発したとき、伊勢神宮に奉仕していた叔母の倭姫命(やまとひめのみこと)から授かったと古事記などに記された「火打石(ひうちいし)」を探すツアーが20日、倭姫命巡行伝承が残る南伊勢町と度会町で行われた。

 ツアーは、地元ニュースのサイトを運営する「伊勢志摩経済新聞」の伊藤佳行編集長が発案、伊勢市の旅行会社「旅日記」が企画した。約20人が参加し、貸し切りバスでヤマトヒメの伝承地を巡った。

 火打石は、鉄片に打ち付けると火花を発する堅硬な岩石で、古くから火をおこすのに使用された。ヤマトタケルの火打石がどこで産出されたかを示す史料はないが、ヒメの巡行ルートと想定される南伊勢町から度会町にかけての一之瀬川流域に「火打石」の地名がある。その付近を走るバスの中で、自然科学に詳しい宮川流域案内人の宮本秀明さんが「放散虫の殻などが海の底で押しつぶされた硬いチャート層がこのあたりの尾根をつくっおり、実際に火打石が採取できます」と説明した。

 ツアー一行はこのほか、ヤマトヒメが鏡代わりにしたと伝わる鬢水(びんすい)池がある度会町の久具都比売(くぐつひめ)神社や、ヤマトヒメの巡行地とされる南伊勢町の仙宮神社を見学。仙宮神社では、加藤實宮司の案内で古代の祭祀(さいし)場だった磐座(いわくら)などを見学し、参加者は在りし日のヒメの姿を想像していた。

 旅日記の御村一真さんは「忘れられかけた伝承文化を楽しく知ってもらうツアーを今後も企画し、町おこしにつなげていきたい」と話していた。

 古事記によると、ヤマトタケルは父の景行天皇から東国の平定を命じられて大和から伊勢に立ち寄り、天照大御神(あまてらすおおみかみ)を奉じて伊勢神宮を創祀したヤマトヒメの元を訪れる。草那芸之大刀(くさなぎのたち)とともに火打石が入った袋をヤマトヒメから授かったヤマトタケルは、焼津の豪族の火責めにあったとき、火打石による迎え火で九死に一生を得たとされる。

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